2000年10月にリリースされた『ハイブリッド・セオリー』は21世紀史上最も売れたデビューアルバムであり、ヘヴィ・ロック、オルタナティブ・ロック、ヒップホップ、エレクトロニックといった様々なジャンルの要素が混在し、音楽の新しいジャンルを世に送り出した革新的な作品となった。

2020年9月29日、『ハイブリッド・セオリー』の20周年記念を祝うオンライン世界記者会見が行われた。


アメリカ、イギリス、オーストラリア、フランス、スペイン、ポルトガル、メキシコ、香港、タイ、そして日本など、世界各国のジャーナリストが各自1問ずつ、順番に質問。その多くが質問をする前に『ハイブリッド・セオリー』に大きな影響を受けたことを語り、この名盤の20周年をバンド(休暇中のロブ・ボードン以外の全員)とともに祝福した。

司会者はMTVの『ヘッドバンガーズ・ボール』と『120ミニッツ』のVJとして人気だったマット・ピンフィールド。終始楽しげな祝賀ムードの中、興味深いエピソードや故チェスター・ベニントン(Vo)の思い出が語られた貴重な会見だった。

—このアルバムには巨大な遺産がありますね。歴史上最も売れたアルバムの一つですし、何千万人もの人々の人生に影響を与えました。ロックだけでなく音楽シーン全体に影響を与え、今聴いても、このアルバムの楽曲は最高です。このアルバムで、あなた方が最も誇りに思っている部分は何ですか?

ブラッド・デルソン(Gt):このアルバムの長寿だね。アルバムを作っていた時の目標が、タイムレスなアルバムを作るっていうものだったから。ピンク・フロイドとかレッド・ツェッペリンとか、ナイン・インチ・ネイルズ、ガンズ・アンド・ローゼズ、メタリカとかの、俺達をインスパイアし、影響を与えたアルバムのようにね。作られた当時に共感を呼んで、しかも何十年後にも影響を与え続けている。当時このアルバムを体験して、それからずっと俺達と一緒に体験してきた人達にとって今も重要な作品である上に、ギターを初めて手にしたキッズが、「ペイパーカット」のギターを学んでるとかって、信じられないよ。
このアルバムが今も今日的であり続けているのは、俺達が望んでいたことではあるけど、一度も期待も予想もしていなかった。

フェニックス(Ba):それに付け加えると、数日前に友達と話していて気づいたんだけど、僕達は『ハイブリッド・セオリー』でバンドを軌道に乗せたわけだけど、その多くは、バンドとして僕達が何をするかを探る道で、そこから僕達は自分達の意見や信念を守るようになったんだ。決してカップケーキやユニコーンやレインボーやおとぎ話で一杯の道ではなかった。僕達は沢山「ノー」と言われたし、立場が上の多くの人達から、やってることを変えろとか、あるメンバーがやってることを変えろとか、いろいろと言われてた。そのプロセスの中で、僕達は僕達がどんな風に何をやりたいか、やりたくないかを見つけていった。そしてありがたいことに、自分達の信念に従うことが結果的に成功したんだ。ものすごくね。だから『ハイブリッド・セオリー』が作った軌道は、僕達自身を信じて僕達自身に賭けるってことで、僕達6人で前に進む上で、どんな風に仕事をしていきたいかっていう素晴らしい青写真になったんだ。そしてもし僕達がやりたくないことなら、それは試みる価値がないんだって考えるようになった。

『ハイブリッド・セオリー』が発表された時にまだ娘はいなかった(フェニックス)

—『ハイブリッド・セオリー』の発表後、大きな門が開かれたような感じで、あなた方は当時影響力のあるフェスだったオズフェストや、ファミリー・ヴァリューズ・ツアーに招かれて、自身のツアーもやって、『リアニメーション』というリミックス・アルバムも出しましたよね。『ハイブリッド・セオリー』はその後のあなた達をどのように形成しましたか?

