中小企業庁の資料では、日本の開業率は近年おおむね5%前後で推移しており、「起業」は珍しい挑戦ではなくなりつつある。副業が好調でも、その延長で独立・起業すれば同じように成功するとは限らない。
住宅ローンや教育費を抱えたまま挑む独立の危うさについて、財務コンサルタントの見解もあわせて見ていきたい。
「会社を辞めれば年収1000万円なんて通過点」“過信”が招い...の画像はこちら >>

自由を夢見た副業成功の先に

「こんなはずじゃなかった。独立すれば、もっと自由になれると思っていました」

石川勝さん(仮名・42歳)は、夜中の国道を走る配送車のハンドルを握りながら、今でもそう自分に言い聞かせることがあるという。

一年前まで、石川さんは冷房の効いたオフィスで部下を指導する立場にあった。新卒から20年間、中堅メーカーで営業職として勤め上げ、40歳を過ぎて管理職に昇進。年収は約650万円。専業主婦の妻と、当時小学3年生だった息子。住宅ローンの残る都内のマンションで、何不自由ない暮らしを送っていた。

転機は、数年前に軽い気持ちで始めた輸入物販の副業だった。

これが思いのほか軌道に乗り、毎月安定して30万円ほどの利益が出るようになった。本業の合間にこれだけ稼げるなら、専業になればもっと伸ばせる――。そう考えるようになるのに、時間はかからなかったという。

「本業の合間でこれなら、専業になれば投下時間は倍以上になる。
会社を辞めれば年収1000万円なんて通過点だと思っていました。上司や社内政治、満員電車からも解放される。自分の人生がようやく始まるような気分でした」

家族の不安を置き去りにした独立

だが、独立の話を切り出したとき、妻は猛反対だった。

「今の安定した生活を捨てる意味がわからない」
「住宅ローンや子どもの教育費はどうするの?」

泣きながら止める妻に対し、石川さんは副業の売上推移のデータを見せ、「専業になれば今の倍は稼げる」「家族にもっと贅沢をさせられる」と説き伏せた。最終的には、石川さんが押し切る形で独立が決まった。

話し合いの末に交わした約束は2つあった。ひとつは、「絶対に会社員時代の手取り(月30万円強)を下回らないこと」。もうひとつは、「退職金を含む貯金約1000万円が半分の500万円を割ったら、未練なく事業を畳んで再就職すること」だった。

「今思えば、その約束をいちばん軽く見ていたのは、自分でした」

退職の日、同僚たちから「自分の力で稼いでいくなんて、本当にすごいですね」と羨望の眼差しで見送られたとき、石川さんは完全に“勝ち組”になったつもりでいたという。

好調だった事業を襲った急変

独立直後は、実際に順調だった。ピーク時には月商約150万円、手元に残る純利益は約50万円。会社員時代の給与を完全に超え、「やはり自分の判断は正しかった」と気が大きくなっていった。

だが、独立からわずか半年後、状況は一変する。

急激な円安の進行が、輸入ビジネスの利益率を直撃。
さらに、主力商品を扱っていた販売プラットフォームの規約変更で、検索アルゴリズムが変わり、それまで売れていた商品が一夜にして圏外へ追いやられた。

月50万円あった利益は、あっという間に消えた。規約変更後の月商は10万~15万円まで激減。それでも石川さんは、「まだいける」「これは一時的な調整だ」と自分に言い聞かせ、焦りに任せて仕入れだけは月50万円規模で続けた。結果として、手元に残る利益は毎月マイナス30万~40万円の赤字に転落。住宅ローン、食費、教育費といった家計の支出も含めると、毎月60万~70万円の現金が口座から消えていく状態になっていた。

自宅の空き部屋は、やがて売れない商品の段ボールで埋まり始めた。最初は「一時保管」のつもりだった在庫は、気づけば天井近くまで積み上がっていたという。

「部屋のドアを開けるたびに、胸がざわつきました。売上は立たないのに、カードの引き落としとローン返済の通知だけは毎月機械のようにやってくる。通帳残高が減っていくのを、ただ見るしかありませんでした」

退職金を含む約1000万円の貯金は、わずか1年半で底をついた。本来なら、500万円を割った時点で撤退する約束だった。
だが石川さんは、「次の月は持ち直す」「ここでやめたら今までの仕入れが無駄になる」と、自分に都合のいい言い訳を重ねて見て見ぬふりをした。

