ドラマ「魯山人のかまど」(NHK)で再注目された北大路魯山人(1883~1959年)。「美食倶楽部」や伝説の料亭「星岡茶寮」を運営し、料理・食材にはいっさい妥協しなかったという異才の言葉を『魯山人の食卓』(ハルキ文庫)より紹介する――。

※本稿は、北大路魯山人『魯山人の食卓』(ハルキ文庫)の一部を再編集したものです。
■ドラマにも出てきた「鮎の食い方」
いろいろな事情で、ふつうの家庭では、鮎を美味く食うように料理はできない。鮎はまず三、四寸(編集部註:9~12cm)ものを塩焼きにして食うのが本手であろうが、生きた鮎や新鮮なものを手に入れるということが、家庭ではできにくい。地方では、ところによりこれのできる家庭もあろうが、東京では絶対にできないといってよい。東京の状況がそうさせるのである。仮に生きた鮎が手に入るとしても、素人がこれを上手に串に刺して焼くということはできるものではない。
鮎といえば、一般に水を切ればすぐ死んでしまうという印象を与えている。だから、非常にひよわなさかなのように思われているが、その実、鮎は俎上(そじょう)にのせて頭をはねても、ぽんぽん躍り上がるほど元気溌剌(はつらつ)たる魚だ。そればかりか、生きているうちはぬらぬらしているから、これを摑(つか)んで串に刺すということだけでも、素人には容易に、手際よくいかない。まして、これを体裁よく焼くのは、生やさしいことではない。
もちろん、ふつうの家庭で用いているような、やわらかい炭ではうまく焼けない。尾鰭(おびれ)を焦がして、真黒にしてしまうのなどは、せっかくの美味しさを台なしにしてしまうものだ。
いわば絶世の美人を見るに忍びない醜婦(しゅうふ)にしてしまうことで、あまりに味気ない。
■容姿が美しい鮎ほど、味も上等
こういうわけで、家庭で鮎が焼けないということは、少しも恥ずかしいことではない。見るからに美味そうに、しかも、艶やかに、鮎の姿体を完全に焼き上げることは鮎を味わおうとする者が、見た目で感激し、美味さのほどを想像する第一印象の楽しみであるから、かなり重要な仕事と考えねばならぬ。だから、一流料理屋にたよるほかはない。
いったい、なんによらず、味の感覚と形の美とは切っても切れない関係にあるもので、鮎においては、ことさらに形態美を大事にすることが大切だ。
鮎は容姿端麗なさかなだ。それでも産地によって、多少の美醜がないでもない。
鮎は容姿が美しく、光り輝いているものほど、味においても上等である。それだけに、焼き方の手際のよしあしは、鮎食いにとって決定的な要素をもっている。
美味く食うには、勢い産地に行き、一流どころで食う以外に手はない。一番理想的なのは、釣ったものを、その場で焼いて食うことだろう。
■鮎はやけどしそうな塩焼きが一番
鮎はそのほか(編集部註:“鮎の洗い”のほか、現在では生食は寄生虫などのリスクが高いとされる)、岐阜の雑炊(ぞうすい)とか、加賀の葛の葉巻とか、竹の筒に入れて焼いて食うものもあるが、どれも本格の塩焼きのできない場合の方法であって、いわば原始的な食い方であり、いずれも優れた食い方ではあるが、必ずしも一番よい方法ではない。
それをわざわざ東京で真似(まね)てよろこんでいるものもあるが、そういう人は、鮎をトリックで食う、いわゆる芝居食いに満足する輩ではなかろうか。
やはり、鮎は、ふつうの塩焼きにして、うっかり食うと火傷(やけど)するような熱い奴を、ガブッとやるのが香ばしくて最上である。
■江戸っ子が大金で買った「初がつお」
鎌倉を生きて出でけん初鰹(はつがつお) 芭蕉

目には青葉山ほととぎすはつ鰹 素堂(そどう)

