■ジョージ・ソロスもピーター・ティールも哲学科
【山口周(以下、山口)】人文知というのは、日本では「役に立たない」みたいに言われて軽視されています。日本は開国以来、欧米列強に追いつこうと急ピッチで文明化を推し進めて近代国家をつくり上げてきました。そのため、すぐに社会や産業に役立つ知識や技術、いわゆる実学が重視され、哲学や歴史は役に立たない学問という意識が生まれてしまったのだと思います。
しかし、今日のビジネスの現場で活躍している人たちが人文科学系の出身であるという事実が示しています。
アメリカを見ると、人文系学部出身のスター経営者が多くいます。ペイパルやオープンAIの共同創業者の支援者として知られているピーター・ティールは、スタンフォード大学の哲学科出身ですし、クオンタム・ファンドの創業者の投資家、ジョージ・ソロスはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで哲学の修士号を取得しています。
あるいは世界最大級のPEファンドであるカーライル・グループ共同創業者のデビッド・ルーベンシュタインはデューク大学の政治学科の出身ですし、ヒューレット・パッカード共同創業者のデビッド・パッカードはスタンフォード大学の教養学部、IBMの2代目社長、トーマス・ジョン・ワトソン・ジュニアはブラウン大学の哲学科でした。
■コンサルでの昇進「MBAの学位は関係なかった」
【深井龍之介(以下、深井)】周さんも、大学時代に哲学を学んだそうですね。
【山口】はい。僕は大学で哲学と美術史を学んで新卒で電通に入社した後、ビジネス・スクールには行かずに、直接、外資系戦略コンサルに転職しました。
ただ、結果的にはMBAの学位があるかどうかは評価や昇進とはあまり関係がないようですね。BCG(ボストンコンサルティンググループ)でもマッキンゼーでも、全般に「MBAの学位保持者よりも、別の学位保持者の方が、評価が高く、昇進も早い」という傾向があるようです。また、海外のビジネス・スクールは卒業までに2000万円前後のコストがかかるわけですが、それに見合ったリターンを得ている人は少ないという統計もあります(『マネジメント神話』マシュー・スチュワート著、稲岡大志訳、明石書店など)。
私は、いくつかのコンサルで働いた経験があるので「MBAはダメで、人文知は最高」と言うつもりはありません。MBAを持っていて優秀な人たちもいるし、逆に人文系学位を持っていてパッとしない人も見てきました。ただ、全般的な傾向としては、MBAを持っている人は思考がリニア(直線的)になりがちで「どこかに正解があってそれを探す」という発想になりやすい傾向がある、とは感じています。
■AIによって「正解」があふれる時代
【山口】アメリカの作家、ダニエル・ピンクが2005年にアメリカで出版してベストセラーになった『ハイ・コンセプト』(大前研一訳、三笠書房)のなかで、これからの時代はMBA人材よりもMFA(Master of Fine Art:美術学修士)人材のほうがビジネスにおける価値が高まっていくと書いていました。
実際、デザインスクール出身のベンチャー起業家も増えていたりして(Airbnb共同創業者ブライアン・チェスキーとジョー・ゲビアなど)、論理的な思考よりも感性的な思考が実は重要になっているんじゃないか、ということですよね。
【深井】納得のいく話です。
【山口】20世紀には、問題解決能力のある人材が重視されてきました。ビジネスのボトルネック(隘路)が、不便・不満・不安といった問題をどう解決するかにあったからです。
こうした状況下では、問題を解決する能力よりも「問題を発見し、他者に提起する」能力のほうが重要になっています。世の中の勝利条件や勝ちパターンが変化しているので、求められる人材や、有効な学位やスキルも変化しているわけですよね。
実際にそのような変化は社会に表面化しています。たとえばMBAの応募に必須に求められるGMATの受験者数の推移を見ると、ピークは2009年の3万件で、2024年には1万件と6割近く下落しています。個別のスクールで見れば状況は様々ですが、MBAという学位全体で見ればトレンドは「明確な長期下落傾向にある」ということです。
■グローバルトレンドに逆行する日本
一方で、こういったグローバルトレンドとは真逆に、日本では「文学部を廃止せよ」「人文系学部は役に立たない」といった暴論を吐く人がいる。「世界のコンテキストをわかっていない」というしかありませんが、こういった物言いについては、深井さんと私でタッグを組んで断固闘いましょう。
