
2008年に『Guardian』紙が発表した「将来のイングランドを支えるであろう最強の若手選手20名」という記事。これは17年前に期待されていた18歳以下の選手を紹介するものだった。
それから17年が経った今、果たしてその20名はどうなっているのか。『Planet Football』からそれをご紹介する。
ジョゼ・バクスター
当時の所属:エヴァートン
現在:引退
『Guardian』はジョゼ・バクスターを「ウェイン・ルーニーよりも優れている」と評したが、この攻撃的MFはプレミアリーグで成功できなかった。
2012年に移籍したオールダムではコカイン使用が発覚して2年間の資格停止処分を受けることになり、2020年に29歳で引退している。
マーク・ビーヴァーズ

当時の所属:シェフィールド・ウェンズデイ
現在:ブラッドフォード・パーク・アヴェニュー
18歳でシェフィールド・ウェンズデイの年間最優秀選手に選ばれた天才ディフェンダー。その後ボルトン・ワンダラーズで2部昇格に貢献し、3部のベストイレブンにも入った。
ただその活躍は下部リーグでのものにとどまっており、キャリアでプレミアリーグでの出場はゼロ。現在は8部でプレー。
ジョン・ボストック

当時の所属:クリスタル・パレス
現在:ソリハル・ムーアズ
15歳でクリスタル・パレスのトップチームにデビューし、1年後にはトッテナムに引き抜かれた天才。ただそこでレギュラーを掴めず、5度のローン移籍を経験した。
攻撃的MFの彼はそれからトルコやフランスを経てイングランドの下部リーグへ移籍し、ドンカスター、ノッツ・カウンティなどを経て、現在は5部のソリハル・ムーアズに所属している。
ネイザン・デルフォンソ

当時の所属:アストン・ヴィラ
現在:無所属
フットボールマネージャーというゲームにおいては「世界で最も伸びる若手選手」として数多くのユーザーに愛されたアタッカーだった。
しかし現実世界ではなかなか大きな成功を収めることができず、31歳になった今もシーズン2桁ゴールを記録したことはない。昨季7部のヘドネスフォードでプレーしていたが、現在は無所属。
ファビアン・デルフ

当時の所属:リーズ・ユナイテッド
現在:引退
リーズ・ユナイテッドで若くして活躍を見せたファビアン・デルフ。その後アストン・ヴィラを経てマンチェスター・シティへとステップアップしている。
怪我の影響によって32歳という若さで現役を引退することになったが、プレミアリーグで実績を残した数少ない選手の一人だ。
ダニー・ドリンクウォーター

当時の所属:マンチェスター・ユナイテッド
現在:引退
イングランド代表としてプレーし、レスター・シティではプレミアリーグ優勝のタイトルも獲得したMF。当時はマンチェスター・ユナイテッドのユースで活躍していた彼は、2017年にレディングへ貸し出されてからブレイクした。
チェルシーでは全くうまく行かずに苦しい時間を過ごしたが、間違いなくこの中では成功を収めた選手の一人だ。現在は不動産開発会社で働いているという。
ジョーダン・ヘンダーソン

当時の所属:サンダーランド
現在:アヤックス
当時は信じられないことに右サイドのミッドフィルダーやシャドーストライカーとしてプレーしていたヘンダーソン。ゴール前で活躍するアタッカーだった。
プレースタイルは大きく変わったが、その後リヴァプールでチャンピオンズリーグとプレミアリーグのタイトルを獲得したキャプテンになった。
ギャヴィン・ホイト

当時の所属:アーセナル
現在:フォークストン・インヴィクタ
当時はアーセナルのトップチームで期待される若手選手だったギャヴィン・ホイト。リザーブチームでは10代ながらキャプテンを務めていた。
ただプレミアリーグでは成功できず、ジリンガムやバーネット、イーストリー、メイドストーン・ユナイテッドなど下部で長く活躍した。現在は7部のフォークストン・インヴィクタに所属。
ジョシュ・マクイクラン

当時の所属:チェルシー
現在:オックスフォード・ユナイテッド
「次世代のジャック・ウィルシャー」と言われたチェルシーユースのマクイクラン。16歳でレアル・マドリーとマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を拒否したが、結局はローン移籍地獄の中で才能を発揮できず。
ブレントフォード時代には4年間にわたって怪我に苦しんだこともあり、それからも下部リーグでのプレーが続いた。
ヘンリ・ランズベリー

当時の所属:アーセナル
現在:引退
アーセナルで将来を嘱望されたMFであったが、ローン移籍を繰り返したあとで2012年に退団。その後はノッティンガム・フォレストで活躍した。ただその時期には精巣癌に苦しんでいたことも明らかにされている。
不屈の精神で復活したものの、アストン・ヴィラでは苦戦。ブリストル・シティとルートン・タウンでプレーした後、32歳で引退した。現在はヨーロッパ全土で芝生の育成に必要な肥料「グラスゲインズ」を展開する企業家。
ジェイコブ・メリス

