※本稿は、天野隆・税理法人レガシィ『相続は怖い』(SB新書)の一部を抜粋・再編集したものです。
■不動産所有者になりすます「地面師」
地面師とは土地の所有者を装って土地の売却を持ちかけ、売買代金をだまし取る詐欺師のことです。
2017年に起きた積水ハウス地面師詐欺事件のことを覚えていますか? 物件はJR山手線の五反田駅から徒歩3分の「海喜館」という600坪もの面積をもつ元旅館の土地で、80億~100億円の価値があるとされていました。この物件の売却を地面師に持ちかけられ、55億円をだまし取られた事件です。
この土地は駅に近い好立地のため、高層マンションを建てれば確実に需要が見込めるにもかかわらず、所有者が手放そうとしないことで有名な物件でした。
戸建て住宅を主力事業とし、マンション建設に関しては業界大手の後塵を拝していた積水ハウスに、中間業者を通して土地の所有者と名乗る女が売却を持ちかけたのが4月4日のことです。本人確認のためのパスポートと印鑑証明は偽造されたものでした。
詐欺の発覚を恐れて急がす地面師グループに、お宝物件を手に入れたい積水ハウス。両者の思惑が妙なところで一致し、4月24日に売買契約を締結。積水ハウスは手付金を払い、法務局にこの物件の所有権移転の仮登記を行います。
そのあと、本当の所有者であるA氏から積水ハウスにあてて「売買契約はしていないので、仮登記を抹消せよ。
■不動産の割合が大きい家は他人事ではない
この土地の所有権移転の本登記の申請を法務局が受理したことを確認したのち、同社は残金を支払いました。
6月6日、法務局から申請書類に添付されていた国民健康保険証のコピーが偽造されたものと判明したとして、登記申請却下の連絡が入ります。
のちに警視庁が地面師グループを摘発。メンバー10人が起訴され有罪判決を受けましたが、積水ハウスが払った55億円は戻ってきませんでした。
だまされたのが一流企業であったことから有名になった積水ハウス地面師詐欺事件ですが、これは決して他人事ではありません。
というのも地面師グループにはリサーチ部隊というものがあり、日ごろから「この土地の名義人はもう亡くなっているだろう」と予想される土地を探し回っているからです。法務局に行って申し込みをすれば、誰でも登記簿を閲覧することができます。
さらに偽造部隊というものもあり、亡くなった人の名義で偽造パスポートを作ってなりすまし、「私がこの土地の所有者です」と主張して土地を売るというわけです。特に大きな土地ほど狙われます。
だから相続財産のうち不動産が大きな割合を占めている家ほど、誰が何を取るかなんて内輪モメをしている場合ではないのです。
■円満相続に導いた「2000円の贈り物」
日ごろからきょうだいの仲が良く、モメごとのないのがいちばんの防衛策です。
特に長男が跡取りとして親と同居している場合、長男の妻に日ごろから何かと心遣いをしておくことは必須です。昔からの地主で近隣でも「名家」として知られるような家であればあるほど、本家のお嫁さんは大変な苦労を強いられます。
私たちのお客様の中にその心理をよく理解している次男の方がいらっしゃいました。サラリーマンで地方出張が多いため、その先々でお土産を買っては長男のお嫁さんに「いつも両親がお世話になっております」という思いを込めて送っていたのだそうです。手紙などつけなくても、気持ちは伝わります。
それも回数が多ければ多いほどいいようです。2万円を1回よりも2000円を10回。何度も繰り返すことで気持ちは伝わるというのです。
一方、本家を継いだ長男は、子供の結婚式に参列してくれたきょうだいに、交通費はもちろん主賓よりも立派な引き出物をつけて感謝の気持ちを表します。親やその上のご先祖様たちの法事に来てくれたときも同様で、とにかくきょうだいにお金を使い、「ちゃんと気にかけている」「感謝している」アピールをしておくのがコツです。
■「あのときよくしてもらった」
私がいちばん印象に残っているのは、結婚した妹の娘(その人にとっては姪)にピアノを買ってあげたというエピソードです。小学生になった娘にピアノを習わせたはいいが、家にあるのは電子ピアノだけ。やがて娘は「本物のピアノ(アコースティックピアノ)が欲しい」と言い出しました。
ところが妹はお金がなくて買ってあげられない。そんな話を本家の兄にしたところ、なんと「じゃあ、買ってあげるよ」と言ってくれた。妹さんは大感激して、「もう本家には足を向けて寝られない」と言ってくれているそうです。
要はお互いに立場を理解して思いやりを示し合おうよということです。そうすれば相続だの遺産の分配だのと生々しい利害関係の生じる事態に直面したとしても、「あのときあんなによくしてもらったし」と思うことができます。
■相続人が27人いてもモメなかったケース
通常、相続人が多ければ多いほど、相続でモメることが多くなります。
しかしある裏ワザを使ったところ、驚くほどスムーズに解決した事例があります。
相続人が27人もいたケースです。亡くなった方には配偶者も子供もおらず、親はすでに他界。
ここまで相続人の数が多い案件は、司法書士も税理士もまず引き受けたがりません。というのも、この27人全員に同意を取り付けてハンコをもらわないことには、遺産分割ができないからです。
