『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズや『キングコング』などの監督作で知られるピーター・ジャクソンによる全3部作、トータル8時間弱にも及ぶ本作は、アップルコアに残された57時間以上の未発表映像と、150時間以上の未発表音源を3年かけて洗い出し、最新AIなどを駆使して復元したその素材を時系列に並べたもの。
そこで今回は、ビートルズのオフィシャル作品の翻訳を数多く手掛けてきた翻訳家・奥田祐士に、本作の見どころについてたっぷりと語ってもらった。

奥田祐士(おくだ・ゆうじ)
1958年、広島生まれ。東京外国語大学英米語学科卒業。雑誌編集をへて翻訳業。ビートルズ関係の主な訳書に『ビートルソングス』(ソニーマガジンズ)、『ビートルズと60年代』(キネマ旬報社)、『ザ・ビートルズ大画報』(ソニーマガジンズ)、『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』(河出書房新社)、『ポール・マッカートニー 告白』(DU BOOKS)など。2021年10月に公式書籍として刊行された『ザ・ビートルズ:Get Back』(シンコーミュージック:画像)にも携わっている。
─奥田さんは長年ビートルズ関連の翻訳に携わってこられましたが、今回このような形のドキュメンタリー映画が作られることは予想していましたか?
奥田:『ザ・ビートルズ:Get Back』が制作されるまでの背景として、1970年に公開されたマイケル・リンゼイ=ホッグ監督によるドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』をどうするか?という問題がありました。これまで何度も再発の噂が浮上しては立ち消える状況が続いていましたが、この重要なコンテンツをアップル・コアがそのまま放置しておくはずがないとは思っていましたから。
─そうですよね。
奥田:なんとなく予想していたのは、リンゼイ版『レット・イット・ビー』のレストア・ヴァージョンの公開と、ゲット・バック・セッションで残された膨大な音源をボーナストラックにつけた、アルバム『Let It Be』のリイシューという形です。そもそも『Let It Be』は、1970年リリース当時は写真集『The Beatles: Get Back』を収録したボックス仕様だったわけで。
─ピーター・ジャクソン監督によるドキュメンタリー『ザ・ビートルズ:Get Back』は、映像の美しさにも度肝を抜かされました。
奥田:2000年にベストアルバム『1』がリリースされた時、リンゼイ版『レット・イット・ビー』から「Let It Be」の映像をレストアしていましたが、そこからまた格段に進歩していましたよね。ギターにかき消されている音声を、最新AI技術で抜き出したりしていて。ビートルズは現役時代からずっと、テクノロジーと共に進化してきたことを再認識しますよね。まあ、マジック・アレックスみたいな人物に翻弄されたこともありますが(笑)。
─解散間際のビートルズは、様々な憶測や噂も含めて様々なエピソードがありましたが、奥田さんは今回の映像をご覧になったり、公式書籍を翻訳したりしながらどんなことを考えましたか?
奥田:特に印象的だったのは、ジョン・レノンがアラン・クレインと会ったときの印象を、ジョージ・ハリスンに蕩々と話すところです(Part3 DAY19)。これは写真集にもドキュメンタリーにも出てきますが、一度会っただけのアランにジョンは完全に心酔しきっている。しかも、その会話はポールがちょうど用事があって席を外している時間に行われていたじゃないですか。「これはやばい、早くポール帰ってきてくれ!」とハラハラしながら訳していました(笑)。
─その後の展開を知っているからこそ、「ああ、ここでこんな伏線が!」「ここがターニングポイントだったんだな」などと思うシーンがたくさんありましたよね。
奥田:本当にそうですね。クライマックスのルーフトップ・コンサート(Part3 DAY21)も、素晴らしければ素晴らしいほどその後の展開を知っているだけに、どうしてもほろ苦い気持ちになる。その一方で、明るい場面もたくさんありました。今回、改めてリンゼイ版『レット・イット・ビー』を見返してみたのですが、世間で言われているほど陰鬱な映画でもないんですよね。基本的には演奏シーンがほとんどで、メンバー同士でやり合うシーンもそんなになくて。そういう意味では今回の方が、今言ったようなもっとヤバいシーンがたくさんありますし(笑)、逆にもっと楽しそうなシーンもたくさんある。まあ、「バンドってそういうものだよな」と思わされます。
─リンゼイ版『レット・イット・ビー』における諍いのシーンは、当時はそれだけインパクトがあったということでしょうね。
奥田:あと、『ザ・ビートルズ:Get Back』をよく見ているとアラン・パーソンズもチラチラっと出てくる。のちに彼はアラン・パーソンズ・プロジェクトで世界的な大ヒット曲を作るわけですが、当時あの現場ではいちばんの下っ端なんですよね。
『Get Back』音楽的な見どころ
─音楽的な見どころでいうと、なんといってもビートルズの楽曲が生まれる瞬間を目撃できるところですよね。
奥田:はい。「Get Back」とか、ポールがちょろっとベースで弾くアイデアの断片が、曲として完成するまでをしっかり追っていて(Part1 DAY4~)。リンゴのドラムも、最初は普通に8ビートを叩いていたのが「タッタカタッタカ」という例のパターンに変わっていく。しかもそれが、「フォー・トップスの『Reach Out』みたいにしよう」というジョージのアイデアだったことも判明します(Part3 DAY14)。歌詞も、ポールがジョンに相談している様子などもカメラに収録されていて。この一連の流れは本当に感動的でした。
─サビの部分で9thのテンションをギターに入れるところとか、ジミ・ヘンドリックスが前年にリリースした「Foxey Lady」の影響を間違いなく受けていますよね。そういう、当時の時代風景も垣間見えるところがこの映画の魅力です。
奥田:ジョージがしきりにボブ・ディランのカバーをやりたがったり、ジョンがフリートウッド・マックについて語っていたり。中でもザ・バンドの影響力って、当時すごかったのだなと改めて思いました。ポールの風貌やファッションは完全にガース・ハドソンのコスプレじゃないですか(笑)。メンバー同士で楽器を持ち替えているのも、ザ・バンドからの影響かな?と思いながら観ていました。
─言われてみれば確かに。
奥田:ビートルズって「聖域」というか、シーンとは切り離されたところにいる別格の存在と思われがちですけど、実際にはみんな同じところにいて互いに影響を受け合っていたわけですよね。それが感じられるのも、この映画の魅力の一つだと思います。
─ゲット・バック・セッションの中で、他人の楽曲をカバーしたり、自分たちの過去曲をふざけて演奏したり、奥田さんがおっしゃるように楽器を持ち替えたりしているのも、ただダラダラと遊んでいるわけではなく、そういう中からインスピレーションを呼び込もうとしているんじゃないかと思いました。そういう混沌としたクリエイティブの現場を見せるためには、やはり8時間弱の長さは必要だったのかなとも。
奥田:僕もそう思います。煮詰まっているところもあえて見せているからこそ、ルーフトップ・コンサートでのカタルシスがあるのかなと。ここは、やっぱり劇場で観たいですよね。

