本日4月24日に配信開始となったビデオポッドキャスト「Episode 1: 2000-2004」を皮切りに、5月22日まで毎週金曜日の正午に新エピソードが更新される。本プログラムでは、オーガナイザーの清水直樹(クリエイティブマン代表取締役社長)と、サマソニ初回からメインステージのMCを務めるサッシャが登場。長年現場を共にしてきた二人だからこそ語れる、貴重な振り返りトークを楽しむことができる。
Rolling Stone Japanでは、この対談のテキスト版をお届けする。本記事では、サマソニ黎明期の2000年~2004年までをプレイバック。[構成:西廣智一]
左からサッシャ、清水直樹(Photo by Mitsuru Nishimura)
*
2000年:JBが激昂、「新人」コールドプレイ出演、伝説の第1回
サッシャ:まずは、2000年にスタートしたサマーソニック立ち上げの経緯から振り返ります。1回目は富士急ハイランドと、今とは違う会場での開催でした。
清水:まずひとつ、ポイントとして……フェスって観覧車のイメージがすごくあったのね。例えば、海外だとレディング&リーズ・フェスティバルがそうだし、今はコーチェラもそうじゃない。
サッシャ:本当に観覧車がフェスにあるという意味でね。
清水:そう。だから、フェス=遊園地的なイメージっていうのを、僕はすごく持っていて。
サッシャ:そもそもフェスをやろうと思ったのはなぜ?
清水:海外のフェスに行ったら本当に楽しくてしょうがなくて、「こんなに夢のような場所があるんだ!」と。ただ、そこで終わりじゃなくて「自分はこれを作れる(側にいる)んだな」と、この夢のような世界を日本に持っていって、みんなに共有してもらいたいっていうことを、海外のフェスに行きながらずっと考えていたという。それを実現させたのがサマーソニックです。
サッシャ:プロモーターとして活動する中で、海外のライブとか観に行く延長でフェスにも行っていたと。日本に招聘するアーティストをまとめて観られるし。
清水:観れるし、自分も楽しいしね。
サッシャ:何年越しの実現だったんですか?
清水:レディングに最初に行ったのは1992年か93年だけど、自分でもやれるんじゃないかと考え出したのは94、5年かな。野音とかでちっちゃいフェスとかやりながら、(前年の)1999年に『BEAUTIFUL MONSTERS TOUR』っていう、マリリン・マンソンを中心にしたフェスをやっていて。
サッシャ:同じ富士急ハイランドでやってましたよね。
清水:それもサマーソニックを想定しながらやっていたという。
サッシャ:ああ、自分の中ではプレサマーソニックだったんですね。
清水:そう。あれがうまくいったので、だったらいけるんじゃないかなと。
『BEAUTIFUL MONSTERS TOUR』ポスター画像
サッシャ:実際、サマーソニック初年度っていかがでしたか?
清水:(当時のラインナップを見ながら)本当はね、ここにレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが入って、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン、Dragon Ashって並びだったら、最初としても完璧だったんだけど、レイジが駄目になって。それで、ここにJB(ジェームス・ブラウン)が入ったという。
サッシャ:JB! いやあ、忘れられない(笑)。私もね、当時はまだ業界経験2年目の駆け出しだったんですけど、縁あってサマーソニックのMCをやらせていただくことになったんですけど、ここはいろいろストーリーがありますよね。
清水:あったね。JBが出てきてみんな盛り上がって、ステージに投げ込まれたペットボトルがJBに当たって、JBが怒るという。それで演奏がストップして、10分間説教する。で、もう1回始まるんだけど、1時間予定のショーが2時間になるみたいなところで、あれだけ怒ったら誰にも止められないっていうのがね。
サッシャ:どうやってジェームス・ブラウン(のステージ)を終わらせたんですか?
清水:あのときは、そのままの流れで最後までやってしまい、ダブルヘッドライナーだったはずのジョンスペがもう30分しかできなかったという。
ジェームス・ブラウン、2000年サマーソニックのライブ映像
サッシャ:僕はステージ裏で、JBさんも当時インタビューをさせてもらっていて。で、ジョンスペがジェームス・ブラウンの楽屋の前で、CDを持って並んで待っていたの。
清水:みんなサインをもらいたいから。フレーミング・リップスからみんな並んでたよね。
サッシャ:それがまるで「少年のファンが好きなアーティストのコンサートに来て、出待ちしている」みたいな光景なわけですよ。そりゃあ、そんな存在がライブを延長したら文句は言えないですよ。
清水:「しょうがない」って言ってたね(笑)。
サッシャ:当時はまだ2ステージだったんですよね。
清水:ちっちゃいほうのステージはエアコンが効かなくて。しかも、あれだけパンパンに人が入っていて、まあ暑かったよね。
サッシャ:あそこは通常、イベントホールなんですよね。だから、そういうコンサートをそもそも想定していないっていう。
清水:イベント用の体育館みたいな感じになっていて。最初に俺が見に行ったときは、おばけ屋敷だったね。
サッシャ:えーっ(笑)。
清水:そういうような場所だったのよ。で、「ここを使おう」ということになって、それで2ステージでやりましたね。
サマソニ第1回(東京会場)の様子 (C) SUMMER SONIC All Rights Reserved.
