■「誰も断らない医師」が抱える葛藤
「なんで救ったんですか。死んでくれたらよかったのに……」
医師になって4年目の冬、必死で救命した患者の娘からそう責められた。
水野宅郎さん(48)は現在、大阪府河内長野市にある水野クリニックの院長として診療活動をしている。金沢医科大学を卒業後、富山県の金沢医科大学氷見市民病院を経て、2018年に父の診療所を引き継いだ。
コロナ禍では、2020年の10月にいち早く発熱外来を設置。5000万円を投じてPCR検査機12台を購入し、物置だった場所を改築した。365日受診と往診を行い、診察したコロナ陽性患者の数は年間約6000人にのぼる。
医師1人・看護師4人・事務10名(当時)の小さなクリニックとしては異例の数だ。マスコミからは「誰も断らない医師」として注目を集めた。
だがかつては、「モテたい」という思いが災いして非行に走り、18歳の時に覚醒剤使用で逮捕。1年間の少年院生活で医師になることを決意すると、アルファベットも書けない状態から3浪の末に医学部へ合格した。ようやく本当の意味で「モテる=社会に必要とされる」ようになったからこそ、患者の期待に応えたいという思いは人一倍強い。
その水野さんに向けられた、医療に対する抗議の声。18年前の「なんで救ったんですか」という言葉を、今も忘れることができないという。なぜ、娘は父の命を救ってくれた水野さんを責めたのだろう。
本稿では「誰も断らない医師」が抱える葛藤に迫る――。
■「生きた証しが雑然と転がっている」訪問診療の現場
取材の日、水野さんが最初に往診に向かったのは、認知症の独居女性の自宅だ。少し前までは娘が半同居状態で世話をしていたが、内服回数を減らすなどして一人でも生活ができるようになり、母娘とも、今は生活も気持ちも落ち着いたという。
続いて、91歳の男性が住む府営住宅へ。
布団に横になり、テレビで甲子園の試合を見ていた男性に、水野さんは「(訪問)リハビリさんと一緒に外行ってみるのはどう? 今、桜きれいよ」と誘う。けれど、妻は「今はトイレに行くのがせいいっぱいです」と説明する。「どうしたもんかなあ」と水野さんがつぶやくと、男性は「こんなもんや」とかすかに笑った。
水野さんは「訪問診療の現場には、生きた証しが雑然と転がっている」という。そこに住む人同士の会話、仏壇の上にあった写真、見ているテレビ番組など、訪れた家ではありとあらゆるものが、その人の暮らしを物語る。
「病院で病院着を着ている患者さんを診るのとはまた全然違うよね。病院では家族構成も家系図みたいなものしか見ないやん」
往診先では、家系図には表れてこない関係性を感じ取る。その上で一貫して大事にしているのは、「何が患者(と家族)の希望なのか」ということだ。
とはいえそれは、簡単なことではない。
■「相手の立場に立つ」――少年院から変わらぬ行動
30年前、水野さんが18歳の時に入った少年院で、何度面談を受けても達成できなかった行動目標がある。それは、「相手の立場になって考える」というものだ。
子どもの頃、叱られても何がいけないのか全く分からなかった。自分の中に痛みやつらさといった感情が湧かず、それゆえに人を傷つけることに抵抗がなかったという。少年院での面談を通じて、初めて「自分は人の気持ちが分からないんだ」ということに気がついた。
医者として病院で働き始めてからも、それは変わらなかった。
ある時、救急で重症の患者が運ばれて来た時に、フリーズしてしまった。医師である水野さんがフリーズするとみんなが動けなくなり、どんどん状況が悪化して焦りがつのる。そこで、考えていることを声に出してみると、するするとみんなが動き出した。
振り返ってみれば、今までも声に出している時の方がうまくいっていたし、訓練のときも声に出すように指導されていた。
以来、「今ここでつまずいています」「なぜこうなるか理由を考えています」など、自分が考えていることを積極的に口に出すようにすると、相手の気持ちが分からなくても、理解してもらえることが増えた。
医者として「命を救う」という命題があったからこそ、図らずも生来の特性だった「相手の気持ちが分からない」という壁を突破するための方法を見つけたのだ。
