
かつてPSVアイントホーフェンやバルセロナ、インテル、レアル・マドリーなどで活躍し、世界最高のストライカーとして評価された名FWロナウド。ブラジル代表でも中心的な存在となり、2002年のワールドカップでもチャンピオンに輝いている。
今回はそのロナウドが『ESPN』でのインタビューであげたという世界最高の11名を『Planet Football』の記事からご紹介する。
ペレ
ペレは間違いなくナンバーワンだとロナウドは話した。ブラジルで80年代を過ごした彼にとって、ペレは明らかに特別な存在である。
ロナウド自身がプレーをリアルタイムで見たわけではないものの、ブラジルにおいて彼の名前は伝説的なもの。今でも史上最高の人物といえばペレなのだ。
リオネル・メッシ

あのロナウドも、リオネル・メッシを評してこう言った。「彼は別次元に生きている選手だよ」と。
「彼は本当に素晴らしいよね。他のどの現役選手よりも好きだよ。彼のプレーはどれもスペクタクルだから」と語っていた。
ディエゴ・マラドーナ

ロナウドはペレが世界最高のサッカー選手だったと明確に話したものの、メッシとマラドーナについては甲乙つけがたいと語った。
「マラドーナとメッシは同率だね。同じくらい素晴らしい選手だ」幼少期にマラドーナのプレーを見ていたロナウドは語っている。なお、一方のマラドーナもロナウドを「怪我がなかったら彼は史上最高の選手だっただろうね」と評していたことがある。
ジーコ

多くの人からブラジルの歴史上最高クラスの選手として見做されているジーコ。母国のフラメンゴでキャリアの大半を過ごしたこともあり、特別な存在である。
ブラジル代表でも71試合に出場し、MFでありながらも48ゴールを決めた。ロナウドもその存在に大きな尊敬を抱いているという。
ロマーリオ

ロナウドとロマーリオは、ブラジル代表でも19試合でともにプレーしたことがある関係だ。その中で二人合わせて12ゴールを決めている。
2022年のインタビューでロナウドが話したところによれば、ロマーリオはかなり年下のロナウドに対して強いライバル心を抱いていたとか。
「1997年、僕はすでに中心選手だったしバロンドールも手にしていた。コパ・アメリカの途中、ロマーリオに連れられて夜遊びに行くことになった。次の日の僕は疲れ果てていた。彼は僕から先発を奪おうとしていたんだと分かったよ」
クリスティアーノ・ロナウド

ロナウドは、同じ名前を持っているクリスティアーノ・ロナウドを「世界最高の3人」からは外したが、それは苦渋の決断だったという。
「クリスティアーノは素晴らしいキャリアを歩んでいるね。あらゆる方法でゴールを決められるし、様々なポジションにも適応している。屈指の選手の一人だ。ただ、最高の選手ではない」
マルコ・ファン・バステン

怪我で短くキャリアを切り詰められながらも、その中で3度もバロンドールを獲得したオランダ代表FWのマルコ・ファン・バステン。クラブレベルでは生涯379試合しか公式戦でプレーしていないが、283ゴールを記録した。
同じように大きな怪我で才能を発揮しきれなかったロナウドは、そのファン・バステンを最高の選手の一人にピックアップしていた。
ジネディーヌ・ジダン

レアル・マドリーでともにプレーしたジネディーヌ・ジダンをピックアップしたロナウド。139試合をチームメイトとして戦い、二人合わせて31ゴールを記録している。
今もなお再現する選手がいないほどの繊細なボールタッチを武器に戦ったエレガントなフランス人MF。同僚だったロナウドにとっても非常に重要な存在だったようだ。
ルイス・フィーゴ

バルセロナ、そしてレアル・マドリーでともにプレーしたルイス・フィーゴ。ロナウドとは同じポルトガル語話者という点もあり、親密な関係を築いていたと言う。
なおロナウドと最も多くの試合でともにプレーした選手の一人でもあり、フィーゴを上回っているのはイケル・カシージャスとロベルト・カルロスしかいない。
リヴァウド

1999年のバロンドールを受賞したリヴァウド。ブラジル代表ではロナウドとともに強烈な攻撃陣を形成し、2002年の日韓ワールドカップでは優勝に導く活躍を見せた。
クラブレベルでは一緒にプレーしたことはないものの、代表だけで46試合でともに出場。ベストパートナーの一人だったといえる。
ロナウジーニョ

そして最後はリヴァウドと同じく日韓ワールドカップを制覇したメンバーの一人であるロナウジーニョがピックアップされていた。
ロナウドとは39試合でともにプレー。コパ・アメリカも一緒に制覇した経験があり、その鮮やかなテクニックでブラジル代表の黄金期を作り上げたパートナーであった。