サッシャ:さらにこの年は、コールドプレイが出ているんですよね。
清水:シガー・ロスとね。
サッシャ:その後、ビッグアーティストになるコールドプレイがここにいたっていうのは、驚きですよね。
清水:当時、コールドプレイがケータリングでJBの横になって、ビビってましたけどね(笑)。
サッシャ:音楽業界の人にとってJBはレアキャラ、神様ということですよね。
清水:(サマソニは)「まずはグリーン・デイをヘッドライナーでいこう」ってことで始まってるようなところもあったから、タイミングとしてはバッチリでした。
でも、当時は彼らが本当にやんちゃな時期だったから、その前日にJBでもう疲れたところで、今度はグリーン・デイがステージ上でドラムを燃やすとか言い出して、消火器を持ってみんな待機してるみたいな(笑)。
サッシャ:そんなことがあったんですね。僕は裏でそのインタビューしていたんですけど、(富士急ハイランドがある)コニファーフォレストの周りって森じゃないですか。彼ら、松ぼっくりを食べてましたけど(笑)。「とんでもない人たちだな、グリーン・デイって!」と思いましたよ。
グリーン・デイ、2000年サマーソニックのライブ映像
サッシャ:あと、この日に出ていたと思うんですけど、ベン・フォールズ・ファイヴにもライブ出演前にインタビューしたんです。
清水:(当時の出番は)グリーン・デイの前だね。
サッシャ:そうですね。
清水:解散の直前で、仲悪かったんだ。
サッシャ:メンバー同士の空気が怪訝で。だからこれ、実はベン・フォールズ・ファイヴの解散直前ライブなんですよ。ほぼ最後のライブ。
清水:その一方で、ウィーザーは復活ライブみたいな感じだったよね。
サッシャ:だから、すでにサマソニは初回からそういう伝説をたくさん作っていたわけですよね。
ウィーザー、2000年サマーソニックのライブ映像
2001年:スリップノットが怪演、今日の礎を築いた第2回
サッシャ:1年目の手応えってどうでした?
清水:もう「翌年もやろう」っていうことを、終わったあとにすぐ考えて。でも、次はここじゃない会場かなって思いましたね。
サッシャ:観覧車が必要だと思ったものの。
清水:それで、2週間後ぐらいにはもう次の場所を見つけに動いて、マリン(スタジアム)とかあのあたりを見に行ってるんだよね。
サッシャ:何ヶ所か候補はあったんですか?
清水:まあね。横浜だったらどこだろうなとか、東京近郊でいくつか見たりとか。もちろん、静岡とか富士とかあのあたりも考えたけど、マリンスタジアムは今までもいろんなアーティストがライブをやっているし、幕張メッセもちょうどライブをやりだしたばかりだった。それで、この2つを(同時に)やった人はいないっていうことを、パッとひらめいたんだよね。
サッシャ:だって、道を挟んですぐ隣ですからね。
清水:そう。車道から両側をパパっと見て、「この2会場で同時にやったらどうなるだろう」ってことで交渉し始めたのが、2000年のサマーソニックが終わってすぐだよね。
サッシャ:あと、初年度の話で言うと、東京と大阪の同時開催で、アーティストが入れ替わるという今のスタイルが早くも確立されています。これはもう当初からの構想だったんですか?
清水:これは最初からだね。ほかと何か違うことをやりたいし、できるだけ多くの人に観てもらいたかった。それに東京エリアだけ、大阪エリアだけだったら絶対成り立たないなと。2ヶ所でやるっていうのはレディングのパターンがイメージにあって(レディングとリーズの2会場で開催)、それを東京と大阪でやろうとして、場所を選んだっていうね。
サマソニ第2回(東京会場)の様子 (C) SUMMER SONIC All Rights Reserved.
サッシャ:で、2001年の東京は会場を千葉マリンスタジアムと幕張メッセに移して開催。ベックとマリリン・マンソンがヘッドライナーでした。場所が変わったことによって、オペレーションとかもいろいろ変わったと思うんですけど、2年目はどうでした?
