※本稿は、香田洋二『自衛隊に告ぐ 元自衛隊現場トップが明かす自衛隊の不都合な真実』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■自衛艦隊のうち5割強は「航空機」にかかわる隊員
海上自衛隊の組織文化を論ずるためには、海上自衛隊がどのような組織であるかという基本を踏まえておかなければならない。
世界の海軍と比べると、海上自衛隊は珍しい存在だ。海上自衛隊で戦闘を担う部隊は一つにまとめて自衛艦隊の下で組織されているが、この自衛艦隊のうち、最も多い人数を占めるのは、実は艦乗りではない。5割強は航空機の搭乗員や整備、管制にかかわる隊員なのだ。
このような構成の海軍は、世界広しといえども、海上自衛隊と米海軍ぐらいしかない。米海軍の場合は空母から発着艦する戦闘機パイロットや整備士など航空任務に従事する海軍軍人が多いのは理解できるだろう。海上自衛隊の場合は、敵の潜水艦を発見し、追尾する哨戒機やヘリコプターが大きな比重を占めるため、航空部隊の人数が大きなボリュームを占めている。
そうはいっても、海上自衛隊はやはり艦乗りの組織だ。それは明治以来の海軍の成り立ちからして、まずは艦艇を操るための軍として出発し、その文化が連綿として引き継がれているからだ。陸上勤務であろうと、航空部隊であろうと、艦艇での任務と生活を基本とした組織が海上自衛隊なのである。
■「上陸」は外出、「別法」は宴会のこと
海の世界の特殊性が分かりやすいのは、言葉遣いだ。
例えば、海上自衛隊では基地の外に出かけること、つまり外出を「上陸」と言う。いうまでもなく、基地は陸上にあるので、外出するにしても同じ陸上を移動するだけなのだが、海上自衛隊では「上陸」なのだ。これは、船から降りることを上陸と呼ぶことから、基地から出ることも上陸と呼ぶようになったといわれている。
あるいは、「別法」と聞いて、何のことかわかるだろうか。海上自衛隊では「本日の別法は1900から開始いたします」というように使われる。これは旧帝国海軍から使われている言葉で、宴会を意味する。
船の中には士官室がある。これは艦長以下、幹部が集まる部屋だ。基本的には報告を受けたり、作戦について話し合ったりする場所だ。艦内飲酒が許されていた旧海軍における士官室での宴会を、通常業務と区別をつける意味で「士官室別法」と呼ぶ習わしが海上自衛隊にも引き継がれ、上陸して陸(オカ)の街(マチ)で飲む場合も「別法」と呼ぶようになった。
■「おい、この資料をレッコーしといてくれ」
しつこいようで申し訳ないが、建物の床のことは「デッキ」と呼ぶ。これは甲板(デッキ)からきているのは容易に想像できるだろう。さらには「レッコー」というのもある。「おい、この資料をレッコーしといてくれ」と言われても海上自衛官でなければなかなか通じないだろう。
これは英語の「Let go」が由来で、手放すという意味だ。船が出港する際、岸壁と艦錨をつなぎとめていたロープを放つことを英語で「Let go」と言う。旧海軍が大英帝国海軍から教えを乞うた際の「Let go」がなまって「レッコー」になった次第だ。今日でも「2番舫(もやい)レッコー」などの号令が使われている。ここから派生して、ごみを捨てる際や資料をシュレッダーにかける際も「レッコーしておいてくれ」などと言う。蛇足ではあるが、これは英国系海軍共通用語である。
外の世界の人から見れば、特異な世界に見えるかもしれない。私は統合幕僚会議の事務局長を仰せつかったこともあるのだが、統幕には海上自衛官だけでなく、陸上自衛官、航空自衛官もいる。
■陸上自衛隊では成り立たないであろう会話
海上自衛隊の特殊性は、単なる言葉遣いだけにとどまらない。例えば、陸上自衛隊と海上自衛隊では上下関係のあり方も異なる。
陸上自衛隊であれば、作戦基本部隊である師団は6000人から9000人の隊員を抱える。師団長(陸将)はその上に立つ人間となるのだが、師団の隊員一人ひとりと近しく接することはなかなか難しいであろう。師団長が末端の隊員に「昨日の外出時の様子」などの些細な話題で親しく声をかける機会もなかなかないと聞く。
これに対し、海上自衛隊は極めて狭い空間に隊員がひしめき合う組織だ。護衛艦であれば、長さ150メートル、幅18メートルの鉄の箱の中に300人が乗っている。艦橋には司令官(海将)の2メートル横で、高校を卒業してから日が浅い2等航海士が見張りに立っている。こうした環境が、海の上の人間関係を独特のものにしている。
例えば、司令官と2等航海士の間でこんな会話も成り立つ。
「おい、香田。お前、きのうの夜は佐世保の街に繰り出していたそうじゃないか」
「いえ、知りません」
「何いってるんだ。仲間の××3曹から聞いたぞ。お前、えらくモテたらしいな」
「いやあ、そんな、そんな、ちょっとだけです……(ニヤッと笑う)」
くだらない話をしていると思われるかもしれない。しかし、こういう会話はおそらく陸上自衛隊の師団長と2等陸士の間では成り立たないであろう。それだけ海の人間関係は濃厚になるのだ。
