自身のレーベル、Wondaland Recordsでの告白
宇宙服に身を包んだジャネール・モネイは雄叫びを上げた。
彼女は今、それまで家族と親しい友人しか知らなかったある事実を、初めてメディアの前で明かそうとしていた。「噂を真実に変えるの」。新作『ダーティー・コンピューター』の収録曲で、彼女はそう歌っている。過去10年で残したアルバムやミュージックビデオ、そして取材を通じて「宇宙からやってきたエイリアン/顔のないサイバーガール」というイメージを築き上げてきたジャネール・モネイは、自分が脆く欠陥だらけの、血の通った32歳の生身の人間であるとついに認めた。

Photo by Matt Jones
もうひとつ、彼女はある秘密を明かしてみせた。「アメリカに生きるクィアの黒人女性として」。そう切り出した彼女は、大きく息をついてからこう続けた。「男性と女性の両方と関係を持ってきた私は、さしずめ性にとらわれないマザーファッカーってところね」。彼女はかつて自身をバイセクシャルとみなしていたが、あるとき、より正確な表現に出会ったという。「パンセクシュアリティについて知ったとき、これぞまさに自分だって思ったの。
彼女が身につけているNASA製の白いタイトな宇宙服には、片方の袖に司令官のワッペン、もう片方にはアメリカ国旗のパッチがあしらわれている。周囲にカメラマンの姿はなく、自身のスタジオでリラックスした様子の彼女は、どちらのパッチにも大きな意味はないと語る。その宇宙服はおそらく、彼女が何年にも渡って演じ続けてきた、人間に恋をしつつも同胞たちの解放を叫ぶアンドロイド、シンディ・メイウェザーが必要としたものなのだろう。
厳しいショービジネスの世界で生きていくには、キャリア初期のモネイはあまりにナイーブだった。ペルソナ、中性的な服装、オフステージでも素顔を明かそうとしない頑なな姿勢、その全ては自身を守るための鎧だった。「先入観を持たれるのが嫌だったの」。彼女はそう話す。「この業界における黒人女性アーティストの典型的な容姿から、私はかけ離れていたから」
また彼女が貫く完璧主義は、自身のキャリアを成功に導く一方で、持て余す感情を抑制する役割を果たしていた。その意味でも、非の打ち所のないロボットを演じることには大きな意義があった。しかしその個性を「コンピューター・ウイルス」と捉えていた彼女は、2010年のデビュー作『ジ・アーチアンドロイド』の発表前から、長くセラピーに通い続けていた。「自分は誤解されてるって感じてた」。彼女はそう話す。
中性的な衣装に身を包み、幼い頃から慣れ親しんだパーラメント/ファンカデリックを彷彿とさせるトリッピーなサウンドスケープを生み出す、黒い肌の女性アフロフューチャリストというペルソナは、彼女の恐怖心から生まれたものだったと言える。2008年に自身のレーベルであるバッド・ボーイとの契約を申し出たパフ・ダディ、そしてビッグ・ボーイらは、ポップの世界において極めて異質な存在であった彼女に大きな可能性を見出した。
瞬く間に話題となった『ジ・アーチアンドロイド』、バッド・ボーイ史上最も野心的なコンセプトアルバムとなった2013年作『ジ・エレクトリック・レディ』の2作によって、彼女は21世紀を象徴するアーティストの1人となった。フランク・オーシャン、ソランジュ、ビヨンセ、シザ等によって、オルタナティブR&Bというジャンルがメインストリームに押し上げられる何年も前から、モネイはネオ・ソウルの旗手として、ロック、ファンク、ヒップホップ(先日発表されたシングル「ジャンゴ・ジェーン」で、彼女は自身が一流のラッパーでもあることを証明してみせた)、R&B、エレクトロニカ、そして学生時代に学んだ舞台演劇まで、あらゆるジャンルを飲み込んだ唯一無二のスタイルを打ち出していた。
彼女は自身のセクシュアリティについて語ろうとしなかったが(「私はアンドロイドとしか付き合わない」というのがお決まりの回答だった)、自身の音楽がその答えを示していた。「アルバムを聴けば分かるはずよ」。彼女はそう話している。「Q.U.E.E.N.」と「マッシュルーム&ローゼズ」では、メアリーというキャラクターに対する恋心が描かれている。
『ダーティー・コンピューター』の発表と併せて公開された45分間の映像作品において、捕らわれの身となり名前を剥奪された女性たち「ダーティー・コンピューターズ」は「メアリー・アップル」と呼ばれている(その1人を演じるテッサ・トンプソンはモネイのガールフレンドだと噂されているが、彼女は固く口を閉ざしている)。彼女は「Q.U.E.E.N.」の原題は「Q.U.E.E.R.(同性愛者)」だったと語っており、バックグラウンドコーラスではその言葉を耳にすることができる。