ブラッド:みんな知ってると思ってたけど改めて言っておくと、俺達のバンドの名は、ハイブリッド・セオリーだったんだ。でもレーベルの人に変えるように言われて、それで変えた。
チェスターが「リンキン・パークはどう?」って言って、「意味は何だ?」って聞いたら、「分からないけど、クールだろ」って。だから、実を言うと、ハイブリッド・セオリーはこのバンドのことだったんだよ。様々なスタイルの音楽を融合するっていう概念がね。この時までに俺達が作った全ての多様な音楽が、最終的にこのアルバムになって世に出たんだ。レコード契約を手にして、スタジオに行って、そこで突然、「これは現実だ」って実感して、プレッシャーも感じて。映画の中にいるみたいだったよ。

—今回のようなデラックス盤はまた作りますか? これを作ったことで、次にどんな音楽をやろうというような話にはなりましたか?

マイク・シノダ(Vo):このプロジェクトを始めた時、完成するのか少し疑ってたんだ。友人達や家族が色々なものを見つけてくれて、それを集め始めるまではね。長年の間にこういうものがたまっているのは分かっていたけど、クオリティは保証されていないから。でも今回のプロジェクトに収録したものは、見るのが本当に楽しかった。このバンドの種は、僕と12、3歳の頃からの友人のマークで、ブラッドがマークの家の隣に住んでた。僕達がマークの家の窓から石を投げたら、ブラッドの家の窓に当たる距離で。
ブラッド、君がメタリカの曲を練習してたのが聞こえてたんだよ。

ブラッド:お前達だったのか? 変な視線を感じてた。

マイク:女子だったら良かったね(笑)。で、マークと僕で曲作りを始めた時に作ったデモも、ここに収録されている。リリースできるように、マークにお願いしたんだ。だから、すごく特別な曲が入ってるよ。スーパーファンだけじゃなく、当時このアルバムを楽しんで聴いていて、特別な思い出があるような人達にも楽しんでもらえると思う。

フェニックス:僕達の音楽を楽しんでくれる人達が大勢いるのは知ってるけど、僕の家庭にも3人いて、娘達は『ハイブリッド・セオリー』が発表された時は、まだここにいなかった。彼女達に20年前の僕達を見せるのは、すごく楽しかったよ。娘達は、メンバー全員に会ってるからね。だから、もし今後もアルバムの記念盤が出ることがあるとしたら、個人的にはやりたいなと思うよ。

ブラッド:それに俺達はいつだって、曲を作るのが大好きなんだ。
このアルバムの次のアルバムでも、俺達は可能な限り沢山曲を作って、それを絞ってた。毎回、平均して60曲から100曲を12曲に絞るっていうことをやってたんだよ。

チェスターとの出会い

司会のマット:ボックス・セット収録のCD『Forgotten Demos』には12曲の未発表デモ曲が入っているね。その中の一曲、「ピクチャーボード」について教えてくれ。

マイク:すごく面白かったのは、「ピクチャーボード」が19、20年存在してるっていうことを、ファンは知ってたんだ。でも、それがどんなサウンドかは知らなかった。で、このボックス・セットのためにモス・デフのヴォーカル・サンプルの許可を取って、発表できるようにした。この曲のオーディオ・クリップをファンが聴いて、2000年か2001年のロック・フェスティバルで、僕達がインタールードでこの曲を使ったことを発見してたよ。しかもファンは、そのパフォーマンスのインタールードに勝手に名前をつけてた。ネットで彼らと話していて、「それは君達がつけた名前だろ、何のことを言ってるのか分からないよ」って。だから、ファンに聴いてもらうのがすごく楽しみだよ。

ブラッド:俺の記憶が間違ってなければ、俺が初めてチェスターの声が入った曲を聴いたのは、この曲だったと思う。
「こいつどう思う? デモを送ってきたんだけど」ってデモを聞かされて、嬉し泣きまではいかなかったけど、ほぼそんな気分になった。ヴァースは小さくて繊細なのに、ヘヴィなパートでは様々な音色やハーモニーが聞こえて、ぶっ飛ばされた。それで、「こいつに会おう」って言ったんだ。

—バンドとしてチェスターと初めてリハーサルをして、何か特別なものを感じた瞬間について話していただけますか?