■患者の声に耳を傾けきれなかった夜
他人の気持ちを理解するのが苦手な水野さんが、日々の診療でお守りのようにしていた言葉がある。近代医学の父と呼ばれたウィリアム・オスラーの「患者の声に耳を傾けよ。患者が診断を教えてくれるだろう」という言葉だ。データだけではなく、患者の訴えに耳を傾けることが重要だという意味である。
90歳の重症心不全患者の担当になったときも、人工呼吸器が取れた後、オスラーの教えに従ってじっくり患者と対話をした。日々の食事や嗜好品を確認して目標を決めると、患者のデータはみるみる改善した。
ところがその数日後の夜、看護師から「何かおかしいので来てほしい」と連絡が入る。しかし、激務に追われて5日ぶりに自宅に戻ったばかりだった水野さんは、「データは問題ないはずだし、少し休んでから行きます」と伝えた。
2時間後、再び電話が鳴り、「心肺停止状態です」という。慌てて駆けつけ、数時間かけて心肺蘇生を試みたが、結局心拍は戻らなかった。
最初の連絡で駆けつけていれば、違ったかもしれない――。
人の命を救うためには、患者だけではなく、患者に近しい看護師の声に、もっと耳を傾ける必要がある、と自分に言い聞かせた。
■「なんで救ったんですか」と訴える患者の娘に
医師になって4年目の冬のこと。当時勤務していた金沢医科大学氷見市民病院(富山県氷見市)で当直をしていると、明け方、「雪の中に埋まっていた」という人の受け入れ要請があった。外は前日から降り続ける雪が40センチほど積もっている。
救急搬送された高齢の男性は、低体温症で今にも心停止しそうな状況だった。身元は不明。重度の貧血で状態は悪く、上司の医師は「これはさすがに無理だ……」と諦めた。だが、医師として使命感に燃えていた水野さんは「やれるだけやってみよう」と輸血をおこない、必死で救命。すると男性は奇跡的に回復し、上司にも褒められた。
翌日には身元が判明し、娘だという40代の女性が病院に現れる。水野さんが得意気に「お父さん、かなり危ない状態でしたが、なんとか救いましたよ」と伝えると、思いがけない言葉が返ってきた。
「なんで救ったんですか。死んでくれたらよかったのに……」
娘の口調には、怒りが込められていた。聞けば、父は家庭を顧みずに酒におぼれ、母の葬式にも出席しなかったという。母の死後、父とは別居。アルコール依存と認知症が進んだ父が、雪の中を徘徊していたのだ。
「私にも家族がいるんです。今更こんな人のためにめちゃくちゃにされたくない。好き勝手生きてきたのに、認知症になったら私が面倒見ないといけないんですか」
娘は泣きながらそう訴えたが、費用の問題などから、結局娘の家に父が同居することに決まった。
■「私たちの選択は正しかったんでしょうか」
救急病院に搬送された患者の命を救うのは、医師として当たり前のことだ。だが、それが娘の生活を一変させてしまった。当時の水野さんは、医療の正義が結果的に誰かを苦しめる結果になるとは、想像もしていなかったという。
もし今、同じような患者が運ばれてきたらどうしますか、と問いかけてみた。
「救急病院やったらやっぱり救うと思う。でももし、今の水野クリニックのように、普段から本人や家族とやりとりがあって、その人が生きてきた環境を知っていたら、違う対応をするかもしれない」
同じ頃、80代の男性が救急外来に運ばれてきた。もともと日常生活もやっとの状態で、肺炎から慢性心不全が進み、救命できない恐れが高かった。
娘夫婦を呼んで病状を説明すると、元気だったときから本人が延命治療を希望していなかったことが分かり、心肺蘇生は行わず、人工呼吸器も使用しないことを確認した。水野さんはカルテにもその旨を記入して当直医に引き継ぎ、その日は帰宅。ところが翌朝出勤すると、その患者に人工呼吸器がつけられていた。
どうやら、当直医に「お父さんを見殺しにするのか」と何度も問いただされた娘夫婦が、結果的に人工呼吸器を希望したようだ。娘夫婦は泣きながら「私たちは正しかったんでしょうか」と水野さんに訴えた。