『ザ・ビートルズ:Get Back』より (C)2021 Apple Corps Ltd. All Rights Reserved.
─僕はルーフトップ・コンサートの、1回目の「Dont Let Me Down」がとにかく好きですね。ジョンの鬼気迫るシャウトで全て持っていかれる。
奥田:あれで歌詞を間違えてなければ完璧だったんですけどね(笑)。それにしても、よく屋上なんてアイデアを思いついたなと。そういうところもビートルズのすごさですよね。ちなみに『Abbey Road』も、当初は『エヴェレスト』というタイトルにして、エヴェレストまでジャケ写撮影をしに行こうというプランが出たりして。結局スタジオの前で済ませるっていうのと似ていますよね。
─(笑)。リンゼイ版より家族や恋人の登場シーンが増えたのも嬉しくて。個人的にはオノ・ヨーコの印象もかなり変わりました。
奥田:オノ・ヨーコの存在が、ビートルズ解散の一因などと言われてきましたが、少なくともスタジオでは全然「邪魔な存在」じゃないんですよね。他のメンバーたちもそこにいることをさほど気にしていないし。ヘザーがヨーコの真似をして歌っているシーン(Part3 DAY17)も素晴らしかったな。
ビートルズと翻訳にまつわる物語
─そもそも奥田さんは、どういう経緯でビートルズ関連の翻訳を手がけるようになったのでしょうか。
奥田:もともとビートルズが大好きで翻訳の仕事に就いたようなものですから、いつか絶対に彼らに関する書籍は手がけたいと思っていました。そんな中で特にやりたかったのが、マイク・ブラウンの『Love Me Do』という1964年当時のビートルマニアたちを追ったドキュメンタリー本。これをどうしても自分で訳したくて、ツテを辿って90年代に『抱きしめたい:ビートルズ63』(アスペクト)というタイトルで出版したのが最初です。
─彼らのオフィシャルの仕事に携わることになったのは?
奥田:一度、ビートルズの全曲の歌詞を訳したことがあったんですよ。ソニーマガジンから2000年に出版した『ザ・ビートルズ ソングブック全曲詩集』という「歌本」で、ビートルズの英語詞にコードネームが付いていて、その横に僕の日本語訳詞が掲載されているものでした。いろんな事情があってすぐに絶版になってしまったのですが、これを見た植村和紀さんという東芝EMIのデザイン担当の方が、「この歌詞がいい」と社内で推してくださって。ベスト盤『1』がリリースされる時に僕の訳詞を採用してくれたんです。そこからビートルズ関係の仕事を引き受けるようになっていき、2009年に全作品がリマスター再発された時、歌詞も全て僕が書いた訳詞に差し替えてもらいました。以降、ビートルズ関連の作品が出る時には毎回関わらせていただくようになりました。

