9月27日放送の『アジア大会』(TBS系)女子100メートルハードル決勝で実況を担当した上村彩子アナウンサーに批判が殺到しています。

上村彩子アナ、ゴール直後に選手名を言い間違え

 ゴール後に、優勝した福部真子選手がリンパ節の疾患である”菊池病”と戦いながらの競技生活であることを紹介していたところ、「福部」と「菊池病」が混同され、「菊池真子」と名前を言い間違えてしまったのです。
 
 ネット上では、この大きなミスにつながる経緯として、そもそも上村アナが競技のスピードについていけていなかったから余裕がなかったのではないかと見る向きもあります。
 

 そうした中継全体の落ち着きのなさから、「何でも男女平等でやればいいわけではない」とか「性別によって仕事にも向き不向きがある」といったコメントに、多くの共感が集まりました。

 ハイライト動画を観ると、確かに通常のスポーツ中継よりも半テンポほど遅れて反応しているので、言葉の情報量が渋滞を起こし、その結果、慌ただしいゴール後の実況になってしまった感は否めません。

 その点を指摘されるのは、致し方ないところです。

「男性実況の付け焼き刃」になっていた違和感

 一方で視点を変えると、上村アナの実況スタイルは、男性がやっているものを、そのまま女性の声でやっているだけという違和感を覚えました。

 普段よりも太い声を出したり、硬い語句を使って、いわば直線的かつ鋭角的なフレージングを付け焼き刃でやっているぎこちなさがあったからです。そういうわけで、今回は上村アナの言い間違いで否定的な見解を示す声が多くあがってしまったわけです。

 しかし、この女性アナウンサーのスポーツ実況が抱える根本的なズレは、何一つ解決されないまま、今日まで来てしまいました。男性のプロトタイプを模倣させるだけのような、奇妙に野太い熱狂を、果たして女性アナウンサーの表現としても定着させるべきものなのでしょうか?

 そもそも、女性アナウンサーが日常的にスポーツ実況をするというカルチャーはまだ日本では根付いていません。それなのに、今回のアジア大会や箱根駅伝のようなビッグイベントとなると、急に女性アナウンサーが動員される。

 すると、実況のノウハウや、女性の先輩後輩同士の継承もおぼつかないところで、突然大きな注目を集めるスポーツイベントに放り込まれることになります。

 こうした現状があるなかで、「女性アナウンサーにはスポーツ実況は向かない」との指摘は果たして正当な主張だと言えるのでしょうか?

意外な先駆者がいた「女性ならではの実況」

 ネットの声が言うように、男性と女性の違いがあるのならば、女性の視点から、女性のスピード感と大局観でとらえるスポーツ中継があり得るはずです。

 たとえば、増田明美の細かすぎる解説は、その先駆けと言えるでしょう。時に批判されることはありますが、彼女の情報には、「人生はスポーツだけではない」というおおらかなメッセージがあります。
それは、熱狂と興奮をわかりやすく大きな声で訴える直情的な男性性とは明らかに異なる色彩を与えています。

 しかし、それは増田明美という個人のキャラに依存した飛び道具にとどまっているのも事実です。女性アナウンサーの実況が独自のスタイルを持つには、まだまだ機会が不十分な状況です。

 にもかかわらず、長年の伝統的な男性アナウンサーの基準によって、ごくたまにしか登場しない女性アナウンサーの実況が厳しく減点されることは、日本の放送にそれにふさわしい蓄積がないことの裏返しに過ぎません。

 このように、厳然たる男性のルールに女性を放り込んで「やはり女はダメだ」と言って溜飲を下げるように見えるネットの声は、あまり気分の良いものではありません。

 上村彩子アナウンサーの致命的なミスは、同時に時代の流れに対応しきれていないメディアの遅れも映し出しているのです。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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