◆第107回全国高校野球選手権山口大会▽2回戦 宇部商10×―0小野田(14日・ユーピーアールスタジアム)

 山口では、春夏計19度の甲子園出場を誇る宇部商が6回コールドで快勝発進。同校が出場した1998年夏の甲子園で、延長15回サヨナラボークで敗れたエース左腕・藤田修平さん(43)を父に持つ、背番号1の琉平投手(3年)が4回無失点と快投した。

父と二人三脚で迎えた最後の夏、同校で20年ぶりとなる夏切符を奪う。

 雨にも負けず、鮮やかに投じた。宇部商の藤田は、初回先頭から2回2死まで圧巻の5者連続三振。その後もテンポ良く投げ、4回1安打無失点、7奪三振で役目を終えた。「内容に納得いかないところもあったけど、チームの勝利が優先。まずは勝ててよかった」。初戦突破にも、淡々とした表情で振り返った。

 スタンドで見守った父・修平さんは、98年夏に同校の左腕エースとして甲子園のマウンドに立った。しかし、豊田大谷(東愛知)との2回戦。2―2で迎えた延長15回無死満塁で痛恨のボーク。甲子園での“サヨナラボーク”は後にも先にもこれだけだが、藤田は誇りに感じている。「小さい頃から(父が)すごいとは分かっていたけど、宇部商に入ってより知ることがある」。

同校に進学して感じたのは、父の偉大さだった。

 1年秋、修平さんが同校の外部コーチに就任。小中に続き、選手とコーチの間柄になった。「エラーしたときにどう投手が助けるかとか、感情にあまり出すなとか。技術面よりは精神面をずっと言われてきた」。昨秋は背番号1をつけたが、今春は11だった。ただ、「1を付けていた有吉(戴樹)がけがをしてしまって。その間、マウンドを守り続けたのが藤田だった」と松尾貢史監督(48)。最後の夏、エースナンバーを奪い返した。

 5歳の頃、父が作家・重松清氏と対談する番組企画で初めて甲子園を訪れた。誰もいない静かな聖地だった。「ここでお父さん、投げたんだよ」。

ゲームが好きだった少年は後日、「野球がしたい」とグラブを手に取った。「エースというのは誰しもが憧れるもの、小さいときから1にこだわってやってきた」と藤田。父から子へと受け継がれた宇部商の背番号「1」。夏は05年以来、20年ぶりとなる大舞台へ道を切り開く。(瀬川 楓花)

 ◆藤田 琉平(ふじた りゅうへい)2007年7月9日、山口・宇部市生まれ。18歳。原小3年から野球を始め、黒石中では軟式野球部に所属。宇部商では1年の秋からベンチ入り。最速137キロ。176センチ、72キロ。右投右打。

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