ついに通帳の残高が数万円になったのを見たとき、全身の血の気が引いたという。

「スマホの画面を持つ手が震えました。あれだけあったお金が、こんなに早く消えるなんて思っていませんでした」

半年で崩れた“勝ち組”の幻想

すがる思いで日本政策金融公庫から500万円を借りたが、それも焼け石に水だった。借りた金は、新たな利益を生む投資ではなく、目先の仕入れ代や生活費、各種支払いに消えていくだけ。状況は一向に好転しなかった。

そして、いよいよ生活費を家に入れられなくなったある晩、妻から一枚の紙を差し出された。

「あなたの『そのうち良くなる』は、もう聞き飽きた。これ以上、子どもの将来を壊さないで」

妻の目は冷たく、そこには以前のような信頼のかけらもなかった。「すまない、来月には……」という石川さんの言葉を遮るように、妻はこう言った。

「もういいの。明日、実家に帰るから」

数日後、ガランとしたリビングに残されたのは、石川さんと山積みの在庫、そして多額の借金だけだった。

「あのまま会社に残っていれば……と、何度も思いました」

毎月決まった日に給与が振り込まれるというセーフティネットが、どれほど強固なものだったか。
副業でたまたま時流に乗っただけの成功を、自分の実力だと過信した代償は、あまりにも大きかった。

今、石川さんは500万円の借金を返すため、昼夜問わず運送のアルバイトをして食いつないでいる。暗い国道を走りながら思い出すのは、かつての何気ない家族の食卓風景ばかりだという。

「手元に残ったのは、取り返しのつかない後悔と、売れる見込みのない商品の山でした」

<解説>副業成功と独立成功は別物だ

副業がうまくいった人ほど、「この延長線上に独立がある」と考えがちだ。だが、その判断がそのまま成功につながるとは限らない。財務コンサルタントの桜井潤一氏は、実務でもこのパターンは非常に多いと指摘する。

「一番多いのはこのパターンです。副業で月30万~50万円稼げるようになると、『これなら独立できる』と判断してしまう。ところが独立後に資金ショートする。理由はシンプルで、本業収入がなくなり、税金や社会保険の負担が増え、さらに集客や営業にかける時間も増えるからです」

会社員時代には、毎月決まった給与があるうえ、副業はあくまで“上乗せ”だった。だが独立後は、その土台そのものが消える。売上が同じでも、手元に残るお金は想像以上に少なくなるのだ。


桜井氏は、副業での成功は、本人の実力だけでなく、人脈やタイミング、会社員という安定した立場など、さまざまな「環境」に支えられている場合も多いと話す。

「副業の成功は、環境込みの成功であることが少なくありません。だから、それが独立後もそのまま再現できるとは限らない。副業は『環境込みの成功』、独立は『自力の勝負』だと考えるべきです」

では、住宅ローンや教育費を抱えた家庭が独立を考える場合、何を基準に判断すべきなのか。桜井氏は、感覚ではなく、撤退ラインと生活防衛資金を先に決めておくべきだと強調する。

「現実的な基準は明確です。生活防衛資金は6~12か月分、撤退ラインは『貯金が50%減る』、あるいは『6か月連続赤字』。さらに、本当に独立できるかを見るなら、副業収入だけで生活するテストを半年以上やってみるべきです」

加えて、固定費を下げてから独立すること、収入の再現性、つまり安定した顧客や継続的な売上の見込みがあるかを確認することも欠かせないという。

「独立は『いけそう』で決めるものではありません。前提になるのは、『崩れない設計』です」

石川さんの失敗は、夢を見たことそのものではない。うまくいっている時の数字を、そのまま未来の現実だと信じてしまったことにあるのだろう。

会社員を辞めるという決断は、自由を得る一歩であると同時に、家計の土台を自ら外す行為でもある。
だからこそ必要なのは勢いではなく、最悪の事態にも耐えられる設計図なのだ。

「会社を辞めれば年収1000万円なんて通過点」“過信”が招いた42歳管理職の破滅。貯金1000万円はわずか一年半で底をつき、夜間の運送バイトへ
桜井氏
桜井潤一
ユニバーサルバンク代表。財務コンサルタント。早稲田大学卒業後、大手銀行に24年間勤務。2020年株式会社ユニバーサルバンク設立。富裕層の資産運用から、数十億の法人融資まで1,000社以上の審査と支援を経験。「銀行を超えた銀行を創る」という思いから2020年独立、「株式会社ユニバーサルバンク」設立。3,000万円以上の自己投資をして起業初年度から年商1億5,000万円のビジネススクールを経営、提供するセミナーも6,000人以上が受講。「真に豊かな人生を送れる人を増やしたい」という想いから、財務×ビジネス×資産形成を融合したReal Wealth®︎プログラムを開発
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