清水:お客さんがどういうふうに行き来するかは重点的に考えたことかな。あと、ヘッドライナーの2組よりも、その前のプライマル・スクリームとスリップノットのライブを観て、「ああ、ここだ!」っていうイメージがすごく浮かんだ。スリップノットはとにかくすごかったよね。
サッシャ:すごかった! みんな跳ねてたし。
清水:歴史に残るライブの何本かに入ると思うんだけど、みんなを1回座らせて「跳べ!」みたいなやつ、あの映像が結構YouTubeでも流れていて。いろんなアーティストがあれを観て、「サマソニすげえ!」って言ってくれるんだよね。スクリレックスもあの映像を観て、「サマーソニックがすごく印象に残ってる」と言ってくれたし。
スリップノット、2001年サマーソニックのライブ映像
サッシャ:へえ。ヘッドライナーのマリリン・マンソンはサマソニを立ち上げるきっかけとなった『BEAUTIFUL MONSTERS TOUR』のヘッドライナーだったわけですから、当然ここでお迎えするわけですよね。
清水:マリリン・マンソンは(サマソニが)始まったら数年のうちに、1回はヘッドライナーをやるだろうなって構想はあったので、このときはかなり早い段階で決まってたんだよ。
サッシャ:ベックも当時、時代の寵児でした。
清水:バランス的にも、ロックの中でもハードなものとUSロックとうまく分かれて、サマソニのイメージを2回目にして確立できたと思いますね。
ベック (C) SUMMER SONIC All Rights Reserved.
マリリン・マンソン (C) SUMMER SONIC All Rights Reserved.
サッシャ:ハプニングとしては、ザ・ストロークスが実は決まっていたんだけど、直前にドクターストップでキャンセルという。
清水:何の病気だったかはもう忘れちゃったけど。で、その翌年(2002年2月)にうちでツアーをやってるんだけど、それがすごくよくてね。あれでまたすぐに呼ばなきゃっていうことで、2003年のサマソニに出てもらうことになって。
ザ・ストロークス、2003年サマーソニックのライブ映像(今年のサマソニにはヘッドライナーとして出演)
サッシャ:あとは、ゼブラヘッドがサマソニに初めて出たのも2001年。日曜日の上から3つ目にいますけど、ゼブラヘッドは今年で9回目と、海外アーティストでは最多出演となります。
清水:やっぱり、このときは3番目でも本当に文句ないような人気があったんだよね。で、できるだけ出演回数を伸ばしてあげようと思って今年オファーしたんだけど、10回目までは絶対に解散しないで続けてほしいよね。
ゼブラヘッド、2001年サマーソニックのライブ映像
2002年:ガンズとモリッシー「攻め」の二大巨頭
サッシャ:では、2002年にいきましょう。ここからステージが3つになります。(出演ラインナップを見て)この年は、あるアーティストの文字の大きさから清水さんの思いの強さが伝わります(笑)。
清水:思いと重さと(笑)。ある意味、違う意味で攻めたよね。ガンズ(・アンド・ローゼズ)とモリッシーなんて、一番キャンセルする(可能性の高い)二大巨頭なわけだし。
サッシャ:プロモーター的には一番ブッキングしてはいけないアーティストじゃないですか(笑)。
清水:一番危ない橋を渡ることを、3年目にやってしまったという。ここは痺れたよね。本当に「来いよ、来いよ」っていう。
サッシャ:もしもの場合のバックアップは用意してあったんですか?
清水:ないない(笑)。この当時、バックアップなんて考えないよね。それはうちらもそうだし、フジロックも最初の何年かは「とりあえずやろう」って感じでみんな始まってるからそこまで考えないし、来なかったら本当にどうしたんだろうな。たぶん(ガンズの前の)ウィーザーで終わってたんだろうな。
サッシャ:もしそうだったら、サマソニが続いてたかしら(笑)。でも、ガンズはスタートがだいぶ遅れましたよね。45分遅れだったそうです。
清水:あれはさ、アクセル(・ローズ)の問題じゃなくて、バケットヘッドの問題だったんだよ。
サッシャ:そうなんですか。
清水:当時のギタリストだったバケットヘッドは、ケンタッキーフライドチキンのバケツをかぶっているじゃない。実は当日、あれをホテルの部屋に忘れてきちゃったんだよ。
サッシャ:ホテルは会場の近くじゃないわけですよね。
清水:そう、都内。それに気がついて、スタッフが取りに行っていて遅れたんだよ。
サッシャ:そんな理由だったんですか!
