トロンボーン・ショーティ(Trombone Shorty)こと1986年生まれのトロイ・アンドリュースは、ジョン・バティステと並び、現代ニューオーリンズの革新を担う中心人物だ。伝統的なブラスバンドやファンクを軸に据えつつ、ヒップホップやロックなどを融合させた音楽性で、数万人規模の巨大フェスすら熱狂させてきた。


ジャズミュージシャンが鳴らす音楽で、これほどパワフルでダンサブルなものを僕は他に知らない。しかも、本来は主役になりにくいトロンボーンという楽器で観客を圧倒するだけでなく、歌やラップで盛り上げることもできる。とにかく底知れないポテンシャルを持ったアーティストなのだ。だからこそ、彼はジョン・バティステよりも早くからジャズの枠組みを飛び越え、レニー・クラヴィッツやレッド・ホット・チリ・ペッパーズらとも共演。ジャンルの垣根を超えて、世界中のロックファンも踊らせてきた。

そんなトロンボーン・ショーティが、2017年のフジロック以来となる久々の来日公演を東京(5月25日)・横浜(5月27日)のビルボードライブで開催する。壮々たるキャリアに反して来日の機会に恵まれてこなかったアメリカ南部のスーパースターの音楽性を網羅すべく、今回のインタビューを敢行した。ハイブリッドなミクスチャー感覚に目が向きがちだが、じっくり話を訊くと、あらゆる側面にニューオーリンズ由来の要素が深く息づいていることがよくわかる。この記事を通じて、彼の凄みはもちろん、ニューオーリンズという音楽の街が持つマジカルな魅力も知ってもらえたら幸いだ。

音楽に囲まれた生い立ち

―あなたが育ったトレメ(Treme)地区がどんな場所だったのか教えてください。

トロンボーン・ショーティ(以下、TS):俺が育ったトレメ地区は、ニューオーリンズで最も古いアフリカ系アメリカ人のコミュニティのひとつなんだ。そこにはアームストロング・パークという場所があって、その中にコンゴ・スクエアがある。
かつて奴隷にされていたアフリカの人たちが、日曜日になると自分たちらしくいられる場所がそこだったんだよね。そこからジャズが生まれて、さらにニューオーリンズのさまざまな音楽が広がっていった。俺が育った時代は、リバース・ブラス・バンドや、俺の家族であるアンドリュース・ファミリー、ダーティ・ダズン・ブラス・バンド、チューバ・ファッツ、カーミット・ラフィンズといった人たちが、すぐ近くに住んでいた。だから音楽が好きで、学ぼうとしている人間にとっては、とても刺激的な環境だったと思う。周りには常に多くのミュージシャンがいた。

―そんなトレメ地区で育ったあなたは、どんな環境で音楽に触れてきましたか?

TS:あの地区はブラスバンドが本当に多い場所だった。俺の家族もそうで、兄のジェイムズ・アンドリュースをはじめ、みんなブラスバンドのカルチャーの一員で、俺はその中に生まれたんだ。だから自然と音楽のある家庭で育ったよ。兄がトランペットをやっていたから、俺はトロンボーンを渡された。他にもドラムをやっている兄弟がいたりしてね。だから家族全体がすごく音楽的だったし、近所にも同じように音楽をやっている家族がたくさんいた。まさに音楽に囲まれて育った感じだったよ。


―ニューオーリンズのブラスバンドといえば、ジャズ・フューネラルやセカンドラインが有名ですよね。

TS:小学生の頃、通学時によく目にしていたよ。学校の帰りにも、誰かの誕生日だったり、何かのお祝いだったり、そういう場面で音楽が鳴っていたんだ。ほとんど毎日のように、あの地区のどこかで音楽が鳴っていたんだ。

―ブラック・ネイティブ・アメリカンのトライブに所属していたことはありますか?

TS:いわゆるトライブの一員として、ブラックマスク・インディアン(=マルディグラ・インディアン)の衣装を身につけたことはない。ただ、若い頃にサミー・サイラスっていう友達がいて、一緒に育って音楽を始めたんだけど、二人でとあるインディアンのトライブでドラムを叩いていたことがある。10歳か11歳くらいの頃で、いくつかのパレードで実際にそのトライブのパーカッションとして演奏する側に関わっていたよ。

―ジャズ・フューネラル、セカンドラインに参加することと、ネイティブ・アメリカンのトライブに関わることには、どんな違いがあるんですか?

