■「EV元年」の2018年、トヨタの判断は早かった
「EV元年」といわれた2018年。それは世界の主要国がEVへの偏重を発表したのが前年に始まったことによる。
アメリカの一部州やイギリス、中国は2035年までにガソリン車の新車販売をとりやめることを決めた。日本では2021年、菅義偉首相(当時)が施政方針演説で「2035年までに新車販売で電動車100%を実現する」と表明した。
既存自動車メーカーもまた自社の意志でEVへ力を注ぐと決めていた。GMは2020年に「2025年までにアメリカ国内のラインアップの40%をフルEVとする」とした。メルセデス・ベンツは2021年、「2030年までに全販売車種をEVにする」と発表。しかし、今年(2024)、それを撤回している。

フォルクスワーゲングループもまた同じ年に「2030年までに、新車販売の50%をEVにする計画がある」とした。
では、トヨタはどうだったのか。
実はトヨタの判断は早かった。各社に先立つ2017年12月には「2030年には電動車(HV、PHV)の販売を450万台以上、BEV(バッテリーEV)、FCV(燃料電池車)を100万台以上販売する」と発表している。その後、2021年には「30年、BEV販売台数を350万台」と従来計画よりも引き上げた。
つまり、トヨタはどこよりも早く意欲的な電動車戦略を発表していた。
にもかかわらず、「トヨタのEV戦略は周回遅れだ」「エンジン車ばかり作ろうとしている」と言われ続けてきたのである。
■豊田会長が語った「ガソリン車をやめない理由」
ただ、2024年、BEVの売れ行きが落ち始めている。欧米、中国、日本など14カ国では、2023年のハイブリッド車の販売台数が前年比30%増と、EV(同28%)を上回った。トヨタのハイブリッド車の販売台数は過去最高だ。このため、「トヨタはEV戦略が遅れていたために、注力したハイブリッド車が売れている」といった論調が出てきた。
これは正確ではない。
トヨタのEV戦略の策定、発表は早かったし、現在、ハイブリッド車が売れているのはEV戦略が遅れたためではない。
今、トヨタのハイブリッド車が売れているのはユーザーが欲しい、買いたいと思ったからだ。
政府やメーカーが「この商品を何年後までにこの数量だけ買え」と決めたからといって、消費者は買わない。消費者は自分に必要なものだけを買う。商品の売れ行きを決めるのはマーケットだ。
話は2018年の社長室に戻る。
わたしはそこで現会長、豊田章男と会ってインタビューをした。彼の部屋はミニチュアカーの模型などが飾っている運動部の部室のような狭い部屋だった。彼はこう話した。
■「お客さまが欲しいと思う車を作るのが仕事」
【豊田】近頃(2018年当時)、EVのことをよく聞かれます。私はレースに行って、サーキット内のインタビューで「ガソリン臭いクルマが好き」なんて言っています。だから、豊田章男はBEVに対して反対しているんじゃないかと思われてしまう。
でも、そんなことないんですよ。トヨタはバッテリーEVもハイブリッドもFCVもすべてやります(当時はまだマルチパスウェイという言葉は使っていなかった)。それは、トヨタはお客さまが欲しいと思う車を作るのが仕事だからです。バッテリーEVだけに選択肢を絞るなんてことはできません。
野地さん、トヨタの現場をご覧になったと思いますが、トヨタ生産方式って、「必要なものを必要なだけ必要な時に」が原理原則です。
そして、「必要なもの」って政府や自動車会社が決めるものじゃないんです。
お客さまが必要とする車をつくる。寒冷地や砂漠ではバッテリーEVでは心配だという人がいる。国によって場所によって条件が違うからあらゆる車を作る。お客さまにとって必要な車を作るのがトヨタです。

■「数字だけを与えると人は何も考えなくなる」
トヨタの公式サイトにはトヨタ生産方式のジャスト・イン・タイムについて、「お客様にご注文いただいたクルマを、より早くお届けするために、最も短い時間で効率的に造る」と書いてある。
彼は当時のBEV偏重に逆らうために「すべての車を作る」と決めたわけではない。商品を買うユーザーがBEV、ハイブリッド車、FCV車のどれが自分に必要か判断するべきで、自動車会社が「これを作る。あれは作らない」と決めるわけではないと正論を言っただけだ。
彼はあの時から同じことを言ってきた。発言がブレたわけではない。
カーボンニュートラルについても、「敵は炭素で、エンジンではない」とこれもまた言い続けているが、こちらはあまり記事にはなっていない。
「豊田さん、トヨタは今、3位だから世界トップになったらいいのに」と聞いたら、「いや違います」と言下に否定した。
【豊田】台数とか数字は目標じゃないんです。それは違います。数字だけを目指すと間違いが起こる。そして、数字だけを与えると人は何も考えなくなる。トヨタの現場では考える人が働いています。考えて仕事をする会社です。ひとりひとりが現場で考えながら車を作っているんです。
■「もっといいクルマをつくろうよ」の本当の意味
【豊田】私が社長になった時、「もっといいクルマをつくろうよ」って言ったんですよ。「なんだ、小学校の標語か」とか言われたけど、それはね、答えを言わないことでみんながそれぞれ考えてほしかったんです。いい車って、何か。それは人によって違うはずです。自分にとっていい車なのか、それともお客さまにとっていい車なのか。それから「もっと」が大事。もっといいクルマをつくろうよなんです。
今の車に満足していてはいけない。もっといいクルマをつくる。それだけに、ひとりひとりが考えなきゃいけない。自分たちはクルマ屋だ。もっといいクルマをつくって、お客さまに喜んでもらおう。町工場から世界規模の自動車メーカーに成長したとしても、忘れてはならないことがある。
大切にしてきたのは現地現物とお客さま第一の精神です。目先の利益にとらわれず、足元を見直し、もう一度前を向こう。自分たちなりの歩き方と歩幅で踏み出していけば、そこには未来が拓ける。そういう意味なんです。