2015年、ロサンゼルスで行われた『クリード チャンプを継ぐ男』の試写会パーティでのモネイ(Photo by Shutterstock.com)
レーベルのCEOであり、CoverGirlのモデルも務めるモネイだが、黒人キャストを中心とする『ムーンライト』(アカデミー賞受賞)、『ドリーム』(同賞ノミネート)の2作では、女優としての才能を開花させた。両作のようなアフリカン・アメリカンにフォーカスした作品は、小規模な劇場のみで公開されるケースが多い。「はっきり言って、私たちの物語は無視され続けてる」。そういった思いが、彼女に両作への出演を決意させたという。
仮面の下に隠された素顔を明かすことに、モネイは恐怖感を抱いていた。「世間は私という人間に、シンディ・メイウェザーのような魅力を感じないかもしれない」。彼女はカウンセラーにもそう話していたという。
アンドロイドを演じることで得られた充足は、彼女にとって大きな意味を持っていた。「あのキャラクターは私の理想を体現してた。その一方で、ジャネール・モネイという人間はセラピーに通ってた。シンディ・メイウェザーは、私がこうありたいと願う自分自身の姿だったの」
『ダーティー・コンピューター』においては、そのタイトルと付随する映像作品のストーリーを除けば、SF観はなりを潜めている。肉体と精神の両面における脆さ、そしてひた隠してきた性的指向が、本作では生々しい言葉で綴られている。
「ノンバイナリー、ゲイ、ストレート、クィア……自身のセクシュアリティについて悩み、ありのままの自分でいられる場所を見つけられずにいる少女や少年たちに、自分は独りぼっちじゃないってことを伝えたいの」。そう語る彼女には、腕に付けられた司令官のワッペンがよく似合う。「このアルバムで歌われているのはあなたのこと。素顔の自分に誇りを持って」
カンザスのカンザスシティでバプティストの家庭に生まれたモネイには、実に50人近い従兄妹がいるという。モネイの恋愛事情については知らずとも、その多くは彼女がトンプソンとロリポップを舐め合う「メイク・ミー・フィール」のミュージックビデオを見たに違いない。「今は本当に忙しいからね」。彼女は笑ってこう話す。「親戚全員でタウンホールに集まって、互いに近況報告し合うような時間はないの」。翌日の取材でカンザスシティを訪れた際に、彼女は彼らから質問攻めにされることを覚悟していた。「私のことを心から愛してくれてる彼らが、私に聞きたいことがあるんだとしたら、答えないわけにはいかないでしょうね」
過去何年かに渡って、彼女は比較的遠い関係にある親戚たちから心ない言葉を向けられてきたという。
彼女は早い段階で、聖書とバプティストの教えについて疑問を抱くようになったという。そして今、彼女は胸を張ってこう話す。「私は愛という名の神に仕える身なの」。彼女が崇拝するその神とは、『ダーティー・コンピューター』のインタールードでスティーヴィー・ワンダーが語った、宗教の違いを超越した崇高な存在のことだ。
彼女の予想とは裏腹に、我々がカンザスシティの産業地帯にある彼女の実家に出向いた際にも、家族や親戚たちが彼女を質問攻めにすることはなかった。故郷に戻ってきたスーパースターを、彼らはただ温かく迎え入れた。
1985年12月1日、ジャネール・モネイ・ロビンソンはこの街で、用務員として働いていた母親と、21年間続くドラッグ中毒のリハビリの真っ只中にいた父親との間に生まれた。2人はモネイが1歳の誕生日を迎える前に離婚したが、彼女を引き取った母親は後に、ジャネールの妹となるキミーの父親の男性と再婚している。
彼女が生まれ育った地区に足を踏み入れた途端、我々は彼女の親戚の多さを実感することになった。
彼女の父親は刑務所行きを繰り返していたため、彼が13年前にドラッグ中毒を完全に克服するまでは、父娘の関係は決して平穏ではなかったという。そこから車で数分の距離には母方の叔母にあたるグローの自宅があり、我々はそこでモネイの母親と対面を果たした。彼女の叔母のファッツは、親戚の間でのモネイのニックネームが「パン(プ)キン」であることに触れた上で、満面の笑みを浮かべてこう話した。「彼女は私のいちばんのお気に入りなの」
