7月7日に80歳となったリンゴ・スターのバースデー記念インタビュー。コロナ禍での過ごし方から、ジョン・レノンポール・マッカートニー、同じドラマーであるジョン・ボーナムやキース・ムーンとの思い出、これから公開されるピーター・ジャクソン監督のビートルズ映画についてまで幅広く語ってくれた。


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ー今は半隔離状態ですが、どのように過ごしているんですか?

リンゴ:ほとんど家の中で過ごしている。かれこれ11週間になるかな。今月に入ってようやく、エンジニアを呼んで演奏した。ここはベットルーム1部屋の小さいコテージなんだが、ここのベッドルームは今までで一番ドラムの鳴りがいいんだ。そういうことをやったり、あとはアートルームというか絵を描く専用の部屋があって、そこで絵を描いたりとかしている。日光浴するのも好きだ。
LAは最高だ。陽ざしがたっぷりだし、のんびりできる。そんなところかな。

ローリングストーン誌によるインタビュー動画

ーあなたが子どものころ、ずいぶん長いこと入院生活を送っていたことが思い浮かんだのですが、あなたはどうでしょう、当時のことを思い出しますか? 当然、今のほうがずっとマシだとは思いますけれど。

リンゴ:ああ、ずっと楽だ。身体的にね。
なにしろ子どもで入院するんだ。最初は7歳(の時に)、1年間。入院した時が6歳半で、出てきたときは7歳半だった。2回目に入院したときは、病室で14歳の誕生日を迎えた。退院できるぐらい元気になったと周りをなんとか説き伏せて、15歳の誕生日の数週間前には退院させてもらったよ。

でも、そこから後のことがすごいんだ。
2回目に(結核で)入院した時は13歳だった。かぎ針編みとかそんなことを教わった。暇つぶしに病院が与えてくれるようなやつさ――勉強とは別にね。その病院には音楽の日というのがあって、担当の女性がタンバリンだのマラカスだの、トアライアングルやミニドラムを持ってきてくれた。6インチや7インチのドラムさ。その時からドラマーになりたいと思った。
そう、絶対に――ドラマーになるんだとね。

そのあと退院して、リバプールの楽器屋を何軒か回った。お目当てはドラム。ギターやピアノには目もくれなかった。祖父母の家にもピアノがあったんだけど、俺はまるきり興味がなかった。子供の時はよくピアノの上を歩き回っていたもんさ! とにかく、それがきっかけだった。
あの時の13歳の時の夢が、今でもまだ続いているんだよ。信じられないだろう。

なぜリンゴはこんなに若々しいのか?

ー80歳どころか、10歳も20歳も若く見えますよ。面白いものですね、子どもの時はずっと病気がちだったのに、ここまで長生きするなんて。

リンゴ:たぶん、病気がバネになったんだろうな。運動も長いことしていなかったし。
ナイトクラブでは運動してたがね!(笑)でも今は違う。運動するようになったんだ。隣の部屋はジムになってて、週に3日、時には6日運動している。それと、実はウォーキングもするんだ。最初にウォーキングを始めたのはモンテカルロに住んでいた時だ。港まで歩いて行って、戻ってきて、地元のレストランに入って煙草をふかし、ダブルエスプレッソを1杯。煙草はもうずいぶん前に辞めたが、ダブルエスプレッソの方は今も続いている。それにベジタリアンだ。食事の際にはブロッコリーを欠かさず食べて、朝は必ずブルーベリー。体にいいと思ったことをやってるだけさ。

ー80歳になった感想は?