清水:まあ、それもありつつアクセルもいつ出るかっていうのもあったし。そのダブルで45分だから、いいほうだよね(笑)。正直ファンはみんな1時間から、下手したら2時間を覚悟したと思うんだ。それが45分であの「テケテ、テケテ、テケテテケテ」って(「Welcome To The Jungle」のギターリフが)聴こえてきたんだから、みんな「うぉーっ!」って地鳴りみたいに声を上げるよね。
サッシャ:確かこのとき、僕はステージに上がって「もう少しお待ちください」っていうアナウンスを45分の間に3、4回やったんです。で、最後に「皆さん、お待たせしました。楽屋を出ました!」って言ったことを覚えていて。そんなMC、後にも先にも初めてでしたよ(笑)。ただ、それが盛り上げ要素になるっていう珍しいバンドですけどね。モリッシーは7年ぶりの来日でした。これも無事に。
清水:無事できたね。
モリッシー (C) SUMMER SONIC All Rights Reserved.
モリッシー、2002年サマーソニックのライブ映像
清水:この年は、次の日のオフスプリング、NOFX、ノー・ダウトというオレンジカウンティの並びがうちらしいなと。
サッシャ:そう、初期サマソニらしい。
清水:クリエイティブマンのカラーがこの3アーティストにどんと表れているなと。だから、こっちはすごく安心できたし、無事に終わって本当によかったよね。
オフスプリング、2002年サマーソニックのライブ映像
2003年:レディオヘッド「Creep」伝説の一夜
サッシャ:そして2003年です。過去にもいろんなところで、清水さんと私のラジオも含めて話してますけど、ここはちょっとターニングポイントになった年ですよね。
清水:そうだね。レディオヘッドとブラーがヘッドライナーにブッキングできた時点で、これはもう成功するっていうぐらい完璧な2デイズが決められましたね。
サッシャ:先ほど、オレンジカウンティの並びがクリエイティブマンぽいよねと言ってましたけど、このブリティッシュロックっていうのもクリエイティブマンらしい側面のひとつだと思うんですよ。そういった意味での二大巨頭がこの年は揃ったと。
清水:グリーン・デイとレディオヘッド、この2組はクリエイティブマンがずっとやってきたアーティストで、彼らをヘッドライナーにするフェスをやりたかった。それが4年目にして実現できたわけです。
サッシャ:レディオヘッドはずっと封印していた「Creep」を東京で披露しました。しかも初日の大阪ではやらず、東京もセットリストには載っていなかったんですよね。私はMCなので、毎回全部じゃないんだけど一応セットリストにも目を通すんです。客席側で(ライブを)観ていて、この曲くらいになったらステージ袖に戻るとか、そういうことを考える上でセットリストを見ていたので。
レディオヘッド (C) SUMMER SONIC All Rights Reserved.
レディオヘッド「Creep」2003年サマーソニックのライブ映像
清水:自分はあのとき、マリンスタジアムの後ろのほうで観ていたんだよね。だから、あのギターフレーズが鳴った瞬間、本当鳥肌が立ったよ。「ああ、やるんだ!」って。なんでやってくれたんだろう……でも、すごくご機嫌だったのは覚えてるんだよ。
サッシャ:トム(・ヨーク)が「キーン!」っていうアラレちゃんポーズで、スロープを下がって帰っていったんですけど、花火が打ち上がる中で本当にご機嫌そうで。清水さんたちの努力でサマソニは作られているわけだけど、最終的に作り上げているのはお客さんだなっていうのは、そのときすごく感じました。
清水:あのときの雰囲気がそうさせたんだろうね。
サッシャ:日本の音楽ファンの音楽愛の深さ、そしてそれを呼び寄せるラインナップも含めて、サマーソニックというひとつの文化がオーディエンスの力によって確立された瞬間でしたよね。
清水:このときレディオヘッドとしてはタイミング的に、本当はフジロックでやるみたいな話だったんだよね。でも、さっき言ったようにサマーソニックでまずレディオヘッドを見せたい。「どうかサマソニでやってくれよ」みたいなことをいろんな形で訴えながら、最終的には巻き返せたっていう想いもこのときあったから、それが最後にそういった形で伝説のライブになった。これでさらにサマーソニックを続けられる、ひょっとしたらこの先何十年も続くんじゃないかっていう気持ちになったよね。
サッシャ:ひょっとしたら、あの「Creep」は清水さんのプレゼンに対する答えだったのかもしれないですね。
清水:そう思うと気持ちいいけど、レディオヘッドとはずっと一緒にやってきたから、いろんな要因が積み重なった結果なんだろうね。
サッシャ:このあと、レディオヘッドは2016年にもう1回出演していますけど、そのときも東京だけで「Creep」をやってるんですよね。
清水:あれは、その2003年のオマージュだったのかな。何なんだろうね。
サッシャ:清水さんへの、そして日本のファンに対する恩返しかもしれませんね。
