LUNA SEAのSUGIZOが、ソロワークスの集大成とも言える作品『THE COMPLETE SINGLE COLLECTION』を発表した。ソロデビュー25周年を記念し、新たにミックスし直した7曲を含む全シングル30曲を網羅。
ライター/DJのジョー横溝が話を聞いた。

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―ソロ25周年おめでとうございます。『THE COMPLETE SINGLE COLLECTION』を聴かせていただきました。25年前からすごい音楽をやられてたんですね。

いえいえ。逆に25年前の楽曲に関しては、僕は恥ずかしくて耳も当てられないですよ。


―そうですか? DISC 1の最初の2曲「LUCIFER」「A PRAYER」はミック・カーンのフレットレス・ベースが印象的で、こうした曲が日本の音楽界でもちゃんとメジャーからリリースされてたのかと思うと、胸が空くような気持ちでした。

アプローチや着眼点、新しいスタイルを作りたいという強い意思と、そしてどっぷりUKの音楽に浸っていたので、当時の自分のスタイルと融合されてああいうものができたんだなと、今となっては思います。着眼点はとってもいいんですけど、惜しいんです。やっぱり表現力が伴ってないんですよ。

―具体的には?

特に歌唱力と演奏力ですね。歌はヘッポコでダメだし、歌詞もある意味で惜しい。
なので今回の25周年のタイミングになるまで、最初期の、特に歌が入っている曲は、僕の中で封印していたんですよね。だからソロキャリアにおいて、何度かベストアルバムと名の付く作品を出しているんですけど、いわゆる日本語で、歌もので、シングル的なものは、ほとんど排除してきたんです。だけど、25年という区切りで、もう一度そこに意識を向けてあげたくなったんです。というのも、本当にラッキーなことに、当時の初期の楽曲のすべての音源がマルチトラックで見つかったんです。基本的な前提としては、最初期の曲に関してはミックスをし直したい、ミックスをし直せるならやろうという気持ちがあり、それが全部実現したということですね。

―プレイヤーとしては納得のいかないところがたくさんあるのかもしれませんが、当時の音楽の最前線がわかる記録でもあるし、キャリアも今ほどない時に、よくあんな着想が出来たなぁという驚きで僕は音源を聴きました。


本当に音楽の探求は強靭でしたからね。今でもそうですけど、とことんまで追求していた20代だったので。ラッキーだったのが、自分が本当に好きだった90年代のUKのシーンを現地で数年間、直に体感できたことですね。今から見ても本当に最高の時代でしたよね。セカンドフラワームーブメント後、シューゲイザー直後、ブリットポップというものが出始めた頃。オアシスがデビューして、レディオヘッドがデビューして、ザ・ヴァーヴがデビューした。
かたやクラブミュージックでは、マッシヴ・アタックやポーティスヘッドのようなトリップポップというものが出てきたり、ア・トライブ・コールド・クエストが出てきて、アブストラクト・ヒップホップがすごく勢いがあった。

そして、何と言ってもドラムンベースがあって、ゴールディーがいて、LTJブケムがいてっていうその真っ只中に、僕は93年から足繁くロンドンに通っていたわけです。93年から2000年ぐらいまではロンドンにどっぶりで、特にLUNA SEAが一旦止まった97年は向こうに移住した。一番いいロンドンの音楽、ファッション、サブカルチャーの息吹を細胞レベルで体感しながら20代を過ごせたということが、50代になった今でも自分の血となり肉となっていると自覚しています。自分のセンスの根幹がそこにあると思いますし、自分のセンスを本場で作り上げることができたことが、今思うとすごくラッキーだったなと思います。日本の感覚で言うと、多分あの時期に、例えばドラムンベースやアブストラクト・ヒップホップ等を、日本のロックミュージックに融合するのはすごく新しかったと思うんですよね。


―というか、ドラムンベースという言葉すらまだなかった。

ええ。当初はジャングルって言われてましたもんね。コアなクラブミュージック・ファンの間ではギリギリ言われ始めていた時期でした。DISC 1の1曲目の「LUCIFER」はドラムンベースがコンセプトにあります。2曲目の「A PRAYER」は、リズムの形状がビッグビートなんですよね。
ドラムンビートやビッグビートは、96~98年ぐらいはすごく新しかったと思うんですけど、新しすぎて日本人はあまりわからなかった(笑)。

―当時リリースしたときの反応はどうだったんですか?