リンゴ:80? おいおい、この辺りじゃあ俺はまだ24歳だぜ(笑)。良くもあり、悪くもあり、ってとこかな。確かに80歳、ずいぶん年を食ったもんだ。「えっ?」という感じだ。全然違う。70歳の時は気楽だった。ニューヨークシティのラジオシティ・ミュージックホールでポールがサプライズで出てきて、一緒にプレイしてくれたのは最高だった。一番辛かったのは40歳の時じゃないかな。40代を迎えるっていうのは――ほら、「ライフ・ビギンズ・アット・40」っていう曲の通りさ。とにかく辛かった。今年はなるようになるだろう。とても小規模なお祝いになるだろうがね。みんな「俺はまだ79歳だ」とか言うのは、来年ちゃんとお祝いしたいと思ってるからなのさ。

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ー「ライフ・ビギンズ・アット・40」というタイトルの曲は2曲あります――ひとつはずいぶん昔の曲、もうひとつはジョンがあなたのために書いた曲ですよね?

リンゴ:彼は俺のために「ライフ・ビギンズ・アット・40」を書いたわけじゃないと思うけどな?

ー少なくとも、この点に関してはあなたのほうが詳しいでしょう。

リンゴ:彼が俺のために書いてくれた中で一番の傑作は「アイム・ザ・グレイテスト」だと思う。ああ、まいったな。あいつがいなくて寂しいよ。彼、それからジョージも。今も2人のことを思い出すよ。でも俺にはまだ1人兄貴がいる。俺たちはまだまだ元気だ。

ジョン・ボーナムやキース・ムーンとの思い出

ー私があなたのドラムを好きな理由は、あなたが演奏で自分の個性をフルに発揮しているところです。スクリーン上で見せる姿とまったく同じです。あれは意図的ですか? 何かきっかけがあったのですか?

リンゴ:実は、俺は左利きなんだ。祖父のおかげで字を書くのは右手だが、ゴルフとか他のことは全部左利きだ。でもドラムに関しては、セットを組んで、ただ座って叩き始めた。たしかにいくつか技はある。俺はタムの深い音が好きだから、つなぎのパートではよくタムを多用する。心がけているのは、曲の一部になること。ボーカルが歌っているときは本気で演奏しない。ボーカルと一緒に演奏するようにしている。それを大事に今までやってきた。つなぎの部分では、こうした方がいいと感じたままに、感覚でプレイしている。だから多くの場合、2度目のテイクでは多少違っていたりする。意識してやっているわけじゃないんだ。どうしてそうなったのかは分からない。神様の思し召し、とでも言っておくよ。

ー以前ポールは、あなたがレイ・チャールズの「ホワッド・アイ・セイ」のフィーリングを上手くとらえるのをすごいと言っていました。初期の演奏にはそういったフィーリングが良く出ていたと思います。あの曲から影響を受けたのでしょうか?

リンゴ:いや、あの曲はよく知ってるけどね。レコードもいろいろ聞いていたけど、とくにドラムの音にこだわって聞いていたわけじゃない。例えばアル・グリーンの(1971年の曲)「アイム・ア・ラム」、あの曲ではドラムのハイハットが実にいい仕事をしている。あれにはやられたね。素晴らしい。昔の曲で唯一俺がこれだと思うドラムソロは、コージー・コールの(1958年のインストゥメンタル曲)「Topsy」。俺が気に入っているのはあれだけだ。一時期のジョン・ボーナムのソロもなかなかのものだった。

ーボーナムとキース・ムーンの両方と非常に親しかったというのは面白いですよね。特に問題児だったのはどちらですか?

リンゴ:いや、2人とも問題児だった。俺が70年代にここに住み始めたとき、ジョン・ボーナムは(レッド・ツェッペリンが)LAに来るたび、「リンゴの家まで行って、奴を捕まえてプールに放り込んでやろう」と企んで、実際その通りにした。昼間だろうと夜中だろうと関係なく、俺をプールに放り込んだもんさ。

キースは人間として素晴らしい奴だった。だが俺たちみんな薬物にはまってて、彼もそうだった。うちの子供たちからは「キースおじさん」と呼ばれていて、一時はうちで暮らしたこともある。あの2人のせいでドラマーは評判が悪いんだ――ドラマー連中はみな頭がイカれてるってね! 世の中にはイカれてないドラマーも大勢いるが、あの2人は俺の友人だった。