本人が事前に「延命治療は望まない」と明確に意思表示をしていたにもかかわらず、「見殺しにする」という言葉で医師が同意を誘導するのは、やりすぎではないか……。
水野さんは相変わらず相手の気持ちを理解することが苦手だったが、相手を理解するために対話をする努力は惜しまなかった。複雑な思いを抱えたまま、患者が若かった時の思い出や妻との馴れ初め、好きな食べ物など、ひたすら娘夫婦から話を聞いた。
人工呼吸器を装着して2日後に患者が亡くなったあと、娘夫婦はもう一度水野さんに尋ねた。
「本当に私たちの選択は正しかったのでしょうか」
「分かりません。でも、娘さんに見守られて逝けたのなら、よかったのではないでしょうか」
そう答えるのがやっとだった。
■正確な血圧より求められた「大先生」の存在
患者の命を救うのが医療の正義だと信じてきた。その正義のために、他人の気持ちがわからない自分でも、少しでも理解できるように努力を惜しまなかった。だが、それだけでは救われない人がいる。
では、医者がやるべきことは一体なんなのだろう――。
2015年に診療所を営む父が癌で倒れたとき、初めて父の診察代行を担当した。このとき、何年も父と一緒に働いてきた看護師が診察前に教えてくれた患者の情報が、想像以上に細かくて驚いたという。
「この患者さんは息子の嫁とうまくいっていないので家族の話はNGです」
「旦那さんが今心筋梗塞で入院中で、このあとお見舞いに行くそうなので診察は短めに」
といった具合だ。父は人間関係から悩みごとまで、あらゆることを把握して診察に活かしていた。
診察では、血圧が高い患者に「強めの降圧剤に変更しましょう」と伝えても、「大先生に測定してもらえばまた血圧は安定するはず。大先生が戻ってくるまで血圧の薬は変えないでくれ」と言われてしまう。
また、古い時代のガイドラインを感じる処方内容だった患者に、説明して最新のガイドラインの処方をすると、翌日には「胸焼けがしたから、大先生の処方に戻してくれ」と再び来院する。
「患者にとっては、正確な血圧の値やエビデンスに基づいたガイドラインよりも、何十年も毎月父に血圧を測定してもらい、父と相談しながら選択をしてきたという事実の方が大事やったんです」
父は倒れる前、「患者さんに迷惑がかかるから」と言って強い鎮静作用のある痛み止めを自分で注射し、体調よりも診察を優先していたという。患者が父との関係性にこそ信頼を置いていたことを、父は一番よく分かっていたのかもしれない。
2020年、父が亡くなると、コロナ禍で葬儀に参加できなかった地域の患者たちが沿道に100人ほど並び、父を乗せた車に向かって手を合わせた。
医療の正義が揺らいでいた水野さんが目指すべき姿が、そこにあった気がした。しかしその父からの教えが、後に水野さんを難しい決断へと導くことになる。
■「末期だから家で寝とけっていうのは違う」
2023年、手の施しようがない状態になった末期癌患者の往診を依頼される。水野さんの経歴にも注目し、「誰も断らない医師」としてこれまでも何度か取材に来ていたテレビ大阪が、この患者とのやりとりを密着取材することになった。
患者が在宅を選んだのは、最後まで自由に趣味のスポーツ観戦をしたいというのが理由だ。医療の正確性よりも患者との関係性に信頼の核心があると父から学んでいた水野さんも、「末期だから家で寝とけっていうのは違う。やれることはある」と患者の希望をサポート。
リスクと天秤にかけ、「6時間も相撲観戦なんて、まともな医者なら許可せえへん」と言いながらも本人の希望を尊重し、「大阪で開催された大相撲の千秋楽に同行した。
けれども、患者は次第に食が細くなり、容態も悪化。治療や看護のために毎日患者の自宅を訪れていた看護師は、「最後に福岡まで野球観戦に行きたい」と言う患者の希望を叶えたいと主張した。ところが、水野さんはこれに反対する。
■「死んでも行く場所はここじゃない」
「一日も欠かさず抗生剤を入れて、痛みを抑える麻薬も使って、輸血もして。普通なら即入院になるような状態で新幹線に乗せるのは、ちょっとありえないと思ったかな。本人は『死んでもええから行く』って言ってたけど、実際に現場で緊急搬送みたいなことになったら、球場という楽しい場所が周りの人にとっても別のものに変わってしまうわけやろ。死んでも行く場所はここじゃないんじゃないかって思ったんです」
