今年も32年目のJリーグが幕を開けた。各チームを応援するサポーターの皆さん新たなシーズンの到来に胸が高まっていることだろう。

J2・ヴァンフォーレ甲府のホームゲーム当日にサポーター向けに配布されるフリーペーパー「バス小瀬新聞」も、創刊から22年目のシーズンを迎えた。

スタジアム行きのシャトルバス乗り場で393試合(または約400試合)、約8万部の配布を続けてきた須田康裕氏(バス小瀬新聞・編集長)にこれまでの活動や今後の目標を伺った。

サポーターの思いが詰まったバス小瀬新聞

――今年もJリーグが開幕し、バス小瀬新聞としては22年目のシーズンを迎えることになりました。まずは活動を始められることになったきっかけを聞かせてください。

僕らが活動を始めたのは、2001年途中でした。

当時も今と同じように、試合の日に甲府駅からスタジアムに向かうバスを走らせていただいていたんですけど、利用者はわずか数人という状況で。

「どうすればバスの乗客を増やせるんだろうか?」と考えた僕らは、バス内でさまざまなレクリエーションを始めることになりまして、その一環でバスの車内でサポーターの皆さんにアンケートを取ることにしたんです。

でも、ただアンケートに答えていただくだけではなく、皆さんの答えをきちんとお伝えしなければならないと思いまして。

活動を始めてから3年後、アンケートの回答をまとめたA4サイズのコピーを2004年6月5日のヴァンフォーレ甲府対サガン鳥栖戦で配ったことが、バス小瀬新聞を始めるきっかけになりました。

――現在は選手や試合に関する記事が書かれていますが、こちらはどのように始めることになったのでしょう?

新聞を配り始めた頃は、バスに乗りながらゲームを楽しめるくらいまだまだ車内に余裕がありました。

2005年にヴァンフォーレ甲府がプレーオフを勝ち抜いてJ1リーグに初昇格を果たすと、各地からたくさんの方々が山梨に来てくださるようになり、バスはたちまち満員。そのため車内のレクリエーションを断念し、バス小瀬新聞の内容を充実させることに方向転換したのです。

ただ、その当時の「バス小瀬新聞」は甲府寄りの情報が多かった。

甲府サポーターが好きなことを書いて集めた新聞でしたので、アウェイサポーターからしたらつまらない内容だったと思います。

転機は2009年1月。バス小瀬新聞に関わる人が集まって新年会を行いました。

2009年度のバス小瀬新聞について意見を伺ったところで、あるサポーターから『私がアウェイチームサポーターだったらこの新聞を読まないわ。だって自分たちのこと(またはアウェイチームのこと)書いてないんだもの』という発言があったんです。

この一言に衝撃を受けまして、その年からアウェイチームサポーターに向けて労いのメッセージを新聞に掲載するようにしたんです。

その後、甲府以外のJリーグチームからインターネットで『自分たちのことを書いてくれて嬉しい』とバス小瀬新聞が紹介されるようになり、一定の手ごたえを感じました。

そこで、『甲府サポーターとアウェイチームサポーターが読める新聞にしよう!』と紙面を改革。甲府だけでなく、アウェイチームの注目選手も取り上げる他、両チームの次回アウェイ情報も掲載し、今に至ります。

「喜んでくれる人がいるから」

――サポーターの皆さんによって運営されているようですが、どのように活動を拡大させていったのでしょう?

ちょうどSNSが世の中に普及し始めた頃だったので、インターネット掲示板の投稿を見て声をかけたりして、徐々にその輪を広げていきました。

――皆さんのチームや選手に対する思いの強さが伝わってくるコラムは、読んでいる私たちの胸を熱くさせますね。

そうですね。そのように感じていただけるのは、おそらくライターの皆さんがクラブや選手のことが好きで、心の底から声援を送っているからに尽きると思います。

僕自身もライターの皆さんが書いてくださる熱のこもった文章に心を動かされたり、新たな気づきを得ることもあって。本当に忙しい日々の合間に書いてくださっているライターの皆さんの思いは本当にいくら感謝しても足りないくらいにありがたいものですし、本当に心強い存在だと思っているんです。

――近年は甲府駅の改札付近でも、『バス小瀬新聞』が設置されるようになりました。

熱心なサポーターでもある副駅長さん(当時)にお声がけいただいて、置かせていただいています。

――1回あたりどのくらいの部数を刷られているのでしょう?