■「もがいている姿を書いてほしい」
わたしが6年前に聞いた、このふたつに関しては今もまだ言い続けている。何かあると原理原則に立ち返り、判断し、即行動する人である。
あの時、部室のような社長室から帰ろうとしたら、こう声をかけられた。
「野地さん、トヨタは100年に一度の危機で、みんな、もがいているんですよ。もがいている姿を見にきてください。トヨタのいいところなんて書かなくていいですから、もがいている姿を書いてほしい」
そして、笑いながら付け加えた。
「どこを見てもいいですから納得してから書いてください」
納得してからと言われて、困った。もっと現場へ行って取材してくれということなんだろう。それからわたしはまた取材した。工場、販売店、部品会社、サーキットへ行った。現場で会えば、立ち話はした。
ドイツのサーキット(ニュルブルクリンク)ではトイレで出会った。横に立って、「野地さんですよね?ニュルまで来ていただいていたんですね」と丁寧に挨拶された。彼は夜中も走る24時間耐久レースで戦っていた。暗闇を瞬間時速250キロで走るなんてことをやりながら、気遣いを欠かさない人なのである。
側近に囲まれて、ガラスの温室から出てこない人ではなく、現場で仕事をする人だ。そして、現場ではざっくばらんに人と話をする。
オープンな人なのに、マスコミからは「閉鎖的」と叩かれた。今、思えば、「トヨタのもがいている人たちを書いて」と言われたけれど、この6年間、いちばんもがいていたのは豊田章男だった。
■トヨタ工業学園の卒業式で語ったこと
今年の2月20日、トヨタ工業学園の卒園式が本社内の講堂で開かれた。同校はモノづくりのプロを育てる企業内訓練校だ。中学を出た人が入る3年間の高等部、職業高校を出た人が入る1年間の専門部がある。学費はなく、給料をくれる学校だ。社長時代から、卒業式には必ず出席していた。そこで、卒業式の間にインタビューすることにした。
彼自身は「卒業生からパワーをもらうことができる日」と言っている。
その前に、現在のトヨタが置かれた環境についてまとめておく。
2023年、トヨタグループの世界販売台数は前年比7.2%増の1123万台で過去最高だった。2位のフォルクスワーゲンは924万台。トヨタは4年連続での世界首位となった。営業利益は4兆円以上となり、時価総額は60兆円を超えた。
だが、豊田章男という人間は、利益が4兆9000億円であっても浮かれたりしない。「ほうっておくと、すぐに昔の、台数や数字規模のトヨタに戻ってしまう」と危機感を口にする。
今回のインタビューはトヨタ工業学園についての話から始まった。
■座学ではなく、現場で人の心を学ぶ場所である
【豊田】トヨタ工業学園にいる時から学園生は社員です。教室で学ぶだけでなく、ちゃんと現場で実習をしている。学園生を見ていると、やはり、人は実体験から学ぶんだなと思います。私は工業学園の人たちに対して勉強ができる人になってほしいとか、技能がいちばんになってほしいなんて、言ったことありません。私が学園のみんなに期待することはモノづくりの心を持つこと。最後まで諦めずに自分が手を汚して現場で頑張る。そういう気持ちがあれば、知識は覚えますし、技能は身に付きます。
決して諦めずに、最後までやり抜く心の部分を学園で学んでほしい。もう、それだけを言ってます。まあ、これは私ひとりが言っているのではなくて、河合おやじ(正式な肩書 生産現場のトップ)がいつも言っていることです。
工業学園は座学より、現場に入って人の心を学ぶ場所。日本の教育って、私が学生だった頃から知識をどれだけ知っているのか、理屈をどう紐解いていくかを偏重してきたでしょう。しかし、リアルワールドではそうではないと思う。理屈も必要ですが、それよりも、仕事の上では人の心を大切にしなければと思います。