マイク:僕達は、バンドのアイデンティティーや、バンドとしてやりたいことをすごく守ろうとしてた。フォーカスしていきたいビジョンがあって、でもそれはまだそこには存在してなくて、そのビジョンを固めたかった。だからチェスターが入って来た時、全員で、彼がどんなに才能に溢れているか、どんなに凄い歌声を持ってるかっていう話をずっとしてた。長年言ってることだけど、僕達がデモを作ってる間、チェスターもまた、どんなヴォーカリストになりたいかを見つけようとしている最中だった。彼は本当にユニークな表現ができたけど、このスタイルの音楽には何が合うか、バンドにとって何がベストを歌いながら探っていたんだ。その両方を同時にやっていて、僕はレコーディングをしながら彼がやることに反応して、そうしてゆっくりと、それが僕達のアイデンティティーに発展していった。

だから、彼が何かを歌って、「これだ!」って僕が興奮する瞬間があったというより、小さなステップを重ねて行く作業だったんだ。ボックス・セットに「シー・クドゥント」っていう未発表曲が入ってるんだけど、当時は気づいてなかったけど、これはすごくクールな曲で、歌詞に”君は一人じゃない”っていう一節があって、チェスターが曲中で叫んでなくて、ヘヴィなディストーション・ギターも入ってなくて、リズムトラック全体がほぼサンプルで、僕達とチェスターの関係の本当に初期に、「この曲はずっと後に、僕達のアイデンティティーの一部になる」って感じた。2007年とか2010年ぐらいの僕達の音楽の方向性を示唆していたんだよ。
全てはすでにこのデモの中に入っていて、僕達はただそれを発見する必要があっただけなんだ。

メンバーが『ハイブリッド・セオリー』の中で一番好きな曲は?

—チェスターのヴォーカルが入った未発表曲の数々は編集するのが大変でしたか? それともセラピーのような感じになりましたか?

マイク:「シー・クドゥント」を聴いた人に、「現代的にアップデートされていて、モダンに聞こえる。クールだね」っていう感想をもらったんだけど、実際は僕達は何もしてないんだ。デモをそのまま使った。これらの曲はマスタリングはしたけど、ミックスしなかったし、サウンドも変えなかった。だから、(モダンに聞こえるというのは)僕にとっては褒め言葉だった。ヴォーカルを聴き返したことについては、古いアルバムを見るような感じですごくノスタルジックな気分になったし、僕達が経験してきた旅に、感謝の気持ちが溢れてきた。「シー・クドゥント」や「ピクチャー・ボード」といった初期のデモは、チェスターが加入する以前のXero(ゼロ;ハイブリッド・セオリーの前のバンド名)時代のデモなんだ。当時の僕達はただのキッズで、全く関連性がない様々な大好きな音楽を融合して、僕達にとってシームレスに感じられるものに仕上げる方法を見出そうとしてたんだ。

—『ハイブリッド・セオリー』の中で一番好きな曲は何ですか? そして、同じワーナー・ミュージック所属の偉大なバンドとして答えていただきたいのですが、ヴァン・ヘイレンのベスト・シンガーは?

マイク:「ペイパーカット」が一番だよ。僕達が作ろうと励んでいるタイプの曲だった。ロックという点において、最高の僕達が出てる。バック・ビートは僕達がやってたエレクトロニック・ミュージックを凝縮したものだし、サンプルをループしてて、チェスターのラップコーラスも最高だ。そして曲の終わりはすごくメロディアスになって、最高のエンディングを迎える。このアルバムから一曲だけ聴くとしたら、僕にとってはこの曲だね。

ブラッド:マイクの答えが気に入ったよ。考えたことなかったけど、「ペイパーカット」は実にクールだね。全ての影響をシームレスに封じ込めてる。俺自身は、好きな曲は頻繁に変わる。沢山素晴らしい曲があるからね。だからこのアルバムはまとまりがあるんだと思うよ。全ての曲が重要な役割を果たしてる。それに、このアルバムには多様性もある。

ジョー・ハーン(DJ):実は長い間、「ワン・ステップ・クローサー」が好きじゃなかったんだ。曲が嫌いだったんじゃない。ただ、四六時中かかってて、毎回プレイを望まれるから、嫌気が差してて。今でも、ショウの凄くいいラスト曲になってるけど。でもその後は嫌じゃなくなって、今は僕が一番好きな曲の一つだよ。

フェニックス:ジョーは「キュアー・フォー・ザ・イッチ」って言うべきだよ。アルバムでDJのショーケースの瞬間になってるからね。

ジョー:あ、答え変えていい?