衝撃はあったと思います。みんな、なんだこりゃ?って、口をぽかーんとしている状態でしたね。でも、最初はBAYFM、その後J-WAVEで自分の番組を持って、ナビゲーターとして自分が本当に志向するコアな音楽をかけまくっていたんですね。それで、僕の番組でビョークを知ったとか、ゴールディーを知ったとか、トリッキーを知ったとか、そういう人たちがすごくたくさんいたんです。自分の音楽と同時に、自分の好きなセンスを、あえて言うと啓蒙活動していたみたいな感じで、多くのリスナーがそういう音楽にすごくハマってくれて、それが自分の音楽の志向の主流になったという人が意外と多いんです。その流れにうまく自分の音楽も乗っかったような感じはありますね。特に、コアなクリエイターの人たちとはコラボをたくさんしていて、リミックス作品を大量に出していたので、自分の表現をみんなにちゃんと感じてもらいたい、手にとってもらいたいと思うと同時に、自分の新しい音楽やセンスをプレゼンしていたような感覚がありますね。

ターニングポイントとなった「MESSIAH」

―DISC 1のなかで動きが出てくるのが6曲目「NO MORE NUKES PLAY THE GUITAR」。イラク戦争の渦中に、いわゆる反戦ソングど真ん中のこの曲をシングルにしたのも、SUGIZOさんらいしい動きですが、これは自然の流れでしたか? あるいは決意しての行動ですか?

決意でしたね。僕の意識が大きくメッセージを伝えたいという方向に傾いたのは、2001年の9.11以降です。その前から社会的活動はし始めていたんですけど、自分の音楽と個人的な活動を結び付けようとはあまり思ってなかったんですよね。けれど9.11の時に大きく揺さぶられまして、音楽はまだ使わなかったけど、ビジュアルとか自分のアートでそういう表現をし始めたんです。で、当時はSUGIZO & THE SPANK YOUR JUICEという自分の大所帯のバンドをやってまして、「SUPER LOVE」や「Dear LIFE」のように、どちらかと言うとブラックミュージックをベースにした表現を進めたかったんです。ファンキー路線である意味楽しくやりたかった、パーティーをしたかったという気分だったんですけど、2003年の初頭にイラク戦争が勃発して、自分のそういう浮ついた気持ちが吹き飛びました。今はソウルやファンクの楽しい感じをやってる場合じゃないなって思ってしまったんです。で、すぐに自分が表現のベクトルを移行して生まれたのが、「NO MORE NUKES PLAY THE GUITAR」だったんです。今思うとね、ソウル、ファンクでも十分にメッセージ性のあるものは作れたと思うんです。スライもそうですし、マーヴィン・ゲイの「Whats Going On」もそうですし。でもあの時、20年前は、メッセージ性を吐き出す時に、ファンク、ソウルじゃなくて、もう一度無骨なラウドなロックに立ち返りたいと、なぜか思ったんですね。当時の自分の先入観だと思います。30代そこそこの自分が、メッセージやキツイ言葉を表現する時に、16分のカッティングのソウルではなくて、ラウドな、攻撃的なテクスチャーをもったロックでやりたいと思った。今思うと、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに触発されたのかもしれないです。

―なるほど。

もう一つ大きかったのが、97年に始まった最初のソロのタームではLUNA SEAも同時に動いていたので、そのなかでロックバンドという体を自分のパーソナルの音楽で死守する必要がなかったんです。なので、97年は、バンドという枠を超えた本当にやりたかったアプローチに特化したんです。その次にソロに集中したのが2001年以降。その時はLUNA SEAが終幕していて、僕のなかではほぼ限りなく解散に近い状態だったんですね。だからバンドというスタイルを持っていなかったので、むしろ自分のソロワークのなかでロックバンドというフォーマットを必要としたのかもしれない。それが特に「NO MORE MACHINE GUNS PLAY THE GUITAR」には表れています。やりたいこととか言いたいことは、今聴いてもとても良かったと思うんだけど、やっぱり惜しいですね。歌詞は今見ると見事に中二病ですね。それで、それ以降自分でリリックを真剣に作ることからだんだん遠のいていきました。これは自分の役目じゃないってことを勘付いたんですよね。

―中二病とおっしゃいますが、ある意味ストレートというか、30代じゃないと書けない詞だとも言えます。

「NO MORE MACHINE GUNS PLAY THE GUITAR」もそうですし、「SUPER LOVE」もそうですけど、今の僕から見たら中二病で、浅い。言葉の天才だったら、シンプルで本当に奥深いものを作れると思うんですね。例えばそれはジョン・レノンであり、ボブ・ディランであり。あの人たちは、誰もが知っている言葉を使ってすごく深い表現ができる言葉の天才だと思うんですよ。残念ながら僕はそうじゃないみたいです。なので、そこには行けないっていうことを30代中盤で気づいて、自分で見切りをつけました。それで、次の「MESSIAH」からはガラッと変わるんですよね。