本人や家族の希望は確かに重要だ。だが、トラブルが発生したときの懸念は大きい。
ただ水野さんには、患者に近い看護師の言葉に耳を傾けなかったことで命を救うことができなかった、かつての後悔があった。
何度も話し合いを重ねた末に、結局、「何かあったらすぐに引き返す」という条件付きで、看護師が同行して点滴をしながら向かうことになる。
2024年、その様子がテレビ大阪のYouTubeで公開されると、560万回再生を記録し、感動を呼んだ。しかし、賞賛の声が多く寄せられた一方で「そんなに医療費を使って遠くまで野球を見に行く必要があるのか」というコメントもついた。水野さんはそれに対し、「それは俺もそう思う」と正直に打ち明ける。
動画は、無事に自宅に戻って看取ることができたからこそ感動物語として拡散されたが、水野さんは今でも、状態が悪くなった患者を福岡まで行かせるべきではなかったのではないか、と振り返る。
■「恩返し」の裏で、無力感に襲われた保護司の看取り
2024年、少年院から出院したあとに保護司になってくれた田中輝彦さん(享年84歳)を看取った。田中さんは、医学部を目指して浪人を繰り返している時に「早く医者になって俺の死亡診断書を書いてくれよ」と優しく背中を押してくれた人物だ。
「かつての恩返しをした」としてメディアで取り上げられたが、実際は「達成感などなかった」と水野さんは言う。
肺の病気で息が苦しく、痛みが強い中「しんどい、もう死にたい」と言っていた田中さんを前に、医師としてできることは何もなく、無力感が襲った。
患者と信頼関係を育み、本人や家族の希望を第一に考えるというポリシーは揺るがない。しかし、患者の希望とは何なのか、患者の希望を叶えることが本当に正しいのか、「誰も断らない」が故に、日々迷い、葛藤を続ける。
■「誰も断らない」医師は、迷い続ける覚悟を決めた医師だった
現代の医療にはさまざまな選択肢がある。ただ、「医療をどこまで介入させるか」という問いに、明確な答えはない。
いまだに「高い医療費を投じて高齢者を生かす意味があるのか」という声は定期的に浮上するが、生死の問題をコストと結びつけて議論すること自体、そもそも危うい。
水野さんは、これについてどう考えているのだろう。
「どこから意味がないことなのかっていう線引きを医者がしてしまうのは、医者のおごりやと思う。『そんなことしても意味ない』って言い出したら、タバコ吸うのも意味ないし、酒飲むのも意味ないし、みんな意味ないことになってしまうやろ。確かに医者として思うことや考えることはあるし、説明するべきことはするけど、意味があるかないかっていうよりも、その人が何を望んでるかっていうことを優先すべきやと僕は思います」
水野さんは本人や家族の決断を、医療者として支えるだけだ。大切なのは、あくまでも自己決定。「誰も断らない」とは、医療と患者の希望の間で迷い続ける覚悟を決めているということなのかもしれない。だからこそ水野さんは、今日も迷い、葛藤する。
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ざこうじ るい
フリーライター
1984年長野県生まれ。東京大学医学部健康科学看護学科卒業後、約10年間専業主婦。地方スタートアップ企業にて取材ディレクション・広報に携わった後、2023年よりフリーライター。WEBメディアでの企画執筆の他、広報・レポート記事や企業哲学を表現するフィクションも定期的に執筆。数字やデータだけでは語りきれない人間の生き様や豊かさを描くことで、誰もが社会的に健康でいられる社会を目指す。タイ・インド移住を経て、現在は長野県在住。重度心身障害児含む4児の母。
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(フリーライター ざこうじ るい)

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