TS:一番大きな違いは、ブラスバンドにはホーンとドラムがあるってことだね。それに対して、ブラックマスク・インディアンとしてネイティブ・アメリカンの伝統を表現するスタイルは、基本的にドラムとボーカルだけなんだ。でも、行進するという点ではどちらも同じで、プロセッションの流れ自体は共通している。それとダンスも違う。ブラックマスク・インディアンのダンスは、セカンドラインの動きとはまた別ものなんだ。


ジャズ・フューネラルのパレード

ブラックマスク・インディアンのパレード

魂の奥底にあるブラスバンドの影響

―ニューオーリンズのブラスバンドは伝統を守るだけでなく、様々な要素を取り入れて、進化してきました。あなたの音楽もその延長にあるのではないかと思います。あなたはそんなニューオーリンズのブラスバンドからどんな影響を受けてきましたか?

TS:俺はニューオーリンズのブラスバンドの中に生まれたようなものだから、それはもう自分の心や魂の深いところにあるんだ。仮に離れようと思っても離れられるものじゃない。最初に覚えた音楽のスタイルでもあるし、今でもすごく大事な存在だよ。家族やリバース・ブラス・バンド、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドと一緒に、街の中でリアルタイムにそれを体験しながら育ってきた。子供の頃からその場で学んで、その一部として関わりながら成長してきたんだ。

―リバース・ブラス・バンド(1983年結成)はどんなところが素晴らしいと思いますか?

TS:俺にとってブラスバンド文化、セカンドラインのキングだよ。世界中をツアーしてファンベースを広げながらも、ツアーの合間には必ずニューオーリンズに戻って、セカンドラインのパレードに参加し続けていた。そういう姿勢がすごく重要だったと思う。音楽面でも、彼らのアプローチやニューオーリンズ・ミュージックの解釈は、シーンを完全に変えたんだ。新しくてフレッシュで、誰もが体で感じられるようなストリートのグルーヴを生み出した。
そして彼らが成長していくにつれて、セカンドラインのオーディエンスもどんどん増えていった。間違いなくリバースがいなかったら、今の形にはなっていなかったと思う。

―そんなに大きい存在なんですね。

TS:ダーティ・ダズン・ブラス・バンドはリバースより前に登場して(1977年結成)、スタイルや音楽そのものを変えた存在だったし、ツアーでも大きな成功を収めていた。ただ、彼らはリバースほどニューオーリンズで演奏する機会が多くはなかった。だからこそ、リバースがああいう形でシーンを支えたんだと思う。自分が子供の頃に、その流れを間近で体験できたのは、本当に特別なことだったよ。この2つのバンドは、近年においてブラスバンドとセカンドラインを支え続けてきた最も重要な存在だと思うし、今の形を作ったのは彼らなんだ。

―今、名前が出たダーティ・ダズン・ブラス・バンドについても話を聞かせてください。

TS:ダーティ・ダズンからも、俺はかなり影響を受けている。従兄弟のリヴァート・アンドリュースが長年あのバンドでトロンボーンを吹いていてね。みんなからは「ピーナッツ」って呼ばれている。
彼らがツアーに出るときは、出発前にうちに寄って、俺にフレーズとかを教えてくれて、ツアーから戻ってきたら「できるようになったか?」って感じで、俺がそれを演奏する、みたいなことが子供のころからずっと続いていたんだ。常にレッスンみたいな感じで、いろんな人が家に来てくれていたよ。今でも両方のバンドと一緒に演奏することがあるし、少し前にもダーティ・ダズンと一緒にジャムしたばかりなんだ。ニューオーリンズでブラス楽器をやっているなら、あの2つのバンドのどちらからも影響を受けずにいるのは難しいと思う。それくらい、この街の音楽の基盤の一部になっている存在だね。

―その2組のあとに台頭したのが、ソウル・レベルズ(1991年結成)やホット・エイト・ブラス・バンド(1995年結成)だと思います。彼らからも影響を受けていますか?

