第32回の今回は、新刊『四龍海城』(新潮社/刊)を刊行した乾ルカさん。
前回はこの物語ができるまでを語っていただきました。
■「仕事って辛いものじゃないですか。お金を稼ぐって辛いことなので」
―乾さんが小説を書くようになったきっかけはどんなことだったのでしょうか?
乾「私は20代半ばまで官公庁の臨時職員をやっていたんですけど、その契約が満了した時点でハローワークに通い始めたんです。私は真剣に就職活動をしているつもりだったんですけど、母からはすごく自堕落に見えたらしいんですよね。それで“あんたそんなにヒマなら小説のひとつでも書けば?”と言われたのがきっかけです」
―お母様から見たら、本気で勧めているのか嫌味のつもりなのか…
乾「嫌味のつもりが大きかったんじゃないですかね(笑)」
―それで小説を書いてみたらすんなりとデビューに結びついた、ということでしょうか。
乾「いえ、デビューできるまでは長かったです。母に言われて書いた作品がビギナーズラックで最終選考に残り、“なんだ、いけるじゃん”と勘違いしてしまったんです。それから先は全然駄目だったんですけれど、すでに引き際を見失ってしまっていて…。そういう勘違いもあって、結局デビューするまでは書き始めてから10年近くかかりましたね」
―初めて小説を書き終えたときの感想はどのようなものでしたか?
乾「楽しかったですね。小説を書いて投稿している時は本当に楽しかったです。そうでない時ももちろんありましたけど、基本的には今よりずっと楽しかったと思いますね。
書き始めて間もない頃は、書いたものを読み返すと“面白いじゃない”って思っちゃうんですよ。そして投稿しては落選っていうことになるんですけど。
でも、“次はこんなの書いてみようかな”って言う感じでそれも楽しめていましたね。
当時は正社員じゃなかったんですけど会社勤めをしていましたから、“昼はこういう仕事をしてるけど、家に帰ったら小説があるし”というところで救われていた部分もあったと思います。デビューするまでに時間はかかりましたけど、辛いと思った時期はわずかでした」
―どんな時に辛いと思われたのでしょうか。
乾「投稿を始めて早々に最終選考に残ったので、続けてみようと思ったんですけど、その後はパッタリと引っ掛からなくなってしまったんです。
それでもデビューする2年くらい前から、割と出せば最終選考まで残していただけるようになったんですけど、受賞には至りませんでした。“誠に残念でしたが今回は…”っていう電話を5回くらい聞きました。“私も嫌だけど電話をかける人も嫌だろうな…”って思ったりして、そのあたりから辛くなり始めて」
―それだけの苦労の後で、受賞の知らせが来たときはうれしかったでしょうね。
乾「受賞の電話が来た時はうれしかったですけど、うれしかったのはその一晩だけでしたね。後は辛いことばかりです」
―楽しんで書いていたものが仕事になってしまうわけですからね。
乾「そうですね。仕事ってまあ辛いものじゃないですか(笑) お金を稼ぐって辛いことなので」
―今はもう純粋に楽しんで小説を書くことはできていないのでしょうか?
乾「そうやって書けたらいいんですけど、もうそういうことはないんじゃないかなと思います」
―では、書くことに限らず、職業作家をされていて楽しい瞬間はありますか?
乾「…楽しい瞬間なんてありますかね?(笑) 私は今のところそういうのはなくて、作品を書き上げた時も、“これで奉公を一つ終えた”っていう安心感の方が強いです。楽しいというよりもホッとする感じ」
第三回「考えている人を見るのが好きなのかもしれません」に続く
第一回「ラスト一行を書くために長い前ふりを書いた、というところはあるかもしれません」を読む
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