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ーキース・ムーンがしょっちゅうあなたのお子さんにプレゼントを買っていたという逸話があります。ただし、実際にお金を払っていたのは彼ではなかったんですよね。

リンゴ:彼がジュークボックスをもって家に来たことがあって、「ワォ、キースありがとう、こいつは本当にすごい」とみんなで喜んだ。で、勘定を払ったのは俺。ある年のクリスマスにはサンタの格好をして、雪の女王に扮したガールフレンドと一緒にプレゼントを持ってきた。でも支払いは俺! しまいにはキースにこう言ってやったよ、「頼む、もうプレゼントはいらん、俺はもう払えない!」ってね。

1964年の人種差別、2020年以降の展望

ービートルズが最初に渡米した時、さまざまなことを経験しましたね。当時アメリカで行われていた人種差別とか。

リンゴ:一度(1964年、フロリダ州ジャクソンヴィルの)コンサートでは、黒人と白人を分離して(実施する手筈になって)いた。どうにも理解できなかった。なにしろ俺たちの憧れの存在の大半は、アフリカ系アメリカ人のアーティストやシンガーだったんだから。それで俺たちは「演奏しません」と言った。そしたら、道路占拠もなかろうということで、向こうも(分離しないで)演奏することをOKしてくれた。俺たちのお手柄になったわけだが、理由はただ、大勢の黒人ミュージシャンたちが俺たちのヒーローだったからさ。とにかく間違っていると感じた。

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ーまもなく公開されるピーター・ジャクソン監督のビートルズ映画をご覧になった感想はいかがですか?

リンゴ:俺が見たのはほんのさわりだけだ。でも、そのさわりが素晴らしい出来でね。オリジナルの映像は、そうだな12分かそこら。それを彼は45分にした。たいしたもんだよ。マイケル・リンゼイ=ホッグのドキュメンタリーはちっとも面白くなかった。彼は1つの場面だけ取り上げて、あとは全部無視した。彼本人が出ているシーンも多かった。今回は56分の未使用映像が見つかって、ありがたいことにピーターが企画に参加すると言ってくれた。もちろん今は作業も止まった状態だ。年内には公開されるはずだが、はっきりとは決まっていない。彼はLAに来ると俺のところに立ち寄るんだ。ラップトップ持参でね。それで新しいアイデアとかストーリーを見せてくれる。そりゃもう楽しくて、いつも2人で大笑いさ。ドキュメンタリー制作中は他にもいろんな人たちが訪ねてくる。いつも笑いがあふれていて、みんな仲がいい。参加してくれたピーターには感謝しなくちゃ。彼もユーモアのセンスが抜群でね。試写として見せてもらったのはさわりだけど、本当に、本当に素晴らしい出来だ。完成したらきっと残りも最高だと思う。

ー昨年7月にはポール・マッカートニーとステージに上がって「ヘルター・スケルター」を演奏しましたね。レコーディング以来、これまであの曲を演奏したことはありましたか?

リンゴ:いや、ないね。(パフォーマンスの前に)1度だけ聞き直したけど、なぜまたこの曲だったんだろう? ポールと演奏するのは大好きだ。素晴らしいミュージシャンだしね。彼はLA滞在中、俺がレコーディングしていたら必ず1曲参加してくれる。世界最高の、誰よりもメロディアスなベースを弾く男が、今も俺のために手を貸してくれるんだ。しかも、俺の望み通りの仕事をしてくれる。でも、気づけばもう40年間もずっとこんなことを言ってきた。いまだに同じことを言い続けているとは!

ー最後に、「グッド・ナイト」を振り返ることはありますか? この曲についてあなたが語るのを聞いたことがないものですから。

リンゴ:それはバンドのせいだな。俺も昔はロックシンガーだったんだが、俺に歌わせるのはいつもああいうおセンチな曲だった。バンドが俺のキャリアを台無しにしちまった!

ーあらためて、お誕生日おめでとうございます。

リンゴ:ありがとう。皆さんに平和と愛がありますように。