TS:その辺の連中は自分と同世代だから、お互いに影響を与え合っている間柄かな。しょっちゅう一緒に演奏もしているしね。ソウル・レベルズともよくジャムするし、ホット・エイトにも友達が何人もいる。みんな一緒に育ってきた仲間だね。

独自のラップ・スタイル「バウンス」の影響

―新しいニューオーリンズのブラスバンドは、ヒップホップの要素を取り入れていますよね。あなたの音楽にもそういった影響はありますか?

TS:もちろん。
完全に影響を受けているよ。俺の音楽は、いわゆる伝統的なブラスバンドではないからね。チューバがあったりする普通の編成じゃなくて、ギターやドラム、ベース、キーボード、シンガーがいる。だからファンクやロック、ソウル、R&Bに、そこへ少しジャズの要素が加わったようなスタイルになっている。

それに、俺たちはヒップホップを聴いて育ってきた世代でもある。ジュヴィナイルやリル・ウェイン、マニー・フレッシュ、マスター・Pみたいな音楽をずっと聴いてきたし、一緒に仕事をする機会もあった。だからヒップホップの影響は間違いなく大きい。俺たちの世代やその下の世代は、ブラス楽器を演奏していても、同時にその時代に流れていた音楽をしっかり吸収しているんだよね。だからあらゆるものから影響を受けていて、それを今の自分たちの音楽に取り入れている。自分が育った時代に流れていた音楽って、ミュージシャンであれば自然と体に染み込むものだと思うんだ。どんな音楽をやるにしても、そのDNAは必ずどこかに現れてくるものなんだよ。

―今、南部のラッパーの名前ばかり出てきました。ルイジアナにはバウンスとよばれる独自のラップ・スタイルがあります。そういった地元のラップの影響をあなたも受けている?

TS:バウンスはニューオーリンズで生まれたものなんだ。まだどういうものか知らない人も多いけど、あの独特のチャントやラップのスタイルは、もともとブロックパーティーから来ている。今はそこまで多くはないけど、昔はそういうパーティーがたくさんあって、誰かの家の玄関先にDJ機材をセットしたら、そこに何千人もの人が集まっていた。そこでバウンスのビートが流れて、誰かがマイクを持ってその場でラップしたりチャントをしたりして、みんなを盛り上げる。そのリズムや言葉のノリを見て育ったんだ。サウスのラップも含めて、そういった音楽は全て影響し合っていると思うよ。

そういう要素は、ニューオーリンズのいろんな音楽の中に自然と現れているんだ。今ではヒップホップの中にブラスバンド的な演奏スタイルが取り入れられているのも聴こえてくる。最近だと、俺はジュヴィナイルの最新アルバム『Balling Point』(2026年)に参加して、2曲プロデュースしたんだけど、そこにはニューオーリンズのブラスの要素も入れている。ジュヴィナイルと一緒に、ニューオーリンズの異なる音楽の側面をひとつにしたんだ。

トロンボーン・ショーティは、ジュヴィナイルの「Tiny Desk Concert」にも参加(2023年)

―特に好きなバウンスのラッパーやアーティストをいくつか挙げてもらえますか?

TS:パートナーズ・ン・クライム(Partners-N-Crime)っていうグループがいるし、もちろんビッグ・フリーディア(Big Freedia)もいる。それから自分にとってバウンスのパイオニア的な存在としては、DJジュビリー(DJ Jubilee)がいるね。彼はキングと言っていいと思う。最初に始めたわけではないけど、黎明期に関わって、このカルチャー全体を形作ってきた一人なんだ。ダンスだったり、いろんなスタイルも含めてね。それに、もう亡くなってしまったけど、フィフス・ワード・ウィービー(5th Ward Weebie)もいる。彼とはレコーディングしたり、一緒に仕事もしてきたんだ。あとは若い世代だと、ホット・シズル(Hot Sizzle)っていうアーティストもいるね。

―あなた自身、バウンスやサウスヒップホップの影響を取り入れてた曲も作ってますよね?

