中国の民主化を求めて北京の天安門広場に座り込んだ大学生たちが武力制圧された1989年6月4日の天安門事件から20年。今や事件後に生まれた世代が大学へ進み、「天安門事件」は歴史上の事件となりつつある。
香港では今年5月、事件によって失脚した趙紫陽・元総書記の回顧録『改革歴程』が出版され、「20周年の今年こそ高校の歴史教科書に天安門事件を記すべき」と立法会で民主派議員が要求した。香港市民支援愛国民主運動連合会(支連会)が6月4日に行う追悼集会には過去最高の15万人(主催者発表)が参加した。

中国の民主化「香港人は責任ある」 

 香港では毎年6月が近づくと、「平反六四(天安門事件の再評価)」という標語を記してデモや集会への参加を呼び掛ける広告幕が、道路わきの柵などに多数掲げられる。六四とは、天安門広場に集まった人々を鎮圧すべく中国人民解放軍による武力介入が行われた89年の6月4日、ひいては天安門事件を指す。

 89年5月21日、中国人学生の行動に触発された香港市民が「100万人デモ」に及び、そこから「支連会(愛国民主運動を支援する香港市民の会)」が結成された。支連会は翌90年以降、6月4日直前の日曜午後にデモ行進、6月4日当日夜に追悼集会を毎年行っている。97年7月1日に香港の主権が中国に戻り、中央政府を直接批判する活動の存続が危ぶまれても、このデモ行進と追悼集会は続けられた。

 だが10周年を過ぎると、「平反六四」を叫ぶだけでは市民の関心を維持するのが難しくなる。11周年の2000年、支連会は初めて「トーチの火を伝え合う」という抽象的なスローガンを掲げ、03年に青年部を発足。事件当時の記憶を子供たちに語り継ごうと呼び掛けた。毎年恒例となっていた集会のプログラムも見直し、直近の時事問題を取り上げて、中国の民主化や人権擁護を広く訴えた。昨年は四川大地震。
大惨事を招いた校舎の全壊は手抜き工事を見過ごした行政による人災だと、政治腐敗を批判した。追悼集会には、獄中の暴行で半身不随になった法律家、政権転覆罪で服役中のエイズ問題活動家の妻もメッセージを寄せた。

 かつて支連会の司徒華・主席は自らの使命を「忘却との闘いである」と語ったが、この20年間で記憶の風化とともに中国本土との一体化が大きく進んだ。返還後、香港市民の本土往来が便利になり、中央政府による香港への支援措置が景気を回復させ、五輪の金メダルラッシュや有人宇宙飛行の成功などで国家の発展を身近に感じている。

 しかし今年5月14日、立法会で曽蔭権(ドナルド・ツァン)行政長官の答弁が物議を醸した。曽長官は「天安門事件に対する香港人の気持ちと見方は分かる。だが、事件から長い年月が過ぎ、香港人は国家の発展を客観的に評価できるはず」と発言し、民主派議員の猛反撃に遭い、同日に釈明会見を行うこととなった。27日には「天安門事件を忘れず89年の民主化運動を再評価する」との決議案が、支連会副主席の李卓人・議員から提出されたが、香港電台(RTHK)ニュースによると、ほとんどの議員が審議中退席し、この決議案は11年連続で否決された。冒頭の「歴史教科書への記載見直し」はこのとき民主党の張文光・議員が発言したものだ。

 31日のデモ行進は17年来最高の8000人(主催者発表)が参加し、曽長官発言に憤ったという市民の声が多数報じられた。香港大学民意研究計画が93年から毎年5月に実施する意識調査で、「平反六四を支持しますか」という問いに今年は61%が同意。昨年の49%から大幅に増え、この問いが調査項目に加わった97年以降の最高となった。
また興味深いのは「香港人は中国の民主化を促す責任があると思いますか」という問いで、この5年間75%を上回り、今年は78%に達した。

 20周年を迎えた6月4日夜、「過去最高の15万人」のともすろうそくの火がビクトリア公園のグラウンドを埋め尽くした。(情報提供:香港ポスト 編集部・杉村朋子)

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