フェニックス:(笑)ベーストラックが数曲あって、その一つが「キュアー・フォー・ザ・イッチ」、もう一つが、何て名前だっけ?

マイク:「ベリー・ベーシック」だよ。最高にベーシックな曲。

フェニックス:そのベーシックな曲が、CDになったら入ってなかった。あれが僕が一番好きな曲になるはずだった。

『ハイブリッド・セオリー』の呪縛とどう向き合うか

—香港人、アジア人として、リンキン・パークは私達が特に親近感や結束感を感じる存在です。マイクとジョーが、アジア人の血をひいていますし。それに、あなた方も信じていると思うのですが、音楽は世界共通の言語ですよね。『ハイブリッド・セオリー』が世界中で大きな共感を呼んだことについてどう思いますか?

ブラッド:活動を始めた時、俺達はどこに行ってもローカルバンドになれるだろうと思ってた。そして俺達は世界のどこでも、深い繋がりを築いてきた。アジアに行って、メンバーの大半がそこに行ったのが初めてで、英語が第一言語ではない場所で観客が俺達の曲を大声で歌い返してくれるのを聞いた時、感激した。君は共感って言ったけど、俺達の歌詞にもサウンドの中にも感情が込められてて、それが世界中の人達が共感できるものだったんだ。アジアでは特に、俺達はローカルバンドの気分だったよ。

ジョー:ブラッドと同意見だよ。それと、マイクとチェスターのコラボレーションに自然なダイナミズムがあって、歌詞もハーモニーも、二人のフロントマンがいることが、時々挑戦になったと同時に、僕達をユニークにしていたと思う。彼らは凄くパーソナルな出来事を曲にしていたんだけど、それが2つの視点から書かれていることによって、それらが合致する場所を見出す必要があった。でも、彼らは共通の土台を見つけて、それが凄く普遍的な感情に翻訳されたんだ。彼らは最高にパーソナルで、同時に最高に共感できる曲を作ることによって、人々の共感を呼んだ。二人は凄いよ。大変でもあったと思うけど、時間をかけていく間に、そのマジカルな瞬間がどんどん曲に出てきたんだ。

リンキン・パーク『ハイブリッド・セオリー』20周年記念盤、メンバーが語る名盤の舞台裏


—『ハイブリッド・セオリー』は、あなた方にとって巨大な恩恵でしたが、同時に呪縛のような側面もあったかと思います。あまりにも素晴らしい作品だったために、多くのファンが、あなた方が新作を出す度に『ハイブリッド・セオリー』と比べていましたから。このアルバムの持つ二つの側面が、どのようにあなた方のキャリアに影響してきたと思いますか?

ジョー:その質問に答えるにはいい時だと僕は思う。僕達の過去20年の間、その時々でこのアルバムに対する気持ちは変化したけど、僕達は『ハイブリッド・セオリー』に匹敵する作品を作ろうと思うと同時に、進化して、別バージョンの『ハイブリッド・セオリー』を出していこうっていうやる気を持っていた。今でも、僕達が音楽を作る時はそれを目指して努力してるよ。このアルバムに僕達が少し引き止められてるような気がした時はあったし、何かを決断する時にも影響してた。

でも、このアルバムは僕達に偉大な機会をもたらしてくれた。ファンはこのアルバムが大好きで、それは何も悪いことじゃない。ファンが僕に声をかけてくれる時、このアルバムについて感謝されることが一番多いんだよ。このアルバムがどんな風につらい時期に助けになったかとか、このアルバムはアガるから聴きながらエクササイズするのが大好きだとかね(笑)。¥