当時の所属:チェルシー
現在:引退
シェフィールド・ユナイテッドのユースからチェルシーに引き抜かれたメリス。それだけ期待されたMFであったが、プレミアリーグで成功することは出来なかった。
2012年にはガールフレンドと喧嘩したことによって逮捕され、2020年にはかつての同僚とともに暴行罪で起訴(後に無罪)。現役時代を通してアルコール依存症に苦しみ、引退後は一時ホームレスになったという。
ヴィクター・モーゼス

当時の所属:クリスタル・パレス
現在:ルートン・タウン
当時クリスタル・パレスで若くして活躍を見せたヴィクター・モーゼス。イングランドのユース代表でも中心的な存在だった。
2012年にチェルシーへと移籍した後は様々なクラブに期限付き移籍を繰り返したものの、結局9年にわたって所属し続けた。現在はルートン・タウンで橋岡大樹とチームメイト。
ナイル・レンジャー

当時の所属:ニューカッスル・ユナイテッド
現在:ケターリング・タウン
2008年にサウサンプトンからニューカッスルの下部組織へ移籍したストライカー。名前の珍しさもあって注目され、「アラン・シアラーの後継者」とも呼ばれた。
ただもともと少年時代に強盗事件を起こしていたトラブルメイカーであり、その後も暴行事件や器物損壊、性犯罪などを繰り返し、ピッチ上でも成功を収めなかった。現在は7部のケターリング・タウン所属。
ジャック・ロドウェル

当時の所属:エヴァートン
現在:無所属
エヴァートンのユースで高く評価されたディフェンダー。若くしてプレミアリーグで活躍を見せ、2012年にはマンチェスター・シティへと引き抜かれた経験を持っている。
ただシティではあまり出番がなく2年で退団し、その後サンダーランド、ブラックバーン、シェフィールド・ユナイテッドでプレーした。近年はオーストラリアに渡り、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズとシドニーFCに所属していた。
フレディ・シアーズ

当時の所属:ウェストハム
現在:チャタム・タウン所属選手&指導者(ウェストハムユース)
ウェストハムでのデビュー戦でゴールを決めて大きな話題になり、将来のスターだと評判になったフレディ・シアーズ。ただローン移籍を繰り返したあとで下部リーグのコルチェスター・ユナイテッドへと放出されている。
その後は下部リーグでプレーしながら指導者への道を歩み、今年チャタム・タウンに所属する選手でありながらウェストハムユースのコーチに就任している。
ジョンジョ・シェルヴェイ

当時の所属:チャールトン・アスレティック
現在:バーンリー
2008年の段階ではチャールトン・アスレティックに所属していたが、その後リヴァプールに引き抜かれたスキンヘッドのMF。これは幼少期から患っている脱毛症の影響で、決してファッションではなかった。
リヴァプールではそれほど成功しなかったが、後にスウォンジーとニューカッスルで中心的な存在になり、プレミアリーグでも力を発揮した。
ダニー・ウェルベック

当時の所属:マンチェスター・ユナイテッド
現在:ブライトン
マンチェスター・ユナイテッドで若手ストライカーとして期待されていたウェルベック。イングランド代表にも選ばれるなどプレミアリーグでも結果を残した。
それからサンダーランド、アーセナル、ワトフォードを経てブライトンへと移籍し、2020年から長く中心選手としてプレーしている。三笘薫のチームメイトであることでも有名。
エイディ・ホワイト

当時の所属:リーズ
現在:引退
リーズ・ユナイテッドで素晴らしいスタートを切った左サイドバックだったエイディ・ホワイト。非常に期待された才能豊かな選手だったが、若い頃から度重なる怪我に苦しめられた。
満身創痍の中でプレーを続け、サイドバックからウインガーや攻撃的MFへのコンバートも試みたものの成功せず。2023年にロッチデールでプレーしたのを最後に引退した。現在はリーズの試合でよく解説者を務めている評論家。
ジャック・ウィルシャー

当時の所属:アーセナル
現在:指導者(ノリッジ・シティ アシスタントコーチ)
アーセナルで若くして天才的な活躍を見せ、アーセン・ヴェンゲル監督に高く評価されたウィルシャー。まさにスターであったがキャリアは怪我に妨げられ、若くして引退を余儀なくされた。
ただその後指導者としてアーセナルのユースを率いたときに高い評価を受け、昨年からはノリッジ・シティのアシスタントコーチに就任している。
マイケル・ウッズ

当時の所属:チェルシー
現在:ホワイトビー・タウン
リーズ・ユナイテッドから15歳でチェルシーへと引き抜かれたMF。元サッカー選手のアラン・ウッズが祖父、同じくサッカー選手だったニール・ウッズが叔父にあたるというスポーツ一家で育ったエリートだった。
イングランドユース代表でも中心選手で、16歳でチェルシーのトップチームにデビューすることにも成功したが、その後は怪我に苦しんだ。