■「オレたちもまだまだ抜かれるわけにはいかん」
【豊田】今、自動車業界は解答がない時代にいます。解答がない時はまず行動するしかない。やりながら、共感できる仲間を増やしていく。面白いと思って行動すれば未来の景色は変わる。卒業生たちを見てください。ほんと、みんな面白い。卒業式の間は一斉に起立して、卒業生代表もいい話をする。規律があります。でも、その後、もう一度、集まって僕らと握手会みたいな、記念スタンプを押す会をやりますけれど、普通の18歳に戻って、やんちゃですよ。でも、うちの現場はそういうところなんです。みんなが面白いから現場は回っていく。

【豊田】卒業式では私だけでなく、壇上の幹部は涙ぐむ。だけど、その後のスタンプ会ではみんな笑ってる。はじけてますよ。私も学園のみんなから元気をもらっています。育てて頂いている保護者、先生方にも本当にいつも感謝してます。もうひとつ大事なことがあります。学園のみんなには現場に入ったら早く成長してほしい。一方で、僕らも頑張らなきゃいけない。これまた河合おやじが言うのですが、「若いもんには早く成長してほしいけれど、オレたちもまだまだ抜かれるわけにはいかん。自分たちも成長しなくちゃいかん」
私も含めて、現役社員、新しい人が入ってくるたびに成長しなきゃいけない。

わたしは卒業式後のスタンプ会の様子も見た。確かに、18歳は元気だ。はじけまくっていた。トヨタ工業学園は真面目ひとすじの優等生タイプを育成する学校ではないことはよくわかった。
■豊田自動織機、ダイハツ工業、日野自動車の責任者として
次の話題はグループ会社の不正、不祥事についてだった。
【豊田】認証というのは一定のルールで安全面、環境面における基準をクリアにし、この車を量産してもいいという認可を得るものです。今回はそこで不正があった。ただし、不正イコール、乗っていただいている車が危険であるということではないんです。そのことを説明するのが遅れました。そこがいけなかった。これではトヨタグループへの信頼を失ってしまうと思ったので、私が出ることにしました。そして、責任者は私ですと名乗り出たわけです。今回のような不正が出ると、責任追及と犯人探しが始まります。そうしたら、私が出るしかない。はい、私が責任者ですと名乗り出ることで、叩かれるのは私になる。
そうすれば、うちの現場は元に戻れます。現場はちゃんと動くんです。大切なのは現場をしっかりと動かすこと。ただ、私は叩かれます。

■トヨタの「自主研」を不正が起きた認証工程に導入する
【豊田】今の世の中、不寛容になっていると思います。報道も責任追及と犯人探しに終始する。しかし、本当に大切なのは何が起こっていたのかを知って、真実を明らかにすること。そして、それを世間に正しく理解をしてもらうこと。私はこれからもしっかり説明していきます。組織の長というのは結果責任です。今回不正が起きた3社の認証工程にTPS(トヨタ生産方式)をしっかりと導入して、自主研(自主研究会)をやります。どのような仕事の工程になっているのかを明らかにして、異常が見える、改善が継続できる職場に変えていきたいです。

トヨタ本体の自主研であればわたしは何度か見たことがある。問題を探し出し、細かいところまで調べてカイゼンを継続的に行う。そして、それを発表する。日ごろの仕事を見直す機会だ。そして、つねに異常が見える職場にすることで、閉鎖的だった職場がオープンになる。
そうすれば不正、不祥事は起きにくくなるし、隠しておくことができなくなる。自主研は生産現場を中心にグループでも日頃からやっている活動だが、今回は不正が起きた認証工程に導入しようというものだ。
■私は「トヨタのディスポーザー」
さて、彼はトヨタ自動車会長であると同時に、自動車産業全体を守る日本自動車工業会の会長でもあった。約5年の任期中にEVブームが到来しても、「敵は炭素であり、ガソリン車ではない」と言い続けてきた。自動車産業で働く550万人の雇用を守るためである。
例えば、EVのための電気を作るには発電しなければならない。現在の日本は火力発電がほとんどだ。バッテリーEVで使う分の電気を火力発電で作れば、そこからCO2が出る。自工会会長としてそのことをずっと伝え続けてきたことで、世の中にも少しずつ理解されてきてはいる。
【豊田】私はずっと叩かれている。私の人生そのものですね。これまで孤軍奮闘でやってきても、結果は関係なく叩かれる。私は自分のことをディスポーザーだと思っています。処理役。トヨタグループおよびトヨタ自動車のディスポーザー。何か事が起こると処理をする役です。ただ、ディスポーザーが役割を果たしたら、きれいな水になる。完全にきれいでなくても、害のない水にはしたい。処理をしたからといって、すべてきれいに解決する訳でもないです。

それでも私のようなディスポーザーがいることで、一歩一歩でも未来につなげていきたいという想いです。

経営者だからと偉そうに、かっこつけても仕方がない。叩くのはいつも、会ったことのない人だ。そして、そんな人に限って、一度会ったら次はとてもにこやかに接してくる。会った人は変わる。そういうものではないか。
「僕のことより、学園のみんなのこと、ちゃんと書いてください」
そして、彼はまたこう言った。
「納得してから、ですよ」

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)

ノンフィクション作家

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)