―「MESSIAH」から本当に変わりますよね。

歌うということに関して自分で見切りをつけた。と、同時に2007年にLUNA SEAが復活して、2008年にXが復活して、ロックバンドという状態がまた始まり、それが忙しくなるんですね。横にRYUICHIとToshlという最強の歌い手がいるんですよ。もう歌う理由がなくなりますよね。僕がしょぼい歌を歌っててもしょうがないので。もし僕がね、マーヴィン・ゲイばりにギタリストをやりながら歌えたら、あるいはカーティス・メイフィールドのように歌えたら、たぶん道は違っていたと思うんです。そもそも本当はプリンスになりたかったんです。つまり、圧倒的な存在になりたかったんだけど、その重要な幾つかの面が自分には欠落しているということで、30代で見切りをつけた。で、逆に得意なことに特化しようと思ったんです。それがギター中心であり、ダンスミュージックであり、サイケデリックな要素があるものでした。でも、ギタリストでもあり、作曲家であるというスタンスで活動を本格的に推し進めている日本人アーティストはあまりいなかったんです。あと重要なのが、歌うことを放棄したことによって、自分が音楽的に真に自由になったんですね。

1997年から2003年の一連のシングル作品、つまり「NO MORE MACHINE GUNS PLAY THE GUITAR」までは、やっぱりどこかでシングルを作るんだという意識があった。ポップミュージックの体をなくしてはいけない、みんなにわかりやすくなくてはいけないという自分の中での思い込みというか、強迫観念があったんですね。だから、一応ポップミュージックに頑張って寄せているんです。それはちゃんとフォーマットを守って作ってるものなのですが、そこから解放されたのが「MESSIAH」以降なんです。

―確かにDISC 1の「MESSIAH」以降の曲は解放されたものばかりですね。

ヒットチャートとか、枚数を稼ぐとか、そういう概念よりも、自分を表現することに特化している作品たちです。悪く言うと、LUNA SEAもXもあって、メジャー感という意味では、もう十分自分の立ち位置があった。だから、自分の本当に求めるパーソナルの表現の時に、同時に中途半端にメジャー感を意識しなくて良くなったというのがあります。ちゃんと自分の言いたいこと、発したいこと、出したい音、求めたい音楽を100%素直にやるようになった時期でした。僕のソロを応援してきてくれた方は知っていると思うんですが、それ以降僕の音楽は基本的にインストゥルメンタルになるんですけど、内包されているメッセージはすごく濃厚になってゆくんです。そこに移行していったのが「MESSIAH」をリリースした2009年ですね。

ジュノ・リアクターを通して学んだこと

―DISC 2に入ると、アンビエント色が強くなってきます。メジャーな部分はXとLUNA SEAに任せてるとは言え、アンビエントに対してのオーディエンスの反応はどうだったんですか?

クラブ側からの反応がすごく良かったんです。クラブミュージック側の取材をたくさん受けるようになったりとか、そういう場所にどんどん出るようになった時期でもありました。ダンスミュージックのシーンはポップフィールドに比べてすごくニッチなので、パイが大きくはないし、ビジネスという意味では大きく様変わりはするんですけど、本当に自分の表現したいものであったし、自分のルーツでもあったので。この時期すごく大きなこととしては、実は一番忙しかったのがジュノ・リアクターで、LUNA SEAよりもXよりも稼働時間はジュノが長かったんです。つまり、世界中のダンスシーンで、武者修行の演奏を超一流のヤツらとやっていたわけです。そこで自分に吸収された音楽的な素養は半端なく大きかったですし、相当磨かれてきました。その傾向がモロに出ているのが特にDISC2です。どんどん作品が生まれて、その度リリースをしていた。あと大きいのが、「MESSIAH」からフィジカルでCDを出すことをやめたんですね。「MESSIAH」以降は完全にデジタルに移行したので、自由度は増えました。

―デジタルのリリースだと録ったらすぐ出せますもんね。

そこからのリリースが途端にスピードアップしたのも、そういう理由からですね。

―そこまで振り切ってくると、LUNA SEAやX JAPANとの両立は難しくはならないんですか? ハレーションは起きないんですか?