ブラッド:俺はこのアルバムは、恩恵だったと思う。それ以外の何物でもない。当時は何が起こってるのが理解するのが大変だったけど、それでも恩恵だったし、今でも恩恵になってるからね。このボックス・セットに収録されてる本に写真があるんだけど、『ハイブリッド・セオリー』のロゴをタトゥーで入れてる人の写真なんだ。「この音楽が大好きなんだ。タトゥーを入れたんだ」って見せてくれた人に、数え切れないほど会ったよ。僕達はアーティストだから、そんなに責任があることしてくれて素晴らしいっていつも思ってた。それに、彼らにとってコミュニティの一員みたいな体験を提供していたとも思う。進化を遂げた俺達のキャリアを通して、彼らはずっと僕達の音楽に献身してくれた。このアルバムはその全てをスタートさせたアルバムなんだ。だから、このアルバムは恩恵だと思う。

ローリングストーン誌の表紙にまつわるエピソード

—過去20年を振り返ってみて、どんな感慨を覚えましたか? そして、この旅路で、あなた方が最も感謝していることがあるとしたら、それは何でしょうか?

ブラッド:『ハイブリッド・セオリー』のツアーは、2年半ずっと続いたんだ。少しだけ家に帰る時間があったけど、気持ち的にはずっとツアーに出てた。家にいて、友達や家族と過ごす生活から、2年半ツアーに出て人前で生活するようになって、本当に大変で、孤独だったしつらかったし、嬉しかったし最高でもあった。誰もが「経験してる間に楽しみなよ」って言ってたけど、俺にとってはカオスだった。地に足をつけているのが精一杯だった。だから、感謝は後から湧いてきたんだ。そして今振り返って、「なんて驚異的なロケットに乗ってたんだ」って思える。それをこのメンバーでやれたことに感謝しているよ。

司会のマット:ボックス・セットに収録された初のプロジェクト・レボリューション・ツアーのライブ映像のことだけど、あの年、確か君達はデフトーンズの「マイ・オウン・サマー」をカバーしたよね?

ブラッド:俺達のカバーの歴史はあまりなくて、他のバンドが僕達をカバーした時の方が優れてたよ。俺達がやろうとしたのを見るのは楽しかったけどね。珍しいから。

フェニックス:僕達がやったカバーは数曲しかなくて、その曲は覚えてるよ。いつも演奏するのが楽しかった。多分、他にやったカバー曲はナイン・インチ・ネイルズの曲だったんじゃないかな。僕達はそもそも、何をカバーするかで意見が一致することが殆どなかった。そして、稀にやることになった時は、一か八かなんだ。

司会のマット:2001年のフィルモア公演のDVDも入っていて、素晴らしい。当時のライブ映像を見返して、どう思った?

マイク:子供の時にタレントショーか何かに出演した時の映像を見ているみたいな気分で、見てて恥ずかしくなったよ。覚えてるのは、すごくプレイを重ねたから、バンドが成長してすごくタイトになってたこと。それから、『ハイブリッド・セオリー』は40分以下だったんだけど、フェスティバルでヘッドライナーに近い時間に出るようになって、最後から2番目とかになると、観客は60分のセットリストを見たがるんだよ。

ブラッド:90分ぐらいプレイしてくれって言われたからな。

マイク:ああ、ヘッドライナーになったら言われたね・

ブラッド:それで俺達、「どうしろって言うんだよ?」って。同じ曲を3回やるの?

マイク:(笑)それに、当時チェスターと僕はステージ上でのペルソナというか、キャラクターを探ってて、チェスターも僕もMCが普段の話し方とは違ったんだよね。その理由の一つはステージ上で居心地の悪さを隠すためで、いつもと違うペルソナの裏に隠れていれば、何千人もの観客に見つめられているっていう事実を認識せずに済むと思ってたからなんだよ。みんな覚えてる? プレス用の写真を撮る時に、一番の問題は、「手はどうしたらいいのかな」とかで(笑)。僕達は若くて、それぐらい経験が浅かったんだ。雑誌の表紙の撮影で、「この手はどうすりゃいいんだ、バカっぽくみせたくない」、「大丈夫だよ、ただポケットに突っ込んどけ」とかヒソヒソ話してた」

