巨人のV9時代、主に森昌彦(現祇晶)の控え捕手として黄金時代に貢献したのが吉田孝司氏(79)だ。長嶋茂雄さん(享年89)が75年から巨人監督として指揮を執った後は、正捕手としてミスターに仕え、76年の長嶋巨人初となるリーグVの原動力になった。
長嶋さんは「兄貴のような存在だった」と吉田氏は言う。「本当にかわいがってもらった。思い出は尽きないよ」。年齢は10歳離れていたが、「ヨシ!」と呼ばれたら一目散にはせ参じる。ミスターとは熱い、親しい間柄だった。
市神港から65年に巨人入団。思い出すのは入団2年目、後楽園で1軍の試合前、バッティングキャッチャーを務めたときの情景だ。
「今は専門のスタッフがいるけど、当時は多摩川での練習が終わってから、若手が電車で後楽園へ行くんだ。長嶋さんの打撃練習を真後ろで見られる。興奮したよね。とにかくスイングスピードが速い。
プロ5年目で1軍に定着すると、一気に距離は縮まった。強烈な記憶として残るのは名古屋遠征での深夜、旅館の大部屋での出来事だ。
「僕はまだ若手なので、大部屋。打撃投手とかスタッフと12人ぐらいで寝ていたんだ。チームの調子が悪い時で、中日とのナイターが終わった後。もう寝ようと夜中に電灯を消してね。そしたら、長嶋さんが入ってきたんです。その時は長嶋さんの調子も悪くて…」
深夜1時頃。
「『これだ、この振りなんだ!』って。そして去って行きましたよ。その姿が映画『夕陽のガンマン』のポスターみたいで。長嶋さんが去った後、僕らはみんなで『何なんだ!?』って大笑いしました。チームの悪い雰囲気を、変えたかったんだと思います。明るいムードになることを望んでの行動だったんでしょうね」
75年、第1期長嶋巨人がスタート。
「長嶋さんは現役の時、寒いのが嫌いで。雪が降ると『ヨシ、こういう日は野球なんてやるもんじゃない。家でこたつに入って、みかんでも食べるのが一番だよ』と言ってたんです。みんなそれを知っているから『終わりかな』と思っていたら、長嶋さんが『寒稽古やるぞ!』って練習続行を命じていました。監督として強く、たくましいチームを作りたかったんだろうね」
時は流れた。長嶋さんは監督を退任し、吉田氏は巨人のスカウトに転身した。親交は続いた。吉田氏は長嶋さんに会いに行くと、色紙を手渡し「洗心」「野球というスポーツは人生そのものだ」などと毛筆で書いてもらった。スカウトとしてお世話になった方への贈り物として、長嶋さんの色紙は絶大な効果があった。
「『監督、これでいい選手が獲れるんですよ』と話すと『そうなの~』ってね。感謝しかありませんよね」
吉田氏は今も大学生や高校生に指導を行い、自らの知見を伝えている。野球への恩返しになると信じて。
「長嶋さんと同じ時間を過ごせたことは、幸せでした。こうして話をしていると、後ろから『ヨシ!』って、呼ばれるような気になるんです。あの笑顔でね」
◆吉田 孝司(よしだ・たかし)1946年6月23日、兵庫県出身。79歳。市神港から65年に巨人入団。V9時代は2番手捕手を務め、プロ10年目から正捕手に。76年の球宴第3戦ではMVP。巨人一筋20年で84年に現役引退。通算954試合に出場し、打率2割3分5厘、42本塁打、199打点。