意外と両立できたんですよね。当時僕が意識していた存在が、実はピンク・フロイドです。状況やレベルは当然違いますけど、仮にLUNA SEAがピンク・フロイドだとすると、僕のソロはギルモアのソロな感じです。結局ピンク・フロイドが、一連のサイケデリックトランスにものすごく影響を与えているんですよね。あの辺の多くは、ピンク・フロイドの遺伝子なんですよ。その遺伝子が与えられてエレクトロニクス化したものが僕のソロの形態だとすると、その源流である生バンドによるサイケデリックミュージックがピンク・フロイド。ずっと僕のソロってそういうイメージでやってました。あとはキング・クリムゾンの影響も大きかったです。クリムゾンの存在がバンドだとして、ロバート・フリップのソロはアンビエントや電子音楽の方向に行ったり、ブライアン・イーノとやっていたわけです。そういうイメージで自分の立ち位置を解釈するようにしていました。そうすると自分の中で辻褄が合ったんですよね。

―そう言われるとすごくわかりやすいです。一方DISC 3になると、1曲目が「LIFE ON MARS?」なんですが、テーマが宇宙とか地球とかに移行していて、もっと大きな視座に立った曲が続きます。ちなみに、「LIFE ON MARS?」のリリースは06年で、気候変動がクローズアップされる大きなきっかけとなったパリ協定が署名された時と重なります。こうした気候変動問題がきっかけで、地球とか宇宙というテーマを扱うようになったのですか? それとも別の要因があったのですか?

後者ですね。いわゆる気候変動やサステナブルな社会構築に関しては、それまでもずっとやって来ているので、自分にとってそこから大きく何か変わったわけじゃないんです。単純に「LIFE ON MARS?」は、2016年の1月にボウイが亡くなってしまったことが自分にとってはすごく大きくて。数カ月体調を崩したぐらいです。自分の音楽活動にもう一度専念する前に、ボウイに対してのトリビュートをやりたいという、すごく個人的な気持ちで「LIFE ON MARS?」をやったんですね。

―なるほど。

あと、いつも言うんですが、DISC 3でいえば「Lux Aeterna」みたいな曲をシングルで切るなんて狂気の沙汰です。こういう音楽の節操のなさはあらゆる環境に抗わずにやってきたらこうなってしまっただけなんです。あるいは、DISC 3の4曲目の「めぐりあい」以降の4曲はタイアップありきなんですね。

―ガンダムですよね?

はい。ガンダム曲が4曲あります。その後は『ジビエート』というアニメの曲が2曲。なので、これはむしろ自分主導ではなくて、状況によってこういうものを作る必要があったということです。

―元々はビジネス的なところが始まった曲たちもあるわけですが、曲が並んでみると気候変動問題とのリンクを感じ、どこか必然を感じます。

結果的に曲を並べて見ると、おっしゃるように全てが必然に感じますね。シングル30曲を本当に時系列でただ並べただけなんです。

―順番は変えてないんですね?

変えてないんです。だからたまたまなんです。で、最後が「昨日見た夢~平和の誓い~2020 」っていうのが自分的にはグッとくるな。最後に「昨日見た夢」がアンコールのようにくっついたおかげで、ずっと恥ずかしすぎて世に出したくなかった初期の歌ものを許せたような気がしています。意外と「昨日見た夢」の存在が大きかったですね。

―「昨日見た夢」の戦争終結を夢見る歌詞は今のウクライナ戦争とリンクします。

実は「昨日見た夢」だけは、厳密に言うと発売したシングルではなくて、2020年の終戦75年の日に、オフィシャルYouTubeで公開したものなんですね。それが最後にふさわしいなと思ったんです。いわゆる、みんなが入手できる状態ではなかった曲ので、これを機にちゃんと音源化しようと思いました。

―ウクライナ戦争の真っ只中で、この曲が正式に音源化されたことはとても大きな意味を持つと思います。

いつも言ってますが、この歌が生まれて70年以上経つんです。ご存じの通り、この歌は、アメリカのフォークシンガー、エド・マッカーディが1950年に発表したプロテストソングで、サイモン&ガーファンクルが1964年のデビューアルバムでカバーしたことでも有名な曲です。で、70年以上経ってもまだこの意味が必要になってしまう世の中って、想像以上に激動の時代になってしまったなって思います。そういう残念な気持ちでいっぱいですね。

THE LAST ROCKSTARSで挑む海外の「壁」

―環境問題も、コロナも、国際協力がないと克服できない問題が多数ある世の中なのに、世界は戦争と分断の時代に突入しています。この皮肉な状況において、すぐに音楽の力という言葉を軽々に出すのは安っぽいですが、アートや音楽しかもうそこの架け橋になり得ないのかなという気がしてしまいます。

残念ながら音楽に戦争は止められないですよ、今のところは。なのですが、人々の意識を導いたり、ヒントを与えたり、もしくは潤してあげたりすることはできます。世の中を変えるのは人々の意識なので、すごく遠回りなやり方だけど、世の中の一人一人の精神的熟成度を上げるしか道はないと思います。

―同感です。さて、25年目以降、ソロにおいてはどんな活動を描かれていますか?

