2012月4月19日、JCBホール(現東京ドームシティホール)でのワンマンをもって解散。
2020年の夏にDOPING PANDA再始動の話は出ていた
──2年前、2020年の3月のインタビューした時は、バンドが解散してソロになってから、なかなか活動がうまくいかなかった、でも7年かかってようやくいい感じに回り始めた、と。で、この調子で、今年は47都道府県を回るんだけど、コロナが……という話でしたよね。
はい、そうでしたね。で、その後、やっぱり中止せざるを得なくなって。
──でも、それ以降のアクション、早かったですよね。fanicon(会員制コミュニティアプリ)を始めたり、ゲストを呼んでトークと弾き語りをやる配信イベントを立ち上げたり。
そうですね。fanicon、3月に始めてるし、配信イベントも夏前には一回目をやってますね。ほんとに僕、ネガティブ思考なので。
──で、DOPING PANDAをやろうという話は、いつ頃から?
あ、その頃、2020年の夏にはその話が出てるんですよ。夏に河原田さん(DOPING PANDAをデビューさせた元マネージャーであり元ボス)から、メールが来るんですよ。
──河原田さん、今はマネージメントの部署じゃないですよね。
今は、同じグループの、ライブ/イベント制作の会社にいるんですけど。その頃ちょうど、僕とマネージャーと、faniconを始めて5ヵ月くらい経ってたんですけど、「これって、どうなんだろう?」っていう話をしてたんですよ。去年までやっていた、会場をちょっとずつ大きくしていって、いろんな人とコラボして、人のサポートをやって、っていう、外に向かって広げていこうというストーリーと逆に行ってない? コアファンにだけ向けてfaniconをやっていることが……いや、そこは今も感謝してるし、実際すげえ助かってたし、あそこで会員に向けて毎月新曲を発表するのも……あの時、曲を書いたり、発信したりできていなかったら、鬱とまでは言わないけど、俺、何やってたんだろう、とは思うんですよ。実際、まわりにそういう人、いっぱいいたし、ミュージシャンでも、飲食の人でも。
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──ああ、そうでしたよね。
そういう時期だったんです、2020年の夏頃って。
──Hayatoさんは、解散後に、チャットモンチーのマネージャーになって、活動終了後は退社して──。
その後、Hayatoが徳島に引っ越してるのは知っていましたし、マネージャー時代の後半にメンタル的にまいってたことも、知っていたので。
──インタビューでも、この間のFEVERでも、本人が明かしていましたよね。
「俺、そこがハードル高いと思いますよ」とは言ったんですけど。で、その時点でも半信半疑です、自分の中で。「可能性ゼロじゃないとは言ったものの、本当にそういうことになった時、やるって言うかな?」みたいな。でも、Hayatoから前向きな返事が返ってくるんですよ。
最初は「音源は出したくない」と言っていた
──フルカワさんは、最初は、音源は作るつもりはなかった、ってきいたんですけど。
僕はそうです。ふたりには言わなかったですけど、やっぱり自分の中でプライドがありましたから。俺は音楽をやめずに続けてたんだよ、っていう。レコーディングの環境なんか、ドーパンに比べたら大変で。
──かけられるおカネとかね。
家で相当練習して、スタジオで1テイクでOKできるぐらいに、曲を染み込ませてスタジオに行くわけじゃないですか。そういう苦労もしてきて、曲も書いてきて……バンアパのまあちゃん(原昌和)と書いたり、HAWAIIAN6の(安野)勇太と書いたり、ポリの林くんとか、ベボベ(Base Ball Bear)と書いたり。そこでいきなりDOPING PANDAのアルバムって、おんなじ温度感で作れるかな? っていう不安がありましたね。
それともう一個は、彼らは彼らで、昔と今では違うじゃないですか、マインドが。
──当然そうですよね。
HayatoはHayatoで、チャットモンチーのマネージャーの仕事をしていた中で、一流のドラマーとか、名うてのエンジニアさんと関わって来ただろうし。で、えっちゃん(橋本絵莉子)の歌を聴いてきたわけじゃないですか。そういう中で、Hayatoの哲学なり正義が、絶対できているから。DOPING PANDAの時は、制作においては、言ったらDOPING PANDA教のFurukawa Yutaka教祖がいて(笑)、そこにふたりがエッセンスを入れる、っていうふうにやっていたけど、それはもうできないわけじゃないですか。それができなくて、当時のドーパンを超えるようなものが作れるのかな、っていうのがありましたね。だから、マネージャーにはよく言ってましたよ、音源は出したくないって。Hayatoは最初から、音源はあった方が良いって言ってたけど、僕はそこはかわしてたというか。
3月2日(水)ニューアルバム『Doping Panda』をリリースし、同日に新代田FEVERにて入場者100名限定のキックオフ・ライブを行った(Photo by Rui Hashimoto)
──その気持ちが翻ったのは?