そうした文系学部廃止の背景にあるのは、日本では勝利条件が変化していることに気づいている人が少ないからだともいえます。これは社会全体として見ると困ったことですが、個人の「人生の競争戦略」という観点から考えると大きなチャンスと捉えることもできます。
なぜなら、マーケットの需要に対して供給ギャップがあるからです。
【深井】そうですね。人文知に長けていると、社会や組織の内外を構造的に理解する力が身につくんです。単に知識があるだけではなく、読書や歴史の学びを通じて社会を構造的に理解しようという身体感覚が身についている人は、どんな組織にいようが、どんな時代に生きていようが、いま、自分が置かれた環境と状況をメタ的に理解することができるはずです。ただ、現状理解をすることは、実はめちゃくちゃ難易度が高いということはあらためて強調したいところです。自分ができていると思っている人のほとんどはできていません。
■現状理解にこそ人文知が必要
【深井】一昔前までは、分業制のもとで各部門が効率性と最適化を追求することが、成果を出すための最も合理的な方法でした。経営層はそれらを統合することで、組織としての力を最大化することができていたのです。でも、いまはどの部門でも、どの職種でも、統合知が必要になっています。
それはビジネスの領域や、ビジネスで向き合う課題の領域が拡大しているからで、どんな仕事でも地球環境問題と無縁ではなかったりします。なので、現状や構造を客観的に理解したうえで、自分の考え方や視点を問い直す。
社会が変化しているから頑張って追いつけということではなくて、社会が変化していることを認識したうえで、自分はどうするのかを決断する。現状をわかっていて決断するのが「自由」ということですよね。わかっていなければ、ただ振り回されることになります。
【山口】リベラルアーツのリベラルは自由という意味で、アーツは技術のこと。つまり、リベラルアーツとは「自由になるための技術」だと私はいろいろなところで主張してきました。一方で、経営学の知見を人生に活かせみたいな本を書いていますし、経営学のフレームワークは有用だとも思っています。
■人文知はROIが高い
経営学はいわば現象学の一種で、ある時点で起きていることを最も説明力のあるフレームワークに落とし込んで、未来に投影していくという学問なんです。ところが、世の中というものは変化します。経営学のフレームワークやコンセプトというものは、いつかどこかで整合性がとれなくなるので、それだけに頼っていると危険ですね。物理法則なら基本的に不変ですから、アインシュタイン方程式はおそらく将来も有効だと思いますけれど。
哲学のような抽象的な学問をやってきた人は、所与の情報源からいま起きていることを自分なりのメカニズムとして組み立てて理解しようという知的な努力をしますよね、やっぱり。
これは、学ぶことのROI(Return on Investment:投資利益率)という視点から言うと、せっかくお金と時間をかけて学ぶなら、時間が経つと使えなくなってしまうフレームワークよりも、学んだら一生使える人文知のほうが、ROIが高いと言えます。さらに言えば、その投資が将来生み出すキャッシュフローを現在価値に換算して、初期投資額を差し引いたNPV(Net Present Value:正味現在価値)が高いのは、人文科学であるという言い方もできると思います。
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山口 周(やまぐち・しゅう)
独立研究者・著述家/パブリックスピーカー
1970年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て現在は独立研究者・著述家・パブリックスピーカーとして活動。神奈川県葉山町在住。著書に『ニュータイプの時代』など多数。
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深井 龍之介(ふかい・りゅうのすけ)
COTEN代表
島根県出雲市出身。大学卒業後、大手電機メーカーや複数のベンチャー企業の取締役・社外取締役などを経て、2016年に株式会社COTENを設立。「メタ認知を高めるきっかけを提供する」をミッションに掲げ、3500年分の世界史情報を体系的に整理。数百冊の本を読んで初めて分かるような社会や人間の傾向・行動パターンを、誰もが抽出可能にする「世界史データベース」を開発中。
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(独立研究者・著述家/パブリックスピーカー 山口 周、COTEN代表 深井 龍之介)

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