人間は一面では語れない。それは国民的人気作家も同じだ。
トラベルミステリーの第一人者・西村京太郎さんは、鉄道や観光地を舞台にさまざまな殺人事件を描いてきた。評論家・佐高信さんは「西村にとって死は少年時代から日常だった」という――。
※本稿は、佐高信『昭和に挑んだ作家たち』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。
■8月15日を過ぎても終戦しなかった青春
西村にはオビに「ベストセラー作家が、自身の苛烈な体験を初めて明かす!」と書かれた『十五歳の戦争』(集英社新書)という著書がある。副題が「陸軍幼年学校『最後の生徒』」で、2017年夏に刊行された。
15歳は数え年で、戦争が終わった時、西村は14歳だった。「フォーティーンの戦争」である。しかし、それだけにその精神に消えない傷として残った。5カ月間の陸軍エリート養成機関生活だったが、8月15日の後もすぐには帰宅できず、校長のこんな話も聞かなければならなかった。
「間もなく、日本占領のために、アメリカ軍がやってくる。もし、天皇陛下に対して、無礼なことをする時には、君たちは陛下をお守りして、アメリカ軍と戦うのだ。そのために、身体を鍛えるのだ」
そう言われて、体操や駆け足をやらされていたのである。

陸軍幼年学校では、分厚い軍歌集を渡されて、それを覚えさせられ、行進の時に歌わなければならなかったが、西村は辛かったという。
『十五歳の戦争』では、「生命惜しまぬ予科練の」とか、「手柄立てずに死なりょうか」とか、「勝たずば生きて還らじと」とかの軍歌の歌詞を挙げ、日本人は「死を気楽に唄う」と嘆いている。
柔和な笑顔を崩さずに、私にもこう語った。深刻ぶらずに話すから、凄みが増す。
■最も嫌いな軍人
「今はひどい歌詞だと思いますけどね。そのときは、別に何とも感じていなかった。よくわかっていなかったんだと思うんですけどね。でも、『どうせ死ぬんだ』みたいなことを言うとかっこよかったんです。俺は怖くないぞ、と10代はみんなそうでしたね。死ぬことをいやだと言いにくいところもありました。そんな人は誰もいないから」
徴兵は17歳からだから、あと2年経てば西村は戦地へ行っていた。
西村は最も嫌いな軍人として開戦時の首相だった東條英機を挙げ、その「極端な精神主義と、極端に説教好きなところ」を糾弾する。

特に1941年に「戦陣訓」を作り、兵士だけでなく民間人にも押しつけたのが許せない。
「生きて虜囚の辱めを受けず」に縛られて、どれだけの人間が死ななければならなかったか。
「本来は、軍人のことなのに、民間人が、自分のことと考えて、サイパンや沖縄で何人も死んでいる。テレビのドキュメンタリーで、崖から身を投げて死んでいく若い女性の姿を見ると、私には、東條が殺したように思えてならない」
■「東條のバカヤロー」
こう指摘する西村は、軍人には自死を強要した、と慨嘆する。
敵地に向かう時、海軍航空隊のパイロットはパラシュートを持って行かなかった。敵地上空で被弾し、パラシュートで降下すると捕虜になるから自決する。このため、ベテランパイロットが次々に戦死して日本の敗北を早めることになった。
戦時中に飛行学校へ行った東條が学生に、
「敵の飛行機が現れたら、どうやって落とすか?」
と尋ねた。
「戦闘機で向かっていき、機関銃で落とします」
と学生が答えたら、東條は、
「それでは駄目だ。精神で落とすんだ」
と怒ったという。
「笑い話のようだが、実話である」と西村は書いている。
それで西村は玉音放送の後、「東條のバカヤロー」と叫んだのだった。

