今年の夏も、日々の生活に欠かせないモノやサービスの値上がりが続きそうだ。特に、食料品の価格上昇率は10%を超えている。
物価上昇の背景には、夏場の気温上昇で豚肉の生産量が減少し、価格上昇圧力がかかったという個別の要因に加えて、企業の人件費の上昇がある。
現在、世界的に人手不足の傾向が鮮明化している。事業規模の大小を問わず、賃金を上げないと必要な人員を維持することが難しくなっている。これからも人件費の上昇は続くとみられ、その上昇分が価格に転嫁される可能性は高い。物価上昇に、なかなか歯止めが掛かりにくいだろう。
■実感は「3%上昇」どころではない
一方、トランプ関税政策により、世界的に企業のコスト負担が増加している。同氏の政策は予想不可能であり、これからもコストはかさむだろう。今後、中東などの地政学リスクや外国為替市場の動向次第で、再度、海外からの輸入物価が上昇する恐れもある。
足元で国内の景気停滞懸念が高まる中、物価が一段と上昇することも懸念される。私たちの生活は、さらに厳しくなると覚悟したほうがよいかもしれない。
総務省によると、4~6月期、全国レベルの消費者物価指数(総合)は3%台前半から半ばで推移した。政府の物価対策によって、一時的に上昇ペースが鈍することはあるものの、物価上昇圧力はかなり根強い。
特に、スーパーやコンビニで食料品を買う際に感じる物価上昇幅は、総務省発表の消費者物価の上昇率を上回っている。
その代表例は主食であるコメだ。
■“家計の味方”も“物価の優等生”も…
随意契約による備蓄米放出で、価格上昇ペースは幾分か穏やかになったがまだ高い。7月中旬の東京都区部の米の価格上昇率は、前年同月比で80%台だった。農林水産省によると、7月14日の週、全国の米小売り平均価格は5キロ当たり3585円、前年同期(2391円)を50%程度上回った。
昨年の夏場に続き、今年も食品値上げは続きそうだ。ある調査によると、8月、国内主要食品メーカー195社の飲食料品値上げは1010品目に及んだ。平均の値上げ率は11%と高い。しかも、値上げの対象品目は前年同月の661品目から増加した。
かつて“家計の味方”といわれた、豚肉も値上がりしている。
さらに、ティッシュペーパーや洗剤など家事用消耗品(日用品)、アパレル関連も、傾向として消費者物価指数の伸びを上回る月が多い。
■人件費の増加が物価に響いている
値上げの要因は物流費の上昇が80.0%、エネルギー費の上昇が66.5%、包装資材費の増加が59.4%、そして人件費の増加が53.9%(重複含む)といわれている。
ただ、年初と比較すると、円高に振れたこともあり輸入物価上昇の影響は抑えられている。6月、わが国の輸入物価指数(速報)は円ベースで前年同月比12.3%下落した。契約通貨ベースでは6.1%の下落だった。
経済データを見ると、2022年ごろから2024年ごろまで、物価上昇の要因は主に円安の進行と原油、天然ガス、小麦など一部穀物価格の上昇が同時に進んだことだった。ところが、2024年春ごろからは、主に人件費の増加が値上げのかなりの部分を占めるようになっている。
■体力のない中小企業がバタバタ倒れていく
足元の物価上昇は、人手不足によるところが大きい。食品業界での値上げ理由を見ても、「2024年問題」に端を発するトラック運転手不足の影響は大きい。
本来、企業が付加価値を増やすには、人件費などを上回るペースで売り上げが増えればよい。ただ、実際にはそう簡単な話ではない。特に、大企業に比べて経営体力が限られる中小の事業者の状況は厳しい。
中小企業庁によると、本年3月時点で中小企業の価格転嫁率(下請け事業者がコスト上昇分をどれだけ販売価格に転嫁したか)は52.4%だった。昨年9月から2.7ポイント上昇した。その一方、中小企業の倒産件数は増加傾向だ。本年前半の中小企業の倒産実績は11年ぶりに多かった。
■キユーピーがベビーフードから撤退する理由
大企業にも人手不足の影響は及び始めている。一つの例は食品大手キユーピーだ。6月、同社は需要不足等の理由で育児食事業からの撤退を発表した。
わが国の少子化の深刻化により、育児食の需要は急速に縮小している。事業を継続するためには、海外市場に進出するか、国内で高付加価値型の商品を開発・供給するか、その両方が必要になる。そのためにプロ人材の獲得は不可欠だ。
それに加えて、人材獲得のコスト、さらには物流や資材価格の高騰によってコスト上昇圧力は高まる。その状況下で事業を続けると、育児食事業の粗利率は低下傾向を辿り、企業全体で収益性が棄損されるリスクは高まる。人手不足の深刻化によって、中小企業だけでなく、大手企業にも事業継続が困難になりつつあることは見逃せない。
■人材不足を補う移民を受け入れないと…
わが国が人口減少を食い止めることは難しい。参院選の結果を見る限り、移民を受け入れ、日本で生活しやすくする方策は感じられない。恐らく、わが国のこの状況は続くだろう。今後も、人件費上昇で物価には押し上げ圧力がかかる可能性は高い。
その一方、賃金の伸びは鈍化することも想定される。これまで世界経済を牽引(けんいん)してきた米国では、トランプ政権が関税率を引き上げた。関税引き上げのコストを、最終的に負担するのは米国の消費者だ。値上げにより米国の個人消費は徐々に減少し、内外で企業業績の悪化懸念は高まるだろう。それはわが国の企業収益の低下を通して、賃上げにマイナスに働く。
これまで、わが国では春闘後の夏・冬のボーナスの時期に、名目賃金の上昇率が物価上昇ペースを上回る傾向にあった。これから賃上げのペースが鈍化するようだと、実質賃金の伸び悩みはこれまで以上に鮮明化するだろう。
■「最悪のシナリオ」が現実になる
外国為替市場での円安進行と、エネルギー資源などの価格上昇で輸入物価が上昇し、国内の物価に一段と押し上げ圧力が掛かることも考えられる。その場合、国内の個人消費の停滞懸念は高まらざることになりそうだ。日本銀行は、より慎重に利上げを検討せざるを得ないだろう。
国内の景気が減速する中で物価上昇のリスクを抑えるには、政府が時代に適合しなくなったルールや規制を改革し、企業の新しい取り組みを支援する必要がある。新しいモノやサービスを開発する企業が増え、新しい需要を創出できれば、企業の内部留保や家計の貯蓄は消費や投資に回る可能性がある。
景気先行き不安が高まって個人消費は減少すると同時に、人件費などのコスト上昇圧力の高まりで物価が上昇する。それが最悪のシナリオなのだが、現在、わが国経済はそうした状況に向かっているように見える。わたしたちの生活は、これまで以上に苦しくなりそうだ。
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真壁 昭夫(まかべ・あきお)
多摩大学特別招聘教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。
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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)