モネイは労働者階級の人々が多く暮らす、クインダロという地区で育った。南北戦争の直前、ネイティブ・アメリカンと奴隷解放運動の当事者たちによって作られたその町は、地下鉄建設の奴隷労働から逃れてきた黒人たちのシェルターとなった。我々が訪れる数週間前には、近くにある奴隷解放主義者ジョン・ブラウンの銅像に、何者かが鉤十字のマークとともに「サタン万歳」と落書きする事件が起きたという。銅像は既に元の姿に戻っていたが、彼女の曽祖母は苦々しそうにこう話した。「犯人がこの地区に住む人間じゃないことは確かね」。何度も首を振りながら、彼女はこう続けた。「よそ者の仕業よ」

14歳の頃のモネイ(Courtesy of Janelle Monae)
カンザスシティにおけるミズーリ側の住民の大半は白人だが、モネイが育ったコミュニティでは黒人が大多数を占めていた。「自分のルーツが知りたくて、いろんな本を読んだわ」。彼女はそう話す。「知れば知るほど腹が立った。浅黒い肌の人々は、ずっと不当な扱いを受けてきたの」
彼女の家族は極めて信心深く、発言の大半には神への感謝の言葉が含まれていた。現在91歳のモネイの曽祖母は、今でも町の聖書学校の管理人を務めている。彼女は訪れた我々にゴスペルの合唱を促し、ピアノの前に座って伴奏を始めた。モネイは叔母と従兄妹と共に、「Call Him Up and Tell Him What You Want」と「Savior, Do Not Pass Me By」を歌った。
カンザスシティに滞在していた間、モネイは始終リラックスしていた。ツアーで近くにやって来る場合を除けば、ホリデーシーズンにしか会えない親戚たちを前にしてはしゃぐ彼女は、無意識のうちに中西部訛りで喋っていた。幼少期の写真の数々で作られたセピア色のポスターを眺めながら、彼女は母親の膝に頭を乗せて丸くなっている。「この子はいつもみんなを笑顔にしてくれたわ」。叔母のファッツはそう話す。
子供の頃のモネイについて、家族や親戚たちの印象は一致している。彼女は生まれながらのスターであり、成長とともにその才能を開花させていったという。教会での礼拝中に、マイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」を歌うといってきかない彼女が無理やり外に連れ出されたことや、奴隷解放宣言記念日に行われたタレントショーで、ローリン・ヒルの「ミスエデュケーション」を歌い3年連続で優勝したことは、数多いエピソードのうちの一つに過ぎない。彼女は学校のミュージカルでも常に主役だったが、高校3年生の時に『オズの魔法使い』のドロシー役を希望するも、職場に母親を迎えに行くためオーディションを棄権せねばならず、結果として役を逃したときの悔しさは今も忘れていないという。
ほどなくして、モネイはAmerican Musical and Dramatic Academyのオーディションに合格し、ニューヨークへ移り住んだ。彼女はいとこと小さなアパートをシェアしていたが、部屋に自分専用のベッドはなかったという。ミュージカル/演劇を専攻していた彼女は、授業以外の時間はアルバイトに明け暮れた。
しばらくして、モネイにとって理想的なカレッジライフを送っていた古い友達に感化され、彼女はアトランタへと移る。その街で彼女が過ごした日々のことは、これまでにも幾度となく語られている。キャンパスの中庭でギターを片手に、彼女はいつも風変わりなソウルを歌っていた。当時はオフィス・デポでアルバイトをしていたが、店のコンピューターを使ってファンからのメールに返信したことで、彼女は解雇されてしまう。「レッティング・ゴー」は、その出来事にインスパイアされて生まれた曲だ。
同曲を耳にしたビッグ・ボーイは、アウトキャストのアルバム『アイドルワイルド』で彼女をフィーチャーし、その後ショーン・コムズと引き合わせた。「正直に言うよ」。アトランタでのモネイのショーに招待された父親は、コムズが来るという話を信じていなかったという。「あのパフ・ダディが、そんなところに来るわけないって思ってたんだ」。それでも、ショーに招待されたことをうれしく思ったという。彼は薬物依存を克服したばかりで、父娘の関係は改善されつつあった。ジャネールが幼かった頃、彼は元妻から何度も娘の才能について聞かされていた。彼女にとって大きなチャンスだったそのショーに招待され、彼は誇らしい気分だったという。それでも彼は、そこにパフ・ダディが来るとは信じていなかった。