翻ったのは、2021年の夏前ぐらいかな、チーフマネージャーに、「音源作りたくないって言ってるけど、でもこの先さ、ユタカくんがやりたいって言ってる、ACIDMANと対バンとか、(ストレイ)テナーとやるとか、そういう時に、自分らだけ10年以上前の曲だけでやるの? それ、恥ずかしくない? 闘えないよ?」と言われて。それは確かに恥ずかしいな、と思ったんですよ。
──「Silhouette」は、ソロとして先にあった曲だそうですけど──。
そうです、faniconで発表するのに作った曲です。それは原形で、ドーパンでやるにあたって、だいぶ作り直しましたけど。
──それ以外の、DOPING PANDAの曲を書くということは、スムーズにできました?
はい。まず、Hayatoが叩いてタロティが弾くっていうイメージっていうのが、こんなにもでかいんだ? っていうのは、思いました。実は、ソロの時も試そうとしたんです。
──ああ、なるほどね。
なんか、嘘ついてる感覚になっていくというか。だから、嘘ついてないから、よかったのかもしれない。
一抹の寂しさはずーっとあった、ほかのバンドを見ていて
──デモを作って以降は、どういう作業の進み方になるんですか?
リモートだったので、デモを送って、タロティがベースを入れて戻して来て、Hayatoがちょっと味付けして戻して来て、みたいなやり取りでした。で、そうやって音が返ってくるたびに、どんどん不安が取れていく、っていう感じでした、「ああ、やれるやれる」って思って。
──イヤなことを言いますけど、フルカワさんは、ソロにしても人のサポートにしても、凄腕のミュージシャンたちとやって来たじゃないですか。ドラムならfox capture planの井上司とか、ベースなら村田シゲとか、雲丹亀卓人とか。
そうですね。
──という経験をしてしまったがために、DOPING PANDAに戻った時に……。
いや、それはね、ありますよ。そりゃ、村田シゲとかウニちゃんとタロティは全然違いますよ。foxのつかっちゃんも、やっぱりすげえし。それは違います。違うんですけど、なんて言うかな、やっぱり、バンドはそれを超えて行きますね。
──うわ、いいこと言いますねえ。
超越する、全然。この10年、いろんなバンドを見てきましたけど、やっぱりみんな、仲悪いじゃないですか。仲いいバンドなんか俺、知らないです。って言っていいぐらい。
──(笑)はい。かつてのDOPING PANDAのように。
僕らはあれでも仲良かった方ですよ(笑)。
まあ、若い世代には、本当に仲いいバンドもいっぱいいるけど、僕らくらいのバンドは、続けていくうちにみんな、なんかしら問題がありながら、どっかに傷を抱えながら、やってるんです。でも、それでもうらやましかったですから、僕。
──ああ、ひとりになってからね。
胸ぐらつかみ合ってる姿すら、うらやましかったから。チームで、傷があって、それをなんとか治そうとしながらやっているのとか、問題が起きたけど、それでも続けていくドラマティックな姿とか。そこにファンが愛を感じて応援している。それはね、演奏とかを超越してるんですよ。10年前にドーパンをやってた時は、それに気づけなかった。あのボロボロの姿でよかったんだし、そこをもっと自分でコントロールする術があれば……まあ、なかったから解散したんだけど。ただ、だからって、それでもそのまま続けているのが、本当にミュージシャンとして幸せかっていうと、みんなあんまり幸せそうじゃなかったりするんだけど(笑)。
──はははは。わかります。
だから難しいんだけど、でも、自分がソロになっちゃうと、やっぱりうらやましかったですね。自分の活動が、2016年くらいから、だんだんうまくいくようになって来ていたけど、その喜びとは別に、一抹の寂しさはずーっとありました。ほかのバンドを見ていて。ただ、それが再結成につながってはないですけど。で、ほら……俺もそうだけど、解散してソロになると、絶対みんな、バンドの時よりもうまいサポート・メンバーを集めるじゃないですか。