初がつおが出だしたと聞いては、江戸っ子など、もう矢も楯(たて)もたまらずやりくり算段……、いや借金してまで、その生きのいいところをさっとおろして、なにはさておき、まず一杯という段取りに出ないではいられなかったらしく、未だに葉桜ごろの人の頭にピンと来るものがある。ところで初がつおというもの、いったいそんなにまで騒ぎたてられるゆえんはなにか。前掲の句の作者は元禄時代の人だから、その時代に江戸っ子が初がつおを珍重したのはうかがえるが、今日これは通用しない。
「鎌倉を生きて出でけん」と想像しつつ当年の江戸で歓迎された初がつおは、海路を三崎廻りで通ったものではあるまい。陸路を威勢よく走って運ばれたものであろうが、それにしても日本橋の魚河岸(うおがし)に着く時分は、もはや新鮮ではあり得なかったろう。それでも江戸っ子は狂喜して、それがために質まで置いたというから大したものだ。
私の経験では、初がつおは鎌倉小坪(こつぼ)(漁師町)の浜に、小舟からわずかばかり揚がるそれを第一とする。その見所(みどころ)は、今人と昔人と一致している。鎌倉小坪のかつお、これは大東京などと、いかに威張(いば)ってみても及ぶところではない。
■初がつおは本当に美味なのか
現今(げんこん)、東京に集まるかつおは漁場が遠く、時間がかかりすぎている。
それはそれとして初がつおというもの、それほど美味いものかという問題になるが、私は江戸っ子どもが大ゲサにいうほどのものではないと思う。
ここでいう江戸っ子というのは、どれほどの身分の人であるかを考えるがよい。富者(ふしゃ)でも貴族でもなかろう。質を置いてでも食おうというのだから、身分の低い人たちであったろう。それが跳び上がるほど美味がるのであるが、およそ人物の程度を考えて、ハンディキャップをつけて話を聞かなければなるまい。
冬から春にかけて、しびまぐろに飽きはてた江戸人、酒の肴(さかな)に不向きなまぐろで辛抱してきたであろう江戸人……、肉のいたみやすいめじまぐろに飽きはてた江戸人が、目に生新(せいしん)な青葉を見て爽快となり、なにがなと望むところへ、さっと外題(げだい)を取り換え、いなせな縞(しま)の衣をつけた軽快な味の持ち主、初がつお君が打って出たからたまらない。なにはおいても……と、なったのではなかろうか。
■魚は皮と肉の中間に美味層がある
初がつおに舌鼓(したづつみ)を打ったのは、煮たのでも、焼いたのでもない。それは刺身と決まっている。この刺身、皮付きと皮を剝(は)ぐ手法とがある。皮の口に残るのを嫌って、皮だけを早く焼く方法が工夫された。土佐の叩(たた)きがそれである。
しかし、土佐の叩きは、都会の美味い料理に通じない土地っ子が、やたらに名物として宣伝したので、私の目にはグロであり、下手(げて)ものである。焼きたての生暖かいのを出されては、なんとなく生臭(なまぐさ)い感じがして参ってしまう。しかし、土佐づくりは皮付きを手早く焼き、皮ごと食うところに意義があるのだろう。
元来、どんな魚類であっても、皮と肉の中間に美味層を有するものである。それゆえ、皮を剝ぎ、骨を去ってしまっては、魚の持ち味は半減する。物によっては、全減(ぜんげん)するとまでいっても過言ではなかろう。それはもとよりかつおだけにかぎったことではない。たいのあら煮が美味いというのも、実は皮も骨もいっしょに煮られているからなのである。
昔は春先の初がつおを、やかましくいったが、今日では夏から秋にかけてのかつおが一番美味い。これは輸送、冷凍、冷蔵の便が発達したことによるものと思われる。大きさは五百匁(もんめ)(編集部註:1.875kg)から一貫匁(3.75kg)ぐらいまでを上々とする。
※初出:「鮎の食い方」1932年『星岡』、「初鰹」1938年朝日新聞(いずれも『魯山人著作集』五月書房収録)

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北大路 魯山人(きたおおじ・ろさんじん)

1883年、京都上賀茂の社家に生まれる。
本名・房次郎。書画、篆刻、陶芸、漆芸など多岐にわたった芸術を独学で身につけ、それぞれに秀でた足跡を残した。料理家としても名をはせ、東京の赤坂で料亭・星岡茶寮を主宰。美食の道を探究する。著書に『古染付百品集』『魯山人家蔵百選』『魯山人作陶百影』など。1959年没。

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(北大路 魯山人)
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