■船の乗員は運命共同体
艦隊勤務は、船の上が仕事場であり、居住区画でもある。上官(幹部)であろうが、下士官(海曹)であろうが、1年365日、お互いに全てをさらけ出さざるを得ない。金メッキ(嘘やほら)をほどこしてもすぐに剥がれる環境に身を置かれるのだ。
船が寄港し、艦長が夜の街に繰り出して夜中の2時に船に帰り、翌日は二日酔いであれば、全ての隊員がその事実を知ることになる。乗員の子どもが病気になれば、その噂は船の中に広まる。船で共同生活を送るということは、酸いも甘いも、その人の家族も含めて丸抱えするような、目に見えないバーチャルな運命共同体を形作るということだ。
この点にこそ、海上自衛隊の特色がある。
船の乗員は運命共同体だ。自分の艦がやられた時には、どれだけ偉そうにしている嫌な艦長でも、乗員と一緒に死ぬ。もちろん、海上自衛隊にだって嫌な上司はいる。むしろ、護衛艦の艦長で乗員に好かれている艦長はまずいないと言っていい。艦長は全ての案件の最終意思決定者なので、全ての部下の意見を尊重するわけにはいかないからだ。それを365日ずっとやっていれば、嫌われるに決まっている。
■他の船の乗員が自分の船の艦長の悪口を言うのが許せない
だから、若い乗員が上陸して「居酒屋」で集まれば、必ずと言っていいほど艦長の悪口になる。ここまでは、どこの組織でも見られる光景かもしれない。
しかし、海上自衛隊の船乗りの場合は事情が少し異なる。自分たちの艦長について悪口を言うのは一向に構わないのだが、他の船の乗員が自分の船の艦長の悪口を言うと、とたんに許せなくなるのだ。 私が若いころの話をしよう。
「おい、お前、いま何と言ったんだ? ふざけるんじゃねえぞ」
さっきまで自分の艦長の悪口を言っていた張本人が、私の胸倉をつかんで殴り合いの喧嘩になりそうな雰囲気になってしまったのだ。その後、少し落ち着いた先輩から「俺が艦長の悪口を言うのはいいが、お前は言うな」ということをトクトクと諭された。
■不可欠だが危険性とも隣り合わせの「濃密な人間関係」
自分の親の悪口はいくら言っても平気だが、他人から親の悪口を言われると何とも言えない怒りがこみあげてくる人は多いであろう。それと同じなのだ。つまり、船乗りにとって艦長とはお父さんであり、お母さんなのだ。
船の上では、濃厚な人間関係が形成されている。そういう人間関係があってこそ、乗員は艦長に命を預け、艦長は乗員の命を守るために死に物狂いになるのだ。こうした組織文化は海上の戦闘組織として不可欠な美風だと言ってもよい。
ただし、気をつけなければならないのは、こうした濃密な人間関係は、批判精神を弱くし、最後には組織の強度を失う危険性と隣り合わせにあるという点だ。全てナアナアで済ませようとしてしまえば、艦内の規律が保てなくなり、戦闘組織として致命傷となる。
■自己を律する文化が失われていたのではないか
外出を「上陸」と呼び、宴会を「別法」と呼ぶような、閉じた世界の中で団結を高めるのは決して悪いことではない。だが、こうした世界にあまりにもどっぷり浸かり過ぎると、外から見たら自分たちがどう映るのかが分からなくなりかねない。自分たちは間違った方向に進んでいるかもしれないという絶え間ないチェックと批判精神がなければ、仲間内の悪ノリになり、異を唱える人間を「なんでそんなこと言うんだ」と排除するようなことにもなりかねない。
特に閉鎖空間であり世間から隔離された船の上の世界はそういう危険を抱えている。海上自衛隊の組織文化は、陸上自衛隊や航空自衛隊と比べると、戦闘組織として欠かせない団結力を誇る一方で、漫然と過ごし続ければ不祥事の温床ともなりかねないのだ。リーダーには、自らの組織における積年の弊習(へいしゅう)を決して許さないという決意が必要なのである。
そもそも、不祥事の温床となってしまう前に、組織にはどこかで強くブレーキをかけるという力が働かなければならないのだ。しかし、その実態は、自己を律する文化が失われていたということではないだろうか。結果的であったにせよ、一連の不祥事からは、そうした懸念を抱かざるを得なかった。
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香田 洋二(こうだ・ようじ)
元・海上自衛隊自衛艦隊司令官
1949年、徳島県生まれ。72年防衛大学校卒業、海上自衛隊入隊。92年米海軍大学指揮課程修了。統合幕僚会議事務局長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などを歴任し、2008年退官。09年~11年ハーバード大学アジアセンター上席研究員。著書に『賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門』『北朝鮮がアメリカと戦争する日』(ともに幻冬舎新書)がある。
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(元・海上自衛隊自衛艦隊司令官 香田 洋二)