どこででも働け、生活できる時代に人はなぜ上京するのか。元号が令和になってから上京した人にその理由を尋ねるシリーズ「令和の上京」。
第8回は、一浪後入学した東京大学で「女性特有の受験の障壁」に気付き、女子の進学の選択肢を増やす団体を立ち上げた江森百花さん(24)――。(取材・構成=ノンフィクションライター・山川徹)

(取材日:2025年3月24日)
■「浪人する女子」の違和感の正体
地方女子の前にある受験の障壁――それを私も知っていたはずなんです。それなのに、実家がある静岡市にいた頃は、あまりにも当たり前すぎて、壁があることにすら気づいていませんでした。
いえ、小さな違和感はありました。ですが、違和感の正体が何か。言葉にはできませんでした。首都圏在住の人に比べて、地方に暮らす人がさまざまな機会を失っているという意識もなかった。損をしたくなければ、自分が東京に行けばいいと思っていたくらいですから。
でも、実際は受験や就活などさまざまなタイミングで地方と首都圏の学生では差が出てしまいますよね。いま振り返れば、あれもそう、これもそうという感じで……。
■「女性だから」という理由で進学の選択肢が狭められている
私が高校時代に抱いていた違和感をはっきりと自覚したのは、2020年に東京大学に入学してからです。
首都圏の進学校出身者たちは、男女問わず「とりあえず東大」という環境で、女の子の浪人も珍しくありません。

一方で、私の地元には東大を目指す女の子も、実力よりも上の大学に進むために浪人する女子もほとんどいなかった。
私は東京と地方の学生の意識の違いに愕然としました。高校時代、私の周りにも東大に入れるポテンシャルを持つ女の子はたくさんいましたが、彼女たちの選択肢に、最初から東大はなかった。
もちろん難関大学の進学だけが正しいと考えているわけではありません。ただ「女性だから」「生まれ育った場所が地方だから」という理由で、将来の選択肢の幅が狭められてしまうとしたら……。なんてもったいないんだろう、と思ったんです。
■予備校の東大クラスに女子は私1人だった
私が東大に憧れたのは、幼い頃に医師になりたかったからです。両親に話すと「それなら日本一を目指してみたら」という話の流れから、東大という名前をはじめて知りました。5歳くらいだったので、東大ってなんだろうって感じだったんですけど(苦笑)。
県立静岡高校に進学した私は、いつも「絶対に東大に行く」と公言していました。志望校や、将来の夢を語るのは男の子ばかりで、志望大学について話す女の子はいなかったので、かなりイレギュラーな存在だったはずです。
3年生の時点で東大を目指していた女の子は私を含めて5人でしたが、男子は12人。
私以外の女の子は、部活に入らずに熱心に勉強し、学年で1、2番を争うようなタイプでした。
私は部活もしていましたし、上位20位以内には入っていましたが、ほかの東大志望の女の子たちに比べると成績が悪かった。私と同じくらいの成績の女の子たちは、東大ではなく、静岡から近いという理由で名古屋大学や、地元の大学の薬学部や医学部を志望する場合が多かった。実力よりも高い大学を目指す子も、東京に出ようとする子も少なかった。私は「女の子が少ないな」「みんな控え目だな」と感じていました。
そもそも地方の学生、とくに女の子は浪人を避ける風潮があります。実際に、浪人時代に通った予備校の東大クラスでは、文系と理系を含めた約20人のうち、女子は私だけでした。
■女子寮で出会った友人が私を高めてくれた
一浪して東大に入りましたが、新型コロナのせいで半年くらいは静岡の実家で、講義をオンラインで受けていました。カラオケやカフェに入りにくい時期でも、東京在住のクラスメートたちはこっそり集まっていたみたいなんですよ。東京の子たちは仲間意識が芽生えているのに、私たち地方出身の子は、オンラインでしか顔を合わせられない。それがイヤで。早く上京したいという気持ちが強くなっていきました。

やっとこっちに来られたのは、2020年の7月末です。地方出身の女子学生向けの寮に入寮しました。7階建てで、1つのフロアにあるのは20部屋くらい。洗面台と冷蔵庫だけがあって、キッチンとお手洗いは共同。本来なら、100人以上の東大生が暮らしているはずの寮には人気(ひとけ)がなく、シーンとしていました。
誰もいないんだろうな。そう思っていたら、人とばったり会ったんです。兵庫県出身の彼女も、私と一緒でどうしても早くこっちに来たくて、1週間前に入寮していたそうです。それが、後に一緒に団体を立ち上げることになる川崎莉音との出会いでした。誰もいないから急速に仲良くなって、ずっと2人で一緒にいるようになりました。
刺激的だったのは、川崎との日々の会話です。社会問題にまったく興味を持っていなかった私に対し、川崎は高校時代から国際問題や性暴力犯罪などについて調べていました。
川崎の話は驚きの連続で、いつも2人でマジメな話をしていました。
■大学受験には、地方の女子を阻む壁がある
自分が向き合える社会課題はなんだろうと考えるようになったのは川崎の話を聞いたり、ジェンダー論の授業を受けたりしたからです。そうして、私自身が、当事者である2つのことに気がつきました。
ひとつが、女性であること。
もうひとつが、地方出身であること。
そんな問題意識から、川崎と一緒に大学2年の秋に立ち上げたのが、#YCP――地方女子の進学の選択肢を増やす活動を行う“特定非営利活動法人#YourChoiceProject”です。
最初の1年くらいは、ウェブ記事やインスタグラムを通じて、地方の女の子たちに向けて情報発信を細々とやったのですが、ほとんど反応がなかった。大学受験には、地方の女子学生を阻む壁がある。その現実をどう伝えるか。模索しているなかで、大学の同級生の男子にこう言われたんです。
「その考えって、ドグマティック(独善的)じゃない?」
私や川崎の個人的な体験を一般化しているだけで、そんな現実や社会課題は存在していないのではないか。彼は、そう指摘したかったのでしょう。