最初は5~6人、配布も約10~20枚程度からのスタートでしたが、今は一番多い時で、400部くらいです。

本当は「もう少し部数を伸ばせた」と思うこともあるんですけど、僕の持ち出しで約20年間活動を続けてきたので、今は予算が許す範囲内にとどめています。

――自己資金であっても、新聞の発行を続けられてきた一番の理由は何だと思いますか?

一番は「喜んでくれる人がいるから」だと思います。なかには『バス小瀬新聞』を受け取るために毎年甲府まで足を運んでくださる方や、自分が書いたコラムやコメントが掲載されて喜んでくださる方がいる。

バス小瀬新聞の活動で何かしらの喜びを感じたり、自分の居場所のように感じていただけたこと。皆さんの大切な場所を守り続けていきたいと思ったことも大きな理由なのかなと思っています。

30年、40年と続けられるように

――昨年の天皇杯を制したヴァンフォーレ甲府は、クラブ初出場のACL(現在のACLE)で予選を突破し、ベスト16入りを果たしました。

そうですね。

天皇杯の優勝も素晴らしかったですし、個人的にはまさかこんなに早いタイミングでヴァンフォーレ甲府がACLに出場できるとは思ってもみませんでしたから、チームの快挙は本当に嬉しかったです。

かつてはクラブが存続の危機に陥ったこと(2001年)もありましたが、その時にクラブを存続させるために立ち上がってくれた人々がいて、ヴァンフォーレ甲府が存続していなかったら絶対に辿り着けなかった世界ですから。

一言では言い表せませんが、「ヴァンフォーレ甲府が存続してくれて本当に良かった。地元にJリーグのクラブがあって本当によかったな」と言う思いです。

――ACLでは外国語版の新聞も制作されました。

そうですね。「ACLに出場して、海外版の新聞を出せたら」と話していた夢がまさか実現することになろうとは。夢が実現できて本当に素晴らしかったですし、多くの皆さんが協力してくださいましたから、本当にありがたかったです。

中国語版や韓国語版の「バス小瀬新聞」を配布した時には、多くの海外サポーターの皆さんからも反響をいただいて。

韓国語版を作った時には、多くの蔚山現代サポーターや韓国在住の方から声をかけてもらったり、韓国最大のサッカーコミュニティで新聞のことを紹介していただけましたし、中国語版も現地で活動されているスポーツ記者さんが広めてくれて、なんか、一定の反響がありました。

「ACLに出場して海外版の新聞を出せたら」と話していた夢がまさかこんなに早く実現することになろうとは思いませんでしたし、多くの皆さんに協力していただけたことも本当にありがたかったです。

バス小瀬新聞をきっかけに、少しでも山梨県に興味を持ってくださったら嬉しいですし、海外に住む皆さんと交流を深めるまたとない機会になったなと思っています。

――今後の目標は何かありますか?

昨年はヴァンフォーレ甲府がACLに初出場し、決勝トーナメント進出を成し遂げることができました。

普段は他のチームを応援されているサポーターの皆さんにも後押ししていただけて、本当に嬉しかったですけど、唯一の心残りと言えば、ホームスタジアムの基準を満たせなかったため、山梨県でACLを開催することはできませんでした。

もし、また国内のタイトルを獲得して、ACL(今季からACLE)に臨むことができた時には、地元でアジア制覇を目指す選手の勇姿を見守りたいですし、新聞を通じて国境を超えた交流を深められたらなと思っています。

そしてバス小瀬新聞に関しては、おかげさまで昨年20周年の節目を迎えることができたことを嬉しく思いますし、今後も多くの皆さんと交流を深めていけたらと思っています。

一方で今後も30周年、40周年と継続できるような体制を整えて、次世代の方にバトンタッチ出来たらという気持ちもあるんです。まだまだどうなるかは分かりませんが、皆さんとの交流を深めながら考えていけたらなと思っています。

――今季も開幕を迎えました。最後になりますが読者の皆さんにメッセージをお願い致します。

様々なチームのサポーターがいらっしゃいますが、バス小瀬新聞は今年も甲府サポーターとアウェイチームサポーターの架け橋となるプラットフォーム的な存在となり、山梨県だけでなくJリーグ全体の盛り上げに貢献できればと考えております。

やはりJリーグがあるからこそ、皆さんが幸せな体験ができますし、『バス小瀬新聞』を通じて、山梨の魅力に触れ、仲間との交流を深められたら、きっと人生は豊かになるんじゃないかなと思いますし、僕らもそのお手伝いができたらなと思っているので、もし山梨にお越しいただいた際には『バス小瀬新聞』をぜひ受け取っていただけたらありがたいです。

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