TS:あるよ、しょっちゅう使っている。アルバム『For True』(2011年)に入っている「Buckjump」では自分とリバース・ブラス・バンド、それにフィフス・ワード・ウィービーが一緒にやっているんだ。自分のニューオーリンズのスタイルに、よりストリート寄りのサウンドとしてリバース・ブラス・バンドを迎えて、さらにその上にフィフス・ワード・ウィービーのバウンスを重ねている。ニューオーリンズの異なる側面をひとつにつないだようなコラボレーションだね。

伝統の継承とハイブリッドな革新

―ニューオーリンズではプリザヴェーション・ホール・ジャズ・バンド、オリンピア・ブラス・バンドのような老舗の伝統的ブラスバンドも活動を続けています。こういったバンドから学んだことがあれば聞かせてください。

TS:もちろん。ああいう存在こそが、自分たちの学びの出発点なんだ。彼らは伝統的な音楽のスタイルや、必ず知っておくべき伝統的な楽曲を教えてくれた人たちでもある。いわば学校みたいなもので、時間をさかのぼるように、過去の名曲を学び、年上のミュージシャンたちと一緒に演奏することで、その先に音楽をどう発展させていけるかの準備ができる。そういう素材を学ぶことで、音楽的な語彙も豊かになって、前に進める可能性が高くなる。自分にとっては、伝統的な音楽を学び、両方のバンドと一緒に演奏してきたことが大きな影響になっている。彼らと演奏するたびに学びがあるんだ。バックグラウンドも違うし、音楽への向き合い方もまったく異なるからね。俺は常に新しいことを学ぶのが好きだから、一緒に演奏するたびに原点に立ち返るような感覚になる。

―あなたはデビュー作『Trombone Shorty's Swingin' Gate』(2002年)をリリースした頃から、ニューオーリンズのブラスバンドのサウンドの要素を大事にしつつ、そこに新たな手法を取り込み、独自の音楽を生み出してきました。そこでの「新しいチャレンジ」にはどんなものがありましたか?

TS:俺のアプローチは、基本的に人生経験から来ているんだ。いろんな段階があってね。さっき話したオリンピア・ブラス・バンドやプリザヴェーション・ホール・バンドで演奏していた時期も、そのひとつの段階で、そこで多くを吸収していた。その後、ネヴィル・ブラザーズやドクター・ジョンと一緒にやるようになった。そして14歳くらいの頃には、〈Cash Money Records〉やマニー・フレッシュのためにホーンのレコーディングを始めて、高校を卒業するとすぐにレニー・クラヴィッツのツアーに参加した。そういうあらゆる瞬間から、自然と何かを吸収してきたんだ。自分にとっては全部が学校みたいなもので、それぞれの経験が強い印象を残していて、そのまま自分の音楽に反映されている。

たとえばレニー・クラヴィッツからファンク・ロック的なものを学べば、それが今の自分の音楽に自然と出てくるし、ネヴィル・ブラザーズから学んだニューオーリンズ特有のアップタウン・ファンクも同じように反映される。全てがスポンジみたいに自分の中に吸収されて、最終的にひとつの大きな鍋の中で混ざり合って出てくる、という感覚だね。

―あなたとジョン・バティステが登場したのは、シーンの大きな転換点だったと思います。今までのニューオーリンズのアーティストよりもハイブリッドで自由な感覚がありました。それには何か理由があったのでしょうか?

TS:理由はやっぱり「時代」かな。俺とジョン・バティステは8歳の頃からの友達で、一緒に育ってきたんだ。さっきも言ったように、俺たちはいろんな音楽のスタイルから影響を受けてきたし、実際にそういう仕事もしてきた。その経験が、自分たちのアプローチを変えていったんだと思う。昔のミュージシャンたちは、影響を受けられる音楽の量自体が限られていた。でも自分たちの世代は、もっと多くの音楽に触れることができた。その時代に生まれてきた以上、今の音楽の形になるのは自然な流れだと思う。自分とジョンがやってきたのも、まさにそういうことだ。たとえロックやソウルを演奏していても、そこには必ずニューオーリンズ特有のリズムが流れてくる。それはどうしても消せないんだよね。

トロンボーン・ショーティとジョン・バティステの共演映像(2023年)

―あなたやジョンが出てきた時って、ニューオーリンズのシーンはすぐに歓迎してくれましたか?