でも、私も川崎も、絶対に地方女子の前に受験の壁が立ちはだかっていると確信していました。けれど、その現実を証明する客観的なデータがない。だったら、自分たちで調査をしてみようとアンケートやインタビューをはじめました。地方女子が置かれた状況を変えようにも、根拠がなければなにもはじまりませんから。
■「浪人すると婚期を逃す」がいまだに信じられている
約3800人へのアンケートをまとめ、23年に#YCPのホームページで「なぜ、地方の女子学生は東京大学を目指さないのか」と題して公開しました。これに学生や父母に対するインタビューを加えて『なぜ地方女子は東大を目指さないのか』というタイトルで24年には書籍にもなりました。
たとえば、〈自分が志望する大学に行くためなら浪人したいか〉という設問に対して、地方女子は、首都圏の女子、地方や首都圏の男子に比べて、明らかに否定的に捉えているという結果が出ました。
アンケートに「浪人すると婚期や出産適齢期を逃す」と回答した女子学生もいました。実際に話を聞いてみると、彼女は、浪人はいけないことだとぼんやり意識していただけでした。その理由が、結婚や出産が遅れると一般的に言われているから。それは、当事者である彼女だけの話ではありません。
別の女子学生のお母さんは、娘の浪人を認めない理由に金銭面の不安を挙げましたが、詳しく聞くと本音を吐露してくださいました。

「子育てを考慮すると1年の遅れがネックになるではないか。子育てには体力が必要なので、娘には若いうちに子どもを産んでほしい。男の子は浪人をしても良いかもしれないけど、娘には浪人をしてほしくない」
■浪人する女子が少なすぎて周囲と違う選択肢が取れない
現実として、1年の浪人で結婚や出産のタイミングが大きく変わるわけがありませんよね。
私には、女子学生も、お母さんも、周囲とは異なる選択を躊躇しているように見えました。つまり周りに浪人する女子が少ない。だから、女子学生も、お母さんも、周囲と違う選択ができないんじゃないかと。
調査では、地方女子のロールモデル不足も明らかになりました。地方にはロールモデルが少ないから、選択が限られてしまうのではないかと考え、東大の女子学生と地方の高校生がメンターとメンティのペアを組むプロジェクトもスタートさせました。月に1度オンラインで、受験勉強や進路について相談に乗ったり、東京や大学生活について話したりする取り組みです。
私が浪人をしてまで東大にこだわれたのは、両親が周りと違う選択を恐れない価値観を持っていたからです。高校卒業後に渡米した父は古着を輸入する会社を創業し、いまも静岡で通販のサイトを運営しています。
大学受験を経験していない両親は、手探りで私の受験をサポートしてくれました。東大を目指すなら都内の高校に進学したほうが有利なのではないかと筑波大学附属高校や東京学芸大学附属高校に見学に連れて行ってくれたり、受験指導で有名な精神科医の和田秀樹先生の講演会に連れて行ってくれたり……。
人と同じである必要はない、やりたいことがあれば、なんでも挑戦すればいい。#YCPの活動を通じて、そんな感性を両親から受け継いでいたんだな、と改めて実感しているんです。
■東大に入れて上京できたから「地方の女子」の課題が見えた
私にとってのロールモデルは、両親のほかに、もうひとりいます。それが、医師に憧れるきっかけになった女医さんです。
実は、私が5歳の頃に生まれた妹が3カ月ほどで亡くなってしまいました。ただ幼かった私は、妹の死をよくわかっていなかった。自分の妹という感覚もあまりありませんでした。病室のガラス越しに見ているだけの赤ちゃんだったので。
私にとって、妹の死以上に印象に残っているのが、両親が苦しんでいる姿です。子どもにとって両親は絶対的な存在ですよね。そんな両親が女医さんを信頼し、頼りにしていた。女医さんが特別に見えました。幼いながらも、人の支えになれる人って、スゴいなと感じたんです。
高校時代に、海外で働いてみたいと思って志望を理系から文系に変えましたが、いまも、人を支えたり、人に影響を与えたりする仕事に憧れているのは変わりません。
この春東大を卒業し、民間企業に就職しました。今後は仕事の傍ら、個々の能力を活かせる取り組みを行うD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)に携わりたいと考えています。
私は両親を支えてくれた女医さんの姿を見たからこそ、東大を目指して勉強しました。そして上京し、東大でいろんな人と出会えたおかげで、当事者でありながら無自覚だった“地方と女子”という社会の課題に気づけたと思っているんです。
プレジデントオンラインでは、「令和の上京」の体験者を募集しています。
本連載は、個々の上京を通して、令和という時代や、東京と地方の格差、社会の変容を浮かび上がらせる目的で取材を続けています。
取材をお受けいただける方は、生年や出身地、ご職業、上京の時期や動機、思い出やエピソードなどを添えて、右のQRコードのアドレスもしくは〈reiwa-jokyo★president.co.jp〉(★を@に変えてください)までお送りください。

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山川 徹(やまかわ・とおる)

ノンフィクションライター

1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。最新刊に商業捕鯨再起への軌跡を辿った『鯨鯢の鰓にかく』(小学館)。Twitter:@toru52521

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(ノンフィクションライター 山川 徹)
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