プロへの登竜門!?日本代表を数多く輩出した高校の出身選手!
プロへの登竜門!?日本代表を数多く輩出した高校の出身選手!

今年度、高校サッカー選手権出場こそ逃したが、U-18プレミアリーグWESTで6位に入った東福岡。

一時は“西の横綱”に位置付けられた九州の巨人であり、チームカラーから「赤い彗星」の愛称で親しまれている。

日本代表もこれまで何人も輩出。そこで、東福岡高校出身のサッカー選手で「最強の5人」を紹介する。

山下芳輝

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1977年11月21日生まれ

まずは地元の福岡市出身、高校3年次に出場した選手権では小島宏美と2トップを組んでいた山下芳輝だ。

卒業した1996年、この年にJリーグ加盟を果たしたアビスパ福岡へ加入。開幕戦からいきなり出場をするとそのままエースストライカーへと成長していった。

2001年にはフィリップ・トルシエ監督のもと日本代表にデビュー。日本が準優擁したコンフェデレーションズカップ2021で2試合に出場している。

2002年以降はベガルタ仙台柏レイソル大宮アルディージャ、JFL時代の栃木SCやFC琉球でプレーし、2010年に引退。現在は地元福岡でサッカースクールなどを運営している。

本山雅志

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1979年6月20日生まれ

東福岡と聞いて真っ先に思い浮かべる方も多いであろう、「黄金世代」の最強ドリブラー。

山下芳輝の2学年下に当たり、本山以外にも古賀誠二や手島和希、1学年下に金古聖司、宮原裕司、千代反田充を擁した東福岡は、高校サッカー史上初の3冠を達成している。

卒業後に加入した鹿島アントラーズでも、同期の小笠原満男や中田浩二、曽ヶ端準らとともに大活躍。2002シーズンからは14年間にわたり栄光の10番を背負った。

その後は地元のギラヴァンツ北九州でのプレーを経て、2023年4月に現役引退を発表。昨年末に行われた引退試合には「黄金世代」を中心に超豪華メンバーが集っている。

長友佑都

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1986年9月12日生まれ

遠藤保仁に次ぐ歴代2位の142キャップを誇る、日本代表史上最高のサイドバック。

愛媛県西条市から東福岡へ進学。高校時代のポジションはボランチだったが、明治大学時代にサイドバックへコンバートされ、さらに怪我のためスタンドで応援していた際に太鼓の腕前が話題に。

特別指定選手となったFC東京で2008年、大学卒業を待たずにプロ入り。同年の北京五輪に出場し、成功への階段を一気に駆け上がっていった。

2022年には日本代表史上初のワールドカップ4大会連続試合出場を達成。38歳を迎える2024シーズンもFC東京との契約を更新し、「なんとしてもリーグ優勝したい」と想いを語っている。

毎熊晟矢

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1997年10月16日生まれ

2023年の日本代表に、まさに彗星のごとく現れた攻撃的右サイドバック。

東福岡時代は3年次にインターハイと選手権の2冠を達成。FWとして2列目の藤川虎太朗(現ジュビロ磐田)や中村健人(現アトレチコ鈴鹿クラブ)を生かしたが、選手権は怪我明けのため不完全燃焼だったという。

桃山学院大学から2020年に地元のV・ファーレン長崎でプロ入り。当時の手倉森誠監督のもとで右サイドバックにコンバートされ、これがキャリアの大きな転機となった。

2022年に移籍したセレッソ大阪でも当初は右サイドハーフだったものの、ポジションを勝ち取りブレイク。2023年9月に日本代表へ初招集され、現在アジアカップを戦っている。

荒木遼太郎

2002年1月29日生まれ

最後は期待も込めて、2021年にJリーグのベストヤングプレーヤー賞を受賞した21歳をピックアップ。

東福岡では3年次に10番をつけてキャプテンを務めると、2020年に加入した鹿島アントラーズでも1年目から26試合に出場した。

ゴール前に侵入していく感覚は特別なものがあり、2021シーズンには36試合の出場で10ゴールを記録。城彰二以来史上2人目となる10代での二桁得点を達成している。

その後は度重なる怪我もあり精彩を欠いているが、今年、「強い覚悟を持って」FC東京へ期限付き移籍。背番号の71は鹿島のチームメイトだった中村亮太朗のヴァンフォーレ甲府での番号を真似したとのことだ。