『ザ・ビートルズ ソングブック全曲詩集』(書影はAmazonより引用)
─ビートルズ関連の書籍に限らず、これまででもっとも印象に残っている仕事というと?
奥田:思い入れ深いのは、1990年に出版されたマーク・リボウスキーの『フィル・スペクター 甦る伝説』(白夜書房)ですね。あれがほとんど初めて手掛けた訳本みたいなものだったので、色々と至らない点も多くありましたが(笑)、2008年に増補改訂版を出すと決まったときに改めて見返すことができてよかったです。
それと、トッド・ラングレンの『トッド・ラングレンのスタジオ黄金狂時代 魔法使いの創作技術』(P‐Vine BOOKS)という本も思い出深いです。これは(本国で)出版されるという話を聞いた時から絶対にやりたいと思っていました。版元からゲラを取り寄せて読んでみたら、ザ・バンドのロビー・ロバートソンを含め、彼がプロデュースしたあらゆるアーティストにインタビューをしている素晴らしい内容だったんです。その後、実際にトッドに会う機会があってこの本を渡したのですが、いただいたサインのよこに「Nice job!」と書いてもらえたのは最高のご褒美でしたね。

『フィル・スペクター 甦る伝説』(書影はAmazonより引用)
─では、まだ翻訳されていなくて今後やってみたい本は?
奥田:ビートルズの本だけでも色々ありますが、今パッと思いつくのは『Beatles 66: The Revolutionary Year』(スティーヴ・ターナー著)です。タイトル通り1966年という年は、ビートルズにとってものすごく色んなことがありました。『Revolver』のレコーディングとリリースがあり、ジョン・レノンのキリスト発言が特に全米で広がり大バッシングを受け、日本での武道館公演のあとフィリピンでどえらい目に遭うという。
─本当に色々あった年なのですね。
奥田:『Beatles 66: The Revolutionary Year』は、そんな1966年のビートルズを綿密に調べ上げている本。例えばジョンのキリスト発言が、どういう経緯であんな騒ぎになったのか。ともかく武道館公演のこともかなりページを割いていますし、そういう本があるので是非とも訳したいんですが、なかなか簡単には物事が進まないものですね(笑)。
─じゃあ、2026年の『Revolver』60周年アニバーサリーに合わせて是非(笑)。
奥田:今から5年後、ですか(笑)。CDとかどうなっているんでしょうね。でも、実はまだ「Hey Jude」のような重要な楽曲や、『Magical Mystery Tour』などもジャイルズ・マーティンのリミックスが済んでいないですから、まだまだこれからも楽しませてもらいたいです。
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From Rolling Stone US.

©2021 Disney ©2020 Apple Corps Ltd.
ドキュメンタリー作品『ザ・ビートルズ:Get Back』
■監督:ピーター・ジャクソン
■出演:ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター
ディズニープラスにて全3話独占配信中
Part 1: DAY1~7(157分)/ Part 2:DAY8~16(174分)/ Part 3:DAY17~22(139分) トータル:約7時間50分
公式サイト:https://disneyplus.disney.co.jp/program/thebeatles.html

公式写真集 『ザ・ビートルズ:Get Back』 日本語版
ページ数:240ページ
サイズ:B4変型判(302mm x 254mm)
ハードカヴァー仕様(上製本)
詳細:https://www.shinko-music.co.jp/info/20210129/

ザ・ビートルズ
『レット・イット・ビー』スペシャル・エディション
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ユニバーサル・ミュージック公式ページ:https://sp.universal-music.co.jp/beatles/