60年以上の歴史を誇り、大阪・道頓堀のシンボルとして知られる、かに道楽の「かに看板」。いまや、道頓堀を訪れる観光客にとって外せない“ランドマーク”となっており、昼夜を問わず多くの人で賑わっている。
そんなかに看板だが、実は時代とともに色合いや動き方を変えるなど、進化し続けていたのだ。
道頓堀「かに看板」、実は色や動き方が進化していた。60年以上...の画像はこちら >>
かに看板がいかにして誕生し、今日まで愛されてきたのか。その背景について、株式会社かに道楽 広報担当の西岡 広志さんに話を聞いた。

道頓堀の象徴「かに看板」誕生の裏側

道頓堀は、もともと芝居小屋の看板や暖簾が街の象徴的存在だった場所。

そこでは“商売魂”を表現する文化として、視覚的にインパクトのある看板や暖簾で印象づけることが風習だったという。

このような商業文化のなかで、「かに道楽を象徴する看板を掲げたい」という創業者・今津芳雄氏の思いから、1962年にかに看板が誕生したと西岡さんは語る。

「当時、動く看板や派手な演出というのは業界でも革新的であり、当社が最初に実現した先駆的な取り組みだと聞いています。多くの人々が道頓堀を訪れることを願い、大阪を盛り上げていきたい。そのような強い思いがあり、まずはやってみよう取り組んだと聞いております」(西岡さん、以下同)

かに看板が広く認知されるようになった理由の1つが、心斎橋や道頓堀といった大阪の中心地・ミナミが、自然と多くの人々が集まる場所だったという点だ。

SNSがない時代に、人が直接見て、聞いて、体験することで、「かに看板=道頓堀のシンボル」という口コミが広まったというわけである。

また当時は、日本海で水揚げされるかにを、鮮度を保ったまま運ぶことが難しく、さらには輸送ルートも確立されていなかったことから、「大阪でかにを食べる文化」そのものが存在しなかったという。

こうしたなか、かに道楽は良質なかにを、“生きたまま”輸送するという独自の流通ルートを確立し、大阪に新たな食文化をもたらしたのだ。

「かに道楽を創業してからすぐに事業が軌道に乗ったわけではなく、安定するまで約2年の期間を要しました。
当初は​​かに料理自体が一般的に普及しておらず、当社の知名度もない状況でした。

そこで、少しでも店を知ってもらい、街を活気づけるために“動くかに看板”を掲げたところ、瞬く間に話題となって、商売繁盛のきっかけになったのです」

修理期間さえも“大阪らしい”ユーモアと遊び心を忘れない

道頓堀「かに看板」、実は色や動き方が進化していた。60年以上愛される“大阪名物”誕生の裏側
初代 かに看板の写真
道頓堀「かに看板」、実は色や動き方が進化していた。60年以上愛される“大阪名物”誕生の裏側
2代目 かに看板の写真
かに看板は初代(1962年~1971年)、2代目(1971年~1995年)、そして3代目(1996年~現在)と、時代とともに進化してきた。

かに看板の変遷について、西岡さんは「大きなポイントが2つある」とし、次のように説明した。

道頓堀「かに看板」、実は色や動き方が進化していた。60年以上愛される“大阪名物”誕生の裏側
3代目 かに看板の写真
「2代目への更新時には、より鮮明で、かつ現実的な色彩表現を追求するという姿勢から看板の色合いに大きな改善を加えました。そして3代目の時は、『かに看板をより長く稼働させ続けたい』という願いから、モーターへの負荷を最小限に留め、メンテナンス手法を継続的に改善してきました。このような形で現在に継承されています」

かに看板は機械で動くからこそ、定期的なメンテナンスは必須だが、創業時から一貫して「ユーモア」と「遊び心」といった、“大阪らしさ”を大切にすることを心がけているそうだ。