──みんなそうしますよね。
でも、それで何年かやってみて、そこじゃないことに気づくんです。それは痛いぐらいわかります。この間のFEVERもそうだけど……演奏してて、自分達がどこのフィルでつっこむか、知ってるんですよ。で、フワッとしたタロティのベースが、気にはなるんだけど(笑)、当時それを気にしていた感じが、自分の中にインプットされていて。で、心地いいんですよね。僕でさえそうだから、やめずにずっとやっている人たちは……あ、やめずにやっている人たちは、ずっと心地悪いまんまか。(笑)
この再結成は絶対成功する、と思った
──そうかも。一回やめないとわからない。
(笑)。そうか。やめてないから、それが心地いいことに気がつけない。この間の僕なんて、「これこれ、この味この味!」みたいな。あと、何よりも、DOPING PANDAで、ほんとにいいアルバムを作れたっていうことが──。
──それは確かにそうですね。
そこがいちばん、再結成して、メンバーに感謝してるところですね。このふたりがいるからDOPING PANDAをやれる。やれるから、昔いたレーベルから音源をリリースできる。そうなったから、今のレーベルのスタッフと一緒にやれて、その人の紹介があるから、八反田(亮太)さん っていうエンジニアさんと、テッド・ジェンセンってマスタリング・エンジニアとできる。俺、44になりましたけど、もう一回こんなチャンスがもらえるっていうのは、ふたりのおかげですよ。DOPING PANDAのおかげですよ。で、そこにどんだけ応えられるかな、っていう1ヵ月~2ヵ月があったんですけど、アルバムで見事に応えられたと思った。よく言われるのが、「いちばんDOPING PANDAらしいアルバム」っていう。いちばんDOPING PANDAらしいアルバムっていうのは、解散前のアルバムにないと、おかしいじゃないですか。ほぼ禅問答ですよね、もう。それが作れたことは、すごく誇らしいし。そういうチャンスが回って来たこと自体がラッキーなのに、そこで打席に立って、ちゃんと打球を前に飛ばした感じ。なんて天才なんだろう、って思っています。
──調子が戻ってきましたね(笑)。
あと、うれしかったのが、どの曲をリード曲にしてMVを作るかっていう時に、「Imagine」になったのが……僕、「Silhoutte」だったんです。やっぱりキャッチーでポップだから。でも、最後の最後で、家崎マネージャーが酔っぱらってLINEして来て、「僕は『Imagine』だと思います」って。「じゃあメンバーに確認してみるか」って訊いたら、ふたりとも「Imagine」だったんですよ。それは、メンバーには言わなかったですけど、むちゃくちゃうれしかったです。僕も本当は「Imagine」だったんだけど、「Silhoutte」の方が絶対ウケはいいだろうと思って。そうじゃない、「Imagine」だ、ってマネージャーが思っていて、メンバーが思っている。「この再結成は絶対成功する」と思いました。
【∞ THE REUNION TOUR】
4月23日(土)東京・Zepp Haneda 17:00 OPEN / 18:00 START
5月7日(土)大阪・Zepp Osaka Bayside 17:00 OPEN / 18:00 START
5月8日(日)愛知・Zepp Nagoya 16:00 OPEN / 17:00 START
5月22日(日)東京・Zepp Haneda 16:00 OPEN / 17:00 START
通常チケット代:1F 指定6,000円(税込/+1 Drink代別)・2F 指定6,500円(税込/+1 Drink代別)
▼オフィシャル二次先行受付(抽選)
受付期間:2月9日(水)12:00~2月20日(日)23:59
先行受付URL:https://eplus.jp/dopingpanda22-hp/
一般発売:3月26日(土)