ブラッド:それで思い出したよ。ローリングストーン誌の表紙の撮影で、俺以外の全員が表紙に出てて、俺は上の帯に隠れてて、手だけ出てたんだよ。帯を開かないと俺の全身が見えないんだ。でも、あれが俺の一番好きな表紙の写真。俺達が漁師みたいな設定だった。

ジョー:あれ、一番売れなかったローリングストーンだって最近聞いたよ。

司会のマット:それはないよ(笑)。

ブラッド:俺が表紙に出てないからだ(笑)。

「怒り」から「共感」へ

司会のマット:今日は時間を作ってくれてありがとう。最後に言いたいことはある?

フェニックス:僕達のファンにありがとうを言いたい。最初の日から、僕達は恵まれていて、大勢の人達が僕達を支えてくれて、ファンベースを作ってくれて、僕達と、僕達がやろうとしてるアートに繋がってくれて、友達とシェアしてくれて、前線に立って僕達が音楽をリリースするのを助けてくれた。今でもそうだよ。20年経過して、大勢の人達が今もそこにいて、僕達をサポートしてくれてる。スペシャルなことだよ。ユニークなことでもあるし、ファンだけでなく僕達も一緒に祝うべきことだと思う。それが僕達が活動する理由だから。小さな部屋に集まってレコーディングしていた時から、僕達が本当にやろうとしてたのは、誰かと繋がって僕達の楽曲を共有したい、人々との繋がりをシェアしたいってことだった。これまでの全ての過程で、僕達には本当に特別なファンベースがあった。それに何よりも感謝しているよ。

ジョー:これを実現してくれたチームのみんなと、ファンにありがとう。僕達が最初にバンドを始めた時、僕達の音楽には怒りがあって、それが最終的に、共感に置き換えられて、僕達のコミュニティーが築かれた。だからみんなに言いたい。そのことを覚えていて欲しい。自分たちを大事にして、物事がすごくシリアスになっても深刻に捉えすぎないで、お互いに助け合って欲しい。そうすれば、なんとかなるよ。
マイク:みんなが全部言ってくれたと思う。付け加えることはないよ。このメンバー達に感謝してるし、チームにも、ファンにも感謝しているよ。僕達のこれまでの旅路を振り返れて嬉しかったよ。

One Step Closer (Live in San Diego, 2001) - Linkin Park

<INFORMATION>

リンキン・パーク『ハイブリッド・セオリー』20周年記念盤、メンバーが語る名盤の舞台裏

『ハイブリッド・セオリー:20周年記念盤』
リンキン・パーク
ワーナーミュージック
発売中
https://Linkinparkjp.lnk.to/HT20Me

※『ハイブリッド・セオリー:20周年記念盤』
スーパー・デラックス版ボックス・セット

・CD5枚(『ハイブリッド・セオリー』、『リアニメーション』、アルバム当時の楽曲12曲を収録したBサイド・レアリティーズ、リンキン・パーク・アンダーグラウンド(LPU)ファンクラブ限定のレア音源18曲、「シー・クドゥント」を含む未発表楽曲12曲を収録)
・DVD3枚(『フラット・パーティー』、プロジェクト・レボリューション2002(リンキン・パーク主催フェス)の未公開ライブ映像、音楽フェスティバル(The Fillmore 2001、Rock Am Ring 2001)のフルライブ映像他)
・レコード3枚(『ハイブリッド・セオリー』、『リアニメーション』、『ハイブリッド・セオリーEP』)
・カセットテープ(2曲収録、当時のストリート・チーム・サンプラーのレプリカ)
・未公開の写真など貴重な資料を集めた豪華なイラスト付きブック(80ページ)
・ツアーパスのレプリカ
・チェスター・ベニントンの大判ポスター
・マイク・シノダ、ジョー・ハーンとフランク・マドックス(オリジナル・アルバム・ジャケット、今回の20周年記念盤ジャケットのデザインを手掛けたアート・ディレクター)の3人が新たに書き下ろしたアルバム・ジャケットのリトグラフ

購入:ワーナーミュージックダイレクト
http://store.wmg.jp/shop/linkin_park
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