関東圏の大学野球リーグに進んだ道産子たちの「今」を紹介する「白球を追う」。今回は札幌市出身で、京都国際高から東京新大学リーグ・創価大に進んだ小林春輝内野手(2年)。
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小林が白球を追う先は、どこも暑かった。練習が始まった東京・八王子の創価大グラウンドは、午前6時ながら30度に迫る猛暑だ。したたる汗もそのままにノックを受けてバットを振り「高校時代の京都も暑かったので」と笑った。京都、八王子に共通するのは盆地特有のこもる暑さ。当初はこたえたが、札幌を離れて5年がたち、やっと順応してきた。
「小学生の頃から守備は抜群で、フットワークが軽快。黙々と野球に打ち込む子でした」と評すのは、日本ハムファイターズジュニア時代の監督で、現在も創価大で指導する元巨人内野手の高口隆行コーチ(41)だ。今春のリーグ戦は当初、代走での出番しかなかったが、負傷した遊撃手に代わって出場したチャンスに正確な犠打と堅い守備が認められ「2番・三塁」の定位置をつかんだ。
今秋ドラフト1位候補の3番・立石正広主将(4年)につなぐ存在となり、リーグ優勝に貢献。「役割を果たせたかな」と自信をつかんだ。
大学野球で通じる芯の強さが培われたのは、新琴似リトルシニア時代だ。指導歴約40年の生嶋宏治監督(64)は、とにかく厳しかった。野球を通じた人間教育を目指す指揮官からいつも言われた言葉は「何事も必死こいてやれ」。昭和の香りがするゲキは、日々の練習だけでなく生活全般にまで及んだ。「鍛えられたのはメンタルですかね。手を抜けない。その厳しさが今にも生きていると思います」。自主性に委ねられる大学に来ても、教えは染みついている。
実家は水産加工業を営んでいる。
(甲斐 毅彦)
◆小林 春輝(こばやし・はるき)2005年4月18日、札幌市生まれ。20歳。八軒小2年から野球を始め、6年時は日本ハムファイターズジュニア入り。八軒東中時代は新琴似リトルシニアで全国大会を経験。京都国際高で2年夏の甲子園出場。創価大ではリーグ戦通算8試合に出場し打率3割6分、1打点、3盗塁。理想の選手は創価大OBの巨人・門脇誠。