■「殺さなくちゃいけないので、殺します」
いま西村は、東條は陸軍刑法の存在を知っていたのか、と問うて、はるかに権威のあるそれについて、こう指摘する。
「陸軍刑法には、占領地の住民に対する殺人、強姦などについての罰則も、きちんと明記されている。もし、兵士や軍属の中に、殺人や占領地の女性に対する強姦などの行為があった時にはすぐ、裁判にかけ、陸軍刑法によって裁いていたら、南京事件は、起きなかったかもしれない。残念である」
西村にとって、死は特別なものではなかった。
少年時代から日常にあったのである。そんな西村がミステリー作家となって、否応なく殺人を書かなければならなくなった。
私の郷里の山形県にまつわる『羽越本線北の追跡者』という作品に触れて、クラゲで知られる加茂水族館の館長が、まだ元気なのに殺されましたねと言ったら、西村は、
「必ず言われますね、殺さないでほしいって。名前は出してほしいけど、ここで殺人は困りますって。ホテルでも列車でも、この中で人を殺さないでくれって言うんだけどね。こっちは、殺人事件を書くんだもの、殺さなくちゃいけないので、殺します」
と笑った。
■書きたいものを書いてきたわけではない
寝台特急殺人事件』に始まるトラベルミステリーで、西村をベストセラー作家にしたのは十津川警部と亀井刑事の名コンビが活躍するシリーズである。
私が強く記憶に残っているのは渡瀬恒彦と伊東四朗のコンビだが、そう言うと西村は、
「渡瀬さんが一番いいという人は多いですよ。
ただ、もてないように書いたつもりなんですけど、捕まった女性の犯人がだいたい惚れちゃう筋書きになるんです。ああいうところが嫌なんですよね。捕まったらパッと切ってほしいわけ。だけど、テレビ局にできないと言われたんです。見ている人がだいたい奥さんで、仕事しながら見ているから、最後にストーリーを通してあげなきゃいけないと。だから、捕まってからが延々と長いんです。その中で、犯人の女の人が『前からあなたを知っていたら、こんなことにならなかったのに』と、変な屁理屈言うんですね。それが嫌なんだよ」
と吐き棄てた。
「どうして刑事がもてるのかねえ。恨まれるほうがいいですよね」
と相槌を打つと、西村も、
「そうそう、恨まれるのが普通ですよねえ。だけど、ああいうふうにしないと、女性のファンがつかないとか」
と納得のいかない顔をした。
ベストセラーを連発しながら、書きたいものを書いてきたわけではないという思いが消せないからかもしれない。

■ミステリーの女王とのミステリアスな出会い
戦後、私立探偵などもしていた西村は、作家になりたくて懸賞小説に応募した。特筆すべきは1967年に総理府が「二十一世紀の日本」をテーマに、小説や音楽を募集した時のことである。賞金は破格の500万円。現在なら100倍の価値があるだろう。
審査員は石原慎太郎、宮本百合子、そして「名前は忘れたがフランス文学の専門家」の3人だった。
石原は「主人公が若者で、日本を背負っているような、少し過激な性格が気に入るだろう」、宮本は「逆に、思想を重く見るし、貧しさと戦う人間が好き」なのではないか、フランス文学の専門家は「少し皮肉なストーリーか」と、作戦を立て、主人公は若い能役者にした。
仇役が古い日本を否定する科学者で、その2人の間で悩むヒロインがフランス文学の好きな女性である。舞台はアフリカの砂漠。そうして書いた小説『太陽と砂』がねらい通り入選した。
西村については、やはり、「女王」の山村美紗との関係に触れないわけにはいかない。
作家タブーで出版社系の週刊誌等は書けなかったが、『噂の眞相』が容赦なくスキャンダルとして取り上げた。西村は1963年に『歪んだ朝』で『オール讀物』推理小説新人賞を受賞したが、その後は書いても書いても売れなかった。

そこへ、京都の女性から、ファンレターが届く。
「西村さんの本を買って読みました。素敵な内容でした。これからも、がんばってください」
山村美紗と書いてある字がきれいなので、西村は美人の女子大生だと思って、京都に会いに行った。現れたのは花柄の傘を差した着物姿の女性で、30歳は過ぎている感じだった。おまけに人妻だったのである。
2人のミステリアスな関係については花房観音の『京都に女王と呼ばれた作家がいた――山村美紗とふたりの男』(西日本出版社)に譲りたい。

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佐高 信(さたか・まこと)

評論家・作家

1945年山形県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。高校教師、経済誌編集長を経て執筆活動に入る。著書に『逆命利君』『城山三郎の昭和』『田中角栄伝説』『石原莞爾 その虚飾』『玉木、立花、斎藤、石丸の正体』、共著に『安倍「壊憲」を撃つ』『自民党という病』『官僚と国家』『日本の闇と怪物たち 黒幕、政商、フィクサー』『この国の危機の正体』『お笑い維新劇場』など多数。

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(評論家・作家 佐高 信)
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