アイドルブーム真っ只中の80年代前半は、アイドル戦国時代と言われるほどアイドルが多くいた。数多くのアイドルが活動していた時代だが、1984年に、これまでに見たことのないような美少女アイドルが誕生した。
4月21日にデビューすると、軒並みキャンペーンがスタートし、地元からほど近い池袋の西武デパートの屋上にユッコが来ることを知り、私は何のためらいも無く会いに行くことにした。当時16歳だったユッコだが、落ち着いた大人の女性という印象で、私はその雰囲気に圧倒されてしまった。
このイベントに参加したことがキッカケで、私とユッコの物語がスタートしたといっても過言ではない。以降もユッコの出る音楽祭や公開番組の収録には積極的に参加するようになり、さらにスタジオなどの入り待ちや出待ちもして、次第にユッコとは顔見知りになって、いつも笑顔で話しかけてくれるようになってきた。当時は高校1年生のクソガキだった私にとって、この瞬間は本当に幸せを感じていた。
素晴らしい出会いがあり、この幸せな時間がいつも楽しみだったのだが、この楽しい時間は2年と続かなかった。
この訃報を知ったのは、当時アルバイトをしていたところに母親から電話があり、その時に母親は気を利かせて「身内の不幸があった」とバイトの上司に伝えてくれていたので、すぐに早退させてくれた。その足で私はサンミュージックに向かった。現場にはすでに多くの人が集まっていて、立ち竦む人や、涙を流している人など数え切れないほどの人が集まっていた。
たまたまではあるが、亡くなる数日前にTBSの玄関前で、ある番組収録があって、ユッコの出待ちをしていたのだが、まさかこの日が最後になるなんて思ってもいなかった。その時を振り返ってみると、いつもより落ち着いた感じで、待っていた私に「今日もありがとうございます。これからも私のことをずっと応援して下さい」と実にシンプルな感じだった。もちろん自殺する予兆なんてありませんでした。
あれから29年の月日が経った。
命日まで1週間を切ってしまったが、今年も私はユッコに会いに行ってきます。きっと来年も再来年も会いに行っていると思うので、私の中の物語は終止符を打つことなく永遠に続くことだろう。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】
小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。