TS:ニューオーリンズは伝統が強く残っている場所だから、最初は受け入れられるまでに少し時間がかかったかな。でも、それは当然だよ。俺たちは自分のやりたいことをやっていたし、音楽そのものや、それをどう聴くか、どう反応するかという部分まで変えていたから、「ちょっと変わっている」と感じた人もいたはずだね。すごく伝統を重んじる街だから、「こいつら何をやってるんだ?」と思う人が出てくるのは当然だと思う。完全に新しいことだったし、過去に頼るのではなく、自分たち自身のアイデンティティを作ろうとしていたからね。

でも続けていくうちに、状況は変わっていった。自分やジョンはニューオーリンズを出て、自分たちの解釈でニューオーリンズの音楽を表現し続けてきた。その結果、後に続くバンドたちが、もっと自由にやれるようになったと思う。同じ音楽を100年続けるだけじゃなくて、新しいスタイルを生み出す時期だったんだ。もちろん、最初は戸惑っていた年上のミュージシャンもいたけど、それは不安というより、「自分のやり方を変える」という発想自体がなかったからだと思う。彼らは教わってきたニューオーリンズのスタンダードを演奏してきたわけだからね。自分とジョンにとってはすごくエキサイティングだった。新しいものを持ち込んだことで、ニューオーリンズのショーにはどんどん人が集まるようになったし、ソールドアウトも増えた。無料のフェスをやったら1万~1万5千人くらい集まったりね。観客は、自分たちのルーツであるニューオーリンズの要素を感じながらも、新しいサウンドにワクワクしていたんだと思う。「リズムは馴染みがあるけど、表現は新しい」って感覚で、どんどん観客が増えていった。とても刺激的な状況だったよ。

―ということは、あなたやジョンが出てきたあと、ニューオーリンズでジャズやブラスバンドをやっている人たちはかなり意識が変わったのでは?

TS:ああ、そう思うよ。自分たちはある種の「気づき」をもたらしたんだと思うし、人々の関心も高まった。それに、さっき言ってくれたように実際に演奏していたミュージシャンたちにも、自分たちが持っているツールを使ってもっと自由に革新的なことをやっていいんだ、という自信を与えられたと思う。今ではいろんなバンドが新しいことに挑戦していて、DJを取り入れたり、ホーンと組み合わせたりしている。自分とジョンが流れを少し前に進めたことで、その後の世代や同世代のミュージシャンたちが、他のことに挑戦するのを恐れなくなったんだと思う。

ファンクとロックの影響、レニー・クラヴィッツからの学び

―ここまで何度かファンクの話が出てきましたが、ニューオーリンズには歴史的に偉大なファンクの系譜がありますよね。そこからの影響についても聞かせてください。

TS:子供の頃からファンクを演奏してきたし、ネヴィル・ブラザーズとも一緒に演奏してきたし、ザ・ミーターズともレコーディングする機会もあった。ネヴィル・ブラザーズとの時間は、自分にとってファンクの面で大きな影響になっているし、アラン・トゥーサンのような存在からも影響を受けている。それにティピティーナズ(Tipitina's:有名なライブハウス)で演奏すると、いつも自然とファンクになるんだ。

シリル・ネヴィル(ネヴィル・ブラザーズ)との共演映像(2019年)

―ニューオーリンズ特有のファンクの魅力があるとしたら、どんなところですか?