「いとこ2人と一緒に行ったんだけど、会場で娘からこう言われちゃってさ。『ちょっとパパ、そんなシワだらけのジーンズなんか履いて。完全に浮いちゃってるじゃない』」。服装に対するケチにムッとしつつも(それ以降、彼は常にジーンズのシワには注意しているという)、いとこの1人がステージ脇にコムズとビッグ・ボーイを発見したとき、彼は驚きとうれしさのあまり声を上げそうになったという。娘の新たな人生の門出となるその場に立ち会えたことに、彼は興奮していた。「スターってのはこういうもんなんだなって思ったよ」。彼は笑顔を浮かべてそう話す。「無数のカメラも豪華な照明も、全部ジャネールに向けられていたんだ」

Photo by Matt Jones for Rolling Stone
Wondaland Arts Societyの本部オフィスは、カンザスシティとマンハッタンでモネイが過ごした日々の中で思い描いた、彼女にとってのユートピアを体現しているのだろう。アトランタ郊外にある2階建てレンガ造りの建物の外観は、周辺に立ち並ぶ家屋と大差ない。しかし中に足を踏み入れると、ホワイエの壁にかけられたヴィンテージの時計、共用のリビングルームに置かれた純白のソファ、あちこちに見られる無数の本とレコード等、一般家屋にはない豪華な雰囲気が漂う。
その空間のコンセプトは、モネイがカンザスシティで過ごした幼少期の環境に基づいているという。コミュニティにおけるアーティストたちが気軽に足を運び、レコーディングやリハーサルを行い、その成果について仲間たちと意見を交換し合う。当日はアフリカから戻ったばかりだったシンガー/ラッパーのジデーナが顔を出し、逞しい肉体をひけらかすような服装を彼女たちからからかわれていた。
当日は2人組ファンクユニットのディープ・コットンの片割れであり、モネイのコラボレーターでもある陽気なチャック・ライトニングの姿もあった。キヌアの入ったボウルを手に持った彼は、「ピンク」のミュージックビデオの最終バージョンの選択について、モネイと議論を交わしていた(話し合いの結果、「ダーティー・コンピューター」の映像に登場したスポークンワードの部分をカットしたバージョンが選ばれた)。
『ダーティー・コンピューター』の大部分はここで制作され、ハバナ調のデコレーションが施された小さなスタジオが主に使われた。同作には盟友グライムスから、タイトル曲にコーラスで参加したブライアン・ウィルソンまで、多様なゲストが参加している。アルバムのライナーノーツでは聖書の一節が引用されているほか、クインシー・ジョーンズのインタビュー、Monica Sjööの 『The Great Cosmic Mother』、そしてライアン・クーグラーの『ブラックパンサー』にまで言及している。
その中でも一際重要なインスピレーション、それはプリンスからのアドバイスだった。彼女の良き友人だった彼は、本作の仰々しいまでのストーリー性、そして作り込まれたフックを賞賛していたという。「このアルバムの方向性について話したとき、彼は『君らにぴったりだ』って言ってくれたんだ」。ライトニングはそう話す。「僕らの追求していたサウンドに、彼は共感してくれてた」。彼らがインスピレーションとして挙げる音楽に詳しかったプリンスは、自身のフェイバリットでもあったゲイリー・ニューマンをはじめとする様々なアーティストや、当時主流だった機材などについて詳しく語ってくれたという。「思い描いた世界観を表現するために必要なものを、彼が教えてくれたんだ」
ファンの間では「メイク・ミー・フィール」はプリンスとの共作であり、「キス」を彷彿とさせるギターリフが登場するという噂が広まった。「あの曲に彼は関わってないわ」。モネイはそう断言しつつ、プリンスが生きていればプロダクション面で多くのアドバイスをくれたはずだと語る。「アルバムの制作中は、彼の不在を意識せずにはいられなかった」。『ジ・アーチアンドロイド』のCDが手元に届いた時、モネイは手書きのタイトルと花を添えて、真っ先にプリンスのところに持っていったという。「アルバム制作を進めながら、『プリンスなら何ていうだろう』って何度も考えた。でももう彼の声を聞くことはできない。進むべき道を示してくれた人物を、私は永遠に失ってしまった」
スティーヴィー・ワンダーもまた、早い段階からモネイの才能を見抜いていた人物の1人だ。ワンダー自身の提案によって録音されていた2人の会話は、『ダーティー・コンピューター』にインタールードとして収録されている。数年前、彼女は2人のヒーローをめぐる困難な状況に立たされたことがあった。プリンスのマディソン・スクエア・ガーデン公演と、ワンダーのロサンゼルス公演の日程が被り、モネイは両者からゲスト出演を依頼されていた。プリンスは彼女に、スティーヴィーのショーに出るよう促したという。

