社長でも党首でもないのに組織も世論も動かす存在。それが“ドン”だ。
彼らはいかにして頂点に君臨するのか。政界から裏社会、カルチャーまであらゆる場所に潜む“ドン”の正体に追るニュースを賑わせる“彼ら”の正体に迫る!

シーシャを“ジャパンスタイル”に

窪塚洋介とのエジプト旅行が転機に。「シーシャ業界のドン」と呼...の画像はこちら >>
都内ではスタバの店舗数を超えると言われるシーシャカフェ。そんな中東発のチルな文化を日本の若者に浸透させたのが「ノースヴィレッジ」を手がける北里洋平氏だ。都内某店オーナーも「中東では飲食店のメニューの一つだったシーシャを、専門店という“ジャパンスタイル”に変えて広めたのは北里さん」と、その功績を評価する。界隈で「シーシャ業界のドン」と囁かれる北里氏がその出合いを語る。

「脱サラして立ち上げた出版事業が鳴かず飛ばずの時期でした。起業2年目の’10年、自社刊行雑誌の企画で俳優の窪塚洋介さんと一緒にエジプトを周遊していたときのこと、早朝に窪塚さんが現地のレストランで『これ、エジプト発祥みたい。めちゃうまいよ』って、煙を燻らしていたのがシーシャでした」

北里氏は現地でそれを囲む人の姿に目を奪われたという。

「仲間と談笑しながら、昼夜を問わず1~2時間かけて吸っているんです。それだけの時間を昼夜つくれる人生って、ある意味日本人より豊かだなって」

来るのは新規のお客さんより警察のほうが多かった

すぐに機材を現地調達し、帰国後、数日と空けずに埼玉県の実家近くに店を開くも、周囲の反応は冷たかった。

「当時店に来るのは新規のお客さんより警察のほうが多いくらい(笑)。違法なものと思われていたでしょうね」

近隣からの度重なる通報で立ち退きを余儀なくされた彼は大胆な戦略に打って出る。

「見たことがないから怖がられるなら、トレンドに敏感な若者が集まる渋谷を“シーシャの街”にすればいいと思ったんです。’12年に宇田川町に出店してひたすらテレアポ営業。
携帯の電話帳と母校の卒アルを引っ張り出して片っ端から連絡して全員同じ時間に来させた。でも僕は当日、2時間くらい散歩して不在を装う。当然みんな僕を待つので店内は満席になる(笑)」

“本場”の人たちも通ってくれた

窪塚洋介とのエジプト旅行が転機に。「シーシャ業界のドン」と呼ばれる男が仕掛けた一大ブームの裏側
海を越えマチュ・ピチュ(ペルー)にも出店。「儲けは二の次。“ふざけた”挑戦をし続けたいんです」(北里氏)
集まった友人たちにシーシャの魅力を力説すれば3人に1人はまた来る自信があったと語る北里氏の見立ては的中。

「渋谷を中心に全国に計30店舗。今でこそシーシャ店は乱立してますが、当時から宇田川町・道玄坂近辺で言ったらコンビニ御三家よりもウチの店が多かった。その頃には日本人だけじゃなく県をまたいでアラブ系の“本場”の人たちも通ってくれてました」

こだわりはブームを作り続けること

北里氏がこだわるのがブームを作り続けることだ。全国で吸われる人気フレーバーも彼が持ち込んだものが多い。

「渋谷から日本中にシーシャが広がったのも根っこは同じ。一見理解されないことも、大人がマジで遊べば、根強いファンがつく。ファンがつけばブームが生まれ、今度は青春時代をノースで過ごしたキッズたちが大人になり、ウチをまねて仕掛ける側に回ってくれる。雪だるま式に波及するんです。このサイクルを生み出せるかどうかが世の中に流行を作るカギだと思います」

知見、情報、人脈すべてが先駆者に集まる。ブームを生む男がドンたるゆえんだ。


【実業家 北里洋平氏】
NORTH VILLAGE代表取締役社長。自伝家として著名人の書籍を手がける一方、日本のシーシャブームを牽引。国内外でシーシャ店を展開し、旅や遊びを仕事にする独自のスタイルを貫く。「面白そう」を嗅ぎ分け、出合いを仕事に変えてきた異色の経営者

※2026年10月21日号より

取材・文/週刊SPA!編集部

―[陰の権力者[ドン]大研究]―
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