TS:いわゆるストリート・ファンクと呼ばれているものだよね。たとえばプリザヴェーション・ホール・バンドを聴くと、もっと伝統的なサウンドで、楽曲の中でコード進行がより多く展開していくのが分かると思う。でもストリート・ファンクになると、中心になるのはリズムなんだ。ドラムが軸にあって、ときにはチューバがヒップホップのループみたいな役割を果たす。同じフレーズを繰り返し続けることもあるけど、その周りでいろんな要素が変化していく。そういうときに、あの抗えないストリート・ファンクが生まれるんだ。出身がどこであれ、あのリズムが鳴り出したら身体は自然と動いてしまう。踊らずにはいられない。でもそれは言葉で説明できるようなものでもなくて、どこか魔法みたいなものなんだと思う。結局はフィーリングなんだよね。

―あなたは自分で歌い、時にはラップもしますよね。

TS:少しは歌うけど、ラップに関しては”それっぽくやっている”(fake rap)だけだね。本格的にラップができるわけじゃないから。

―そのスタイルはどこから来たものですか?

TS:これはニューオーリンズという土地の影響が大きいし、マニー・フレッシュと一緒にやってきたことも大きい。歌うことに関しては、トランペットを演奏する兄のジェイムズからの影響が強いかな。それにレニー・クラヴィッツやシリル・ネヴィル、ニューオーリンズのいろんな人たちと一緒にやってきたこととも繋がっている。ニューオーリンズではフロントに立つ人間なら、何かしら歌う必要があるんだ。上手いかどうかは別として、とにかく歌うんだ。ラップ的なアプローチについては、いわゆるラップというより、ニューオーリンズのバウンスの影響が強い。コール&レスポンスみたいな、観客参加型のチャントに近い感覚でやっているんだよね。

―あと、あなたの音楽にはロックの影響も大きいと思います。ロックを熱心に聞いていた時期もありますか?

TS:ああ、ロックはずっと聴いてきたよ。レニー・クラヴィッツ、エアロスミスやナイン・インチ・ネイルズもそうだし、レッド・ホット・チリ・ペッパーズももちろん聴いて育った。それにジェフ・ベックとも一緒に演奏してジャムする機会があったんだ。ニューオーリンズで育ちながら、グリーン・デイみたいなバンドも含めて、そういう音楽をずっと聴いていたのを覚えている。今でもジャンルに関係なくいろんな音楽を聴いているし、レニー・クラヴィッツと実際に一緒にやれた経験はかけがえのない経験だったよ。

―レニー・クラヴィッツの名前が何度も出てきますけど、どんなきっかけで彼のツアーに参加したんですか?

TS:共通の友人がレニーと長年の友達だったんだ。19歳のときにその彼から「レニーがホーン・プレイヤーを探している」と言われて、マイアミに呼ばれた。自分としてはオーディションを受けるつもりはなくて、ただ一緒に演奏して、そのままツアーに出るのかな、くらいに思っていたんだけどね。でも実際にはマイアミで2~3週間かけて曲を全部覚えて、そのまま約2年間のワールドツアーに出ることになった。それ以来ずっと一緒で、もう20年の付き合いになるよ。

―彼のどんなところに影響を受けましたか?

TS:レニーを見て、俺を見れば、ステージ上での影響はかなり分かると思う。観客のコントロールの仕方だったり、バンドのまとまりの良さだったり、ボーカルのスタイルも含めて、明らかに影響を受けている。今でも数週間に一度は連絡を取っていて、音楽について質問したりもしているし、とにかく徹底的に研究してきたんだ。毎晩ステージで彼のそばに立てる機会があったからこそ、しっかり観察して学べたんだ。それは自分にとって本当に大きな時期で、ひとりの生徒として彼を見続けていた感覚だね。

レニー・クラヴィッツとの共演映像

―レニー・クラヴィッツ以外で、あなたの音楽に影響を与えたロック系のアーティストを挙げるとすれば?

TS:レッド・ホット・チリ・ペッパーズだね。バンド全体が素晴らしい。アメリカで3カ月間、彼らの前座を務めてアリーナ・ツアーを一緒に回ったんだ。それからフー・ファイターズもいい。プリンスも後期はロック寄りのサウンドをやっていたから、そこからも影響を受けている。

―僕がフジロックであなたのライブを観たとき、レッチリの影響を感じたんですよね。

TS:彼らはファンクとロックを融合させたサウンドを持っているよね。それに、彼らが影響を受けたバンドのひとつがニューオーリンズのザ・ミーターズなんだ。だからある意味で、ぐるっと一周して戻ってきたような感覚がある。純粋に彼らの音楽やアプローチが好きだし、ベースのフリーは本当にすごいと思う。ファンクとロックをどう組み合わせるか、そのやり方がとてもユニークで、そこに強く惹かれているよ。

―これもフジロックで観たときの印象なんですが、あなたはブレイク、ビルドアップ、ドロップなどを使って、オーディエンスを盛り上げることが得意ですよね。それはもともとブラスバンドやジャズには珍しい要素だと思います。どんなところから得たアイデアですか?