もうスケジュール的にはカオスでね。しかも、去年から水面下で進んでいた、この間発表したTHE LAST ROCKSTARSが、本当は9月とか10月頃に発表する予定だったんですけど、後ろにずれ込んで11月になり、そこにいろいろと重なり、全てが一緒くたになってしまいそもそも年内は完全にカオスです。音楽的には、やっぱり即興表現をより突き詰めていきたくて、そのための活動や、そのための自分の吸収の時間がすごく欲しいんです。特にSHAGに結びつくものには時間を割きたいです。ソロはやっぱり、今後もより電子音楽に特化していきたいので、そのなかでも、今まで以上にインプロビゼーションというのはすごく重要になってくる。かたやTHE LAST ROCKSTARSは、いわゆる僕らの持っているロック的な部分と、例えばEDMやポップフィールドに融合したいと思って、今制作をしているところです。かたやLUNA SEAは、今度12月に、最初期に戻ってかなりダークなゴスでハードコアな音楽をやろうとしています。自分でももう訳がわからない状態ですが、どれも自分の重要な要素ではありますね。

―今、話に出たTHE LAST ROCKSTARSは、SUGIZOさんも楽曲はかなり作られているんですか?

みんなで曲を作り合ってる感じですね。平等に作っています。どうやって落とし込むのか、どういうやり方で進めていくのがベストなのかは、まだ右往左往していて落ち着いてはいないです。それでもライブは決まっているので、ワンマンをやるためには曲は書き溜めないといけないので。

―年明け1月からのライブの前にアルバムをリリースしようぐらいの感じではあるんですか?

もともとそうだったんですが、それは無理なので、英語的にはライブデビューという言い方をしています。要は東京と、NY、ロスのデビューライブですよね。その前にシングルは何曲か投下します。それはマストでやらなければいけないというところですね。

―しばらくはアルバムは出さずにライブをやってという感じですか?

来年にはちゃんとアルバムを出せればいいんだけど……。バンドのなかではアルバムという形態が重要なの?って意見もあるけど、僕は、どんな時代でもアルバムという形態はすごく大事にしたい派なので、どうなるかわからないですけど、曲は作り続けているし、リリースはし続ける予定です。

―これはワンショットのプロジェクトじゃなくて、パーマネントなバンドなんでしょうか?

元々は一回こっきりのセックス・ピストルズ的なすごいことやろうよってところから本当は始まってるんです。最初の発想としては。ところが、だんだん本格的なモードになってきていますよね。

―どういう立ち位置でこのバンドをやっていこうかまだ確立していないと?

ただ重要なのは、海外を本気でやりたいっていうことですね。海外に対して僕らがやりたくても成し遂げられていない壁があるじゃないですか。そこに意識を持ったメンバーたちが、各々で今までやっていたけども、一度ここで手を組むというところです。

―改めて来年もかなり多忙になりそうですね。

ええ。僕のソロはこの11月からが25周年イヤーなので、いろいろ仕掛けていきたいんです。例えば、『THE COMPLETE SINGLE COLLECTION』と同時に、僕の多くのソロ作品がやっとサブスク解禁になります。あと、極力全作品をこれからアナログ化したいんです。そのプロジェクトをすごくやりたい。今の時代としてもすごくかっこいいと思うし。もちろん枚数がものすごく出るものじゃなかったとしても、モノとしての価値をちゃんと作りたい、残したい、それを届けたいっていうのがあります。そして11月29日の25周年ライブの映像作品化が決まっています。その後、本当に自分がやりたかった新しいソロのプロジェクトにこの1年で着手していけたらと思っています。それと、THE LAST ROCKSTARS。さらに、LUNA SEAが、来年の後半加速していくと思います。その合間にSHAGがあるっていう感じです。まあ忙しいですね。でも、音楽の重要性が増している世界なので、これからも手をゆるめず、極めて行きます。

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『THE COMPLETE SINGLE COLLECTION』
SUGIZO
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