こんなとき駆け込み寺になるのが私たちです。「さて、引き受けたはいいがどうしようか」としばし考えこみましたが、そのうちある考えが閃(ひらめ)きました。
当時は、分割協議が済んでいなくても、銀行に「預金残高のうち27人の相続人の法定相続分(27分の1)を下ろさせてほしい」と言うと認めてくれるという事実でした。法定相続分であれば問題なしということで下ろさせてくれる特殊ルールがあるからです(現在は一定の金額までとなっています)。
これをうまく使えば、相続人全員の合意を取り付けるのは難しいことではないと私たちは考えました。
■合意を取り付けた「2つの選択肢」
そこで以下の内容を書面にして27人全員に送りました。趣旨は次の通りです。
「あなたには亡くなったA氏の遺産を相続する権利があります。
① 相続人同士で自分の持ち分を主張しながら話し合って分割方法を決める
② 自分の法定相続分をもらっておしまいにする
果たしてほとんどの人は②を選びました。①のやり方では紛糾するだけで決まるはずがないと思われたのでしょう。
ごくわずかな人たちからは①を選ぶと返信がありましたが、人数が多いのでまとまりにくいこと、それに時間を割いても思い通りの結果にならないのが多いことを説明したところ、最終的には②の法定相続分をもらうことで納得してくれました。
亡くなった方には不動産もあったのですが、その売却も私たちに任せてくださり、すべて無事に終わりました。
■相続放棄を選んだ作家の真意
最後に、最も鮮やかに遺産を放棄していった方のお話をさせてください。
その方は売れっ子の作家でした。親御さんが亡くなり相続が発生。ごきょうだいから私たちに依頼があり、相続税の申告をすることになりました。
遺産分割協議の日程を決めるために連絡したところ、「私はすべての財産を放棄します」との返事がありました。
その方がおっしゃるには、「自分は今、執筆活動に時間が取られて、余計なことをしている時間はない」と。親の遺産もあてにはしていない、自分以外のきょうだいで分けてくれていい、とにかく今は書くことに専念したいので、他のことに時間もエネルギーも使いたくないのだ、という内容でした。
よく「今に集中する」とか「今ここ」といったことが言われます。堂々巡りする思考から脱け出し、過去への執着や未来への不安もなく、ただひたすら「今、ここにいること(あること)」にだけ意識を向けることが大切である、という意味ですが、これがなかなかできそうでできません。
それもそのはず、「今ここ」は仏教でいうところの悟りを開いた境地だからです。その境地に至ることができれば、もう不平も不満も感じる余地はありません。
この作家の「執筆に専念したいから、余計なことに時間を取られたくない」という返事に、私は「この方の日々はまさに一瞬一瞬『今ここ』の積み重ねなのだな」と感じたのです。
■長い損失を負うより、「今ここ」を大事に
何度も繰り返しているように、遺産相続によるモメごとは誰にとっても得にはなりません。結果として他の相続人より多くの財産を相続できた人は、金銭的には得をしたことになるのかもしれませんが、それを獲得する過程で争いが起こった場合、信頼関係が損なわれて得どころか長い目で見ると損失につながるでしょう。
というのも、信頼を築くには長い時間が必要ですが、失うのは一瞬だからです。
まして相手はきょうだいなど近しい関係の親族です。
私がこの作家のお話をうかがって感動したのは、「この方はご自分にとっての最適解をよく理解していらっしゃる」ということでした。
この方にとっては「相続を放棄することで、相続に関して一切の時間を取られない」ということでしたが、人によってはそれが「法定相続分で納得して、それ以上は欲しがらない・争わない」ということになるかもしれませんし、「親の世話をよくしてくれた妹に、今までのお礼の気持ちを込めて少し多く相続してもらおう」になるのかもしれません。
いずれにせよ、自分自身の「今ここ」のあり方を優先することと、他のきょうだいたちの立場に立って考えることで、モメない相続、相続人の誰にとっても納得のいく相続が実現できるのではないでしょうか。
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天野 隆(あまの・たかし)
税理士法人レガシィ代表社員税理士・公認会計士
1951年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。アーサーアンダーセン会計事務所を経て、1980年から現職。著書に『やってはいけない「実家」の相続』(青春出版社)など多数。
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税理士法人レガシィ(ぜいりしほうじん れがしぃ)
1964年創業。相続専門税理士法人として累計相続案件実績件数は2万6000件を超える。日本全国でも数少ない、高難度の相続にも対応できる相続専門家歴20年以上の「プレミアム税理士」を多数抱え、お客様の感情に寄り添ったオーダーメードの相続対策を実践している。
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(税理士法人レガシィ代表社員税理士・公認会計士 天野 隆、税理士法人レガシィ)