TS:そもそも自分たちの音楽をジャズとして捉えているわけではないんだ。ホーンを演奏しているし、インプロヴィゼーションもあるからジャズの要素は聴こえるかもしれないけど、アプローチとしてはむしろポップやロック、ファンクに近い。自分たちではニューオーリンズ・ファンク・ロックと呼んでいるけど、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやレニー・クラヴィッツみたいなバンドの感覚で音楽を作っている。もちろんジャズ的なソロもあるけど、同時にアレンジはしっかりと作り込んでいるし、大きな会場で演奏することも考えてショーとして成立するように組み立てている。

俺とジョン(・バティステ)が16歳くらいのとき、「ただステージに上がって1時間ジャムするんじゃなくて、ちゃんと構成されたショーをやりたい」と話していたのを覚えているよ。曲があって、腕を上げたら照明が落ちて、合図でドラムが入って、暗転する。そういう演出も含めてやりたいと思ったんだ。ジェームス・ブラウンみたいな人たちを研究して、「こういうことがやりたい」と思ったよ。俺は観客が楽しめるものをやりたかった。だから照明やドロップ、ブレイク、エネルギーの流れ、どうやって感情を引き出すか、そういうことまで含めてショーマンシップを徹底的に研究してきたんだ。

―あなたの音楽はすごく自由で、ジャンルや時代の枠を超えたものです。それが可能なのはニューオーリンズの音楽文化に理由があるのではないかなと思いました。なぜ、ニューオーリンズのジャズはあらゆる音楽要素と相性がいいのでしょうか?

TS:ニューオーリンズの音楽からは、本当にさまざまなスタイルが生まれてきたんだ。ジャズだけじゃなくて、ルイ・アームストロングからファッツ・ドミノ、そしてリル・ウェインのような存在にまでつながる系譜がある。それに、ニューオーリンズではジャズも含めて「ダンスのための音楽」という感覚をずっと忘れていない。だからニューオーリンズに来て音楽を聴くと、誰も座っていなくて、みんな踊っているよ。たとえプリザヴェーション・ホールみたいに伝統的なジャズをやっている場所でも、足を鳴らしたり体を揺らしたりしているんだ。

つまり根底にあるのは「楽しむこと」。そして観客とバンドが一体になって、同じ感覚を共有する。そのコミュニティ的な感覚が音楽にもそのまま表れている。さっきも言ったように、ニューオーリンズにはヒップホップ、ブルース、バウンス、ジャズ、ファンク、パンクロック、ロックといったいろんなスタイルがあって、それぞれ違う形で表現されているけど、根っこではすべてがつながっている。結局は全部ニューオーリンズの音楽であり、ひとつの共通した感覚で結びついているんだ。

トロンボーン・ショーティが語る、ジョン・バティステと共に担ってきたニューオーリンズ音楽文化の革新
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Trombone Shorty & Orleans Avenue来日公演

2026年5月25日(月)ビルボードライブ東京
1st Stage 開場16:30 開演17:30
2nd Stage 開場19:30 開演20:30
>>>詳細・チケット購入はこちら

2026年5月27日(水)ビルボードライブ横浜
1st Stage 開場16:30 開演17:30
2nd Stage 開場19:30 開演20:30
>>>詳細・チケット購入はこちら

〈出演メンバー〉
Trombone Shorty(Tb,Tp,Vo)
Tracci Lee(Vo)
Taijan Cooke(Vo)
Orlando Gilbert(T.Sax)
Daniel Oestreicher(B.Sax)
Pete Murano(Gt)
John Maestas(Gt)
David Raymond Jr.(Ba)
Joey Peebles(Dr)
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