2004年:ヒップホップ時代とBEACH STAGEの幕開け
サッシャ:2003年をもって「続けていける」と確信したわけですが、2004年は初回からわずか5回目にしてステージが5つになっています。
清水:このあたりからだよね、毎年毎年いろんなアイディアが出てきて、どんどん広がっていくっていう。今やサマーソニックの肝となるBEACH STAGEもこの年に生まれて。
サッシャ:今や名物ですよね。
清水:当時の写真を見ると、強い風が吹いたら飛んでいきそうなステージだよね(笑)。
サッシャ:そう考えると、機材とかいろんなものがパワーアップしてますね。最初の年の話に戻りますけど、ステージ横のスクリーンも今から考えると、まだシンプルなものでしたし。
清水:この20数年で考えると、さらに進化しているし。
サッシャ:この年の初日はグリーン・デイが初年度以来のヘッドライナーで、その前はアヴィリル・ラヴィーン。そして2日目は、今や伝説になってしまったビースティ・ボーイズが初ヘッドライナー。
清水:アヴリルはめちゃくちゃ勢いがあったときだからね。
サッシャ:アヴリルの盛り上がりは、この年に関してはグリーン・デイを凌駕していたかもしれないですよね。
清水:そういうタイミングだったよね。
アヴリル・ラヴィーン、2004年サマーソニックのライブ映像
清水:で、ビースティ・ボーイズはロックとヒップホップの融合的なところでヘッドライナーになったので、ナズであったりさまざまなヒップホップアーティストをここに入れることができて。メインステージでそういったものを見せられるっていう点で、この年は本当にチャレンジングだったね。
サッシャ:サマーソニックにはそれまでヒップホップのイメージがあまりなかったと思うんですけど、それも今や当たり前になっているんで、扉を開けた年ですよね。
ビースティ・ボーイズ (C) SUMMER SONIC All Rights Reserved.
清水:あとは、稲葉(浩志)さんとか、松本(孝弘)さんもTMG(Tak Matsumoto Group)でとか、B'zではない形でまず出てもらって、それが何年後かのB'z出演につながる流れがあったり。この当時ってさ、大体メインステージに8~9組ぐらい出演していて、撤去転換とか大変だったんだよ。今はだいぶ時間を長めに取ってるけど、当時は20分くらいのインターバルで。だから、サッシャも結構大変だったんじゃない?
サッシャ:ずっとステージにいた記憶がありますね。
清水:そういうところでも、年々いろんなことが変化してるなっていうのを、振り返ってみて感じるよね。
サッシャ:バランスみたいなものを、どんどん探っていたってことですか。
清水:そうだね。あと、SONIC STAGEにSKETCH SHOWがこの年初めて日本のアーティストとして、ステージのヘッドライナーを務めたのかな。
サッシャ:邦楽アーティストが充実したのは、この年からかもしれませんね。
清水:自分の中では、YMOあたりの系譜は洋楽としても捉えていいだろうみたいな感覚もあったんだよ。
サッシャ:稲葉さんもそうだけど、当時の洋楽フェスにふさわしい邦楽とは何かっていうのを、模索していたところもあった?
清水:あの頃はそういうことを考えながら、まだ模索していた時代だよね。
※「5x5 Years of SUMMER SONIC」Part.2 2005-2009に続く
サマーソニック25周年記念スペシャルコンテンツ
「5x5 Years of SUMMER SONIC」
▼Spotify限定ビデオポッドキャスト
番組URL:https://spotify.link/5x5YearsOfSS_Podcast
▼Spotify公式プレイリスト
2000-2004:https://spotify.link/5x5SUMMERSONIC2000-2004
2005-2009:https://spotify.link/5x5SUMMERSONIC2005-2009
2010-2014:https://spotify.link/5x5SUMMERSONIC2010-2014
2015-2019:https://spotify.link/5x5SUMMERSONIC2015-2019
2022-2026:https://spotify.link/5x5SUMMERSONIC2022-2026
*コロナ禍でサマソニ開催中止となった2020年・2021年を除きます。
SUMMER SONIC 2026
2026年8月14日(金)・15日(土)・16日(日)
東京会場:ZOZOマリンスタジアム & 幕張メッセ
大阪会場:万博記念公園
https://www.summersonic.com/
>>>記事の本文に戻る


![VVS (初回盤) (BD) [Blu-ray]](https://m.media-amazon.com/images/I/51lAumaB-aL._SL500_.jpg)