道頓堀「かに看板」、実は色や動き方が進化していた。60年以上愛される“大阪名物”誕生の裏側
爪のメンテナンス中に掲げた「ピースサインに疲れて休暇中」のメッセージ
例えば以前、足の修理が必要だった際には「足が1本ない状態」を告知するのではなく、「金属疲労で疲れて休暇中」というウィットに富んだ告知を行った。また、昨年に両方の爪を外した時も、かにの甲羅にゼッケンをつけて「ピースサインに疲れて休暇中」といったように、ユニークな文面をSNSにアップした。

西岡さんは、「かに看板は、大阪を訪れるお客様にとって象徴的存在であり、重要なフォトスポットだからこそ、先代の時代から『大阪らしく派手に、みんなの心に刻み込まれるような存在であろう』という思いを大事にしている」と話す。

「ともすれば、爪や足がなければかにとしての完全な姿は損なわれてしまいます。しかし、あえてダジャレを交えたメッセージを取り入れることで、メンテナンス期間という限られた状況だからこそ『逆に記念になる』という価値を提供できると考えています。

企業としての倫理は大切にしながらも、根底にあるのは元気と笑顔です。創業者が度々語っていた『誠を尽くせ』という言葉が、この信念を象徴しています」

コロナ禍の道頓堀に活気を取り戻した「かにまん」

道頓堀「かに看板」、実は色や動き方が進化していた。60年以上愛される“大阪名物”誕生の裏側
コロナ禍で発売したかにまん
このような大阪らしいユーモア溢れる姿勢は、商品開発にも活かされている。

コロナ禍で道頓堀の活気が失われていた時期に、「少しでも面白いアイテムで、みんなを元気づけたい」と考え、かにまんを開発・販売したところ、行列ができるほどの人気商品となった。


今では「かにまんを食べながら、かに看板を背景に写真を撮る」という光景が当たり前になり、広告を打たなくても自然にかに道楽の宣伝につながる流れができているそうだ。

特にアジア圏の外国人からの反響が大きく、かに看板での記念撮影後、「レストランで食事をする」というのがルーティン化しているとか。

道頓堀「かに看板」、実は色や動き方が進化していた。60年以上愛される“大阪名物”誕生の裏側
レストランではコース料理が定番で、写真は夏期シーズンの期間限定メニュー「彩かに造り会席」

かに看板には「2種類の動き」がある

ちなみに、かに看板は道頓堀だけでなく、西日本のいくつかの店舗にも設置されている。興味深いのは「ロードサイド(道路沿い)」と「ビルイン(テナント入居)」の店舗で、手と足の動きが異なる点である。

実際のところ、視認性を最優先に、見る人の印象に残るよう計算されているという。

「ロードサイド店舗では、走行中の車から見やすいように、かにの手と足は水平方向に動きます。一方で、ビルイン店舗では真上や真下から見る視点を想定し、手と足が縦方向に動くんですね。『どこから見てもリアルにかにが動いている』ような見やすさを考えた結果、動き方が2種類になっているわけです。

やはり、かにの躍動感が伝わることが大切で、それによって“新鮮さ”をアピールする狙いもあります。そのため、動きが速すぎないように、ゆっくりと動くようになっているのです」

時代に合わせて、表現方法や見せ方は変えながらも、かに道楽の象徴という本質は変わらない。

上品すぎず、大阪らしい“個性”や“ユニークさ”を保ちながら、磨きを掛けていく。

「今後も先代から受け継いだ遺産を、責任を持って次世代へ繋いでいきたい」

そう語る西岡さんは、どんなにSNSやデジタルが発達した世の中でも、「デジタル化には頑なに対応しない」というスタンスを貫くと強調する。


さまざまな宣伝効果や集客効果を生み出すかに看板は、まさにかに道楽を象徴する存在であり、それに勝るものはないと言えるのではないだろうか。

<取材・文・写真/古田島大介>

【古田島大介】
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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