2013年、ステージで共演したプリンスとモネイ「制作中は彼の不在を意識せずにはいられなかった」(Photo by Kevin Mazur/WireImage for NPG Records 2013)
2016年の大統領選の夜、モネイは言葉にならない感情を覚えていたという。「生まれて初めて、私は自分が怯えていることを悟ったの」。モネイのファンであることを公言し、ホワイトハウスの中庭で彼女のショーを楽しんだオバマ大統領の後を引き継ぐのは、彼女の存在を脅かしかねない人物だった。「こんなふうに考えてしまうの」。彼女はこう話す。「明日目が覚めたら、人々が私を人間として扱わないようになってるんじゃないかって」
モネイは活動家としても知られている。2015年にはWondalandの仲間たちと共に「Hell You Talmbout」を発表し、人種差別と警察による暴力の犠牲になっている黒人の権利を訴えた。#MeTooおよびTimes Upムーヴメントが起こる前に、モネイは音楽業界における女性の待遇改善を訴える団体、Fem the Futureを設立している。2017年のウィメンズ・マーチではパフォーマンスのみならず、Times Upの代弁者としてスピーチを行った。グラミーでケシャをステージに招き入れた際には、彼女は歓声を上げるオーディエンスの前でこう語った。「争いは望まない。でもこれはビジネスなの」
その言葉は、トランプ政権下における彼女のマインドセットを示している。彼女の願い、それは敵対する相手への攻撃ではなく、彼らが考え方を変えることだ。「ホワイトハウスにいる人々との対話は実現しないかもしれない」。彼女はそう話す。「それでも、映画や音楽やテレビでのスピーチを通じて、彼らに私たちの声を聞かせることはできるかもしれない。その大半はきっと、ただテレビのスイッチを切るでしょうけどね」
アルバムの発売を2週間後に控え、彼女はニューヨークのホテルの一室にいた。「不安もあるけど、覚悟はできてるわ」。そう話す彼女からは、たくましさと脆さが等しく感じ取れる。今は涙を流している場合ではないということなのだろう。「この世を去っていった私のヒーローたちは、私たちが恐怖を抱えて生きていくことなんて望んでないはずだから」。活動家としての自身の主張にフォーカスした作品ではなくとも、『ダーティー・コンピューター』のあらゆる音からは彼女の信念が感じ取れる。アトランタでバンドとのリハーサルを終えたとき、彼女はメンバーたちにこのアルバムのアメリカ的な部分を強く意識してほしいと話していた。彼女にとってのアメリカ、それは居場所のない人々やアウトサイダーを受け入れる場所だ。かつて自らをウイルスに侵されたコンピューターと表現した彼女を、この国が受け入れてみせたように。
彼女は自身の表現に、よりパーソナルな部分を反映させることの意義を知っている。より保守的なリスナーに自分の音楽を届けるには、自分自身の物語について語らなくてはならないということを、彼女は映画に出た経験から学んだという。「『ドリーム』を観たある白人の共和党議員が、こんなツイートをしてたの。『この黒人女性たちがいなければ、我々の宇宙開発は大きく出遅れていたことだろう。彼女たちが受けた扱いの酷さに、心を痛めている』。とても真摯で、勇気付けられる思いだったわ」
カンザスにいる家族が本作を聴いてどう思うのか、モネイはやはり気にしている様子だった。彼らの意見は、彼女にとって何より大きな意味を持っているのだろう。もし従来のファンが離れてしまったとしても、彼女が後悔することはない。『ダーティー・コンピューター』は彼女の新たなチャプターの幕開けを告げるアルバムであり、それに伴うリスクを彼女は自覚している。
「私自身の経験から生まれた表現が、人々の思いを代弁するものであってくれたらって思う」。赤と黒の団子を思わせるジャケット、真紅のパンツ、そしてホテルに備え付けのタオル生地のスリッパという服装の彼女は、プロモーション活動を終えて戻ってきたホテルの一室でそう語った。「失敗を犯すかもしれないし、土壇場での対応を迫られることもあると思う。でも、私はそういう過程を楽しみたいの」。小さなため息をつきつつも、その声と眼差しには逞しさがみなぎっている。「今という時代を生きていくために、私たちは力を合わせないといけない。世界中の汚れたコンピューターたちと人々の心を通わせること、それが私の使命なの」