長嶋茂雄さん(享年89)の2学年下で、巨人で7年間一緒にプレーし、1993年からの第2次政権ではヘッドコーチを務めるなどさまざまな“顔”を見てきたのが須藤豊さん(88)。90~92年の大洋(現DeNA)監督時代には、長男・一茂獲得を巡る秘話があった。
現役時代、芦屋の宿舎では長嶋さんと、名古屋では3歳下の王貞治さんと、広島ではどちらか調子の悪い方と同室だったという須藤さん。調子の悪い方とは?
「その時の調子ですね。部屋が一緒だからといって何を話すわけでもないんだよ。調子が悪いと、話は弾まないでしょ。ただ2人の世間話に相づちを打つだけ。そんな役目だったかな」
気心知れたONにヤジ将軍としても遠慮なく叱咤(しった)激励の声を飛ばすのが川上哲治監督から与えられた仕事でもあった。2人が監督になってからもコーチとして仕えている。思い出は数限りない。大洋の監督時代には、長嶋さんとの忘れられない一幕がある。
「大洋の監督をしていた92年の4月ですよ。横浜球場で、もうすぐナイターが始まるという時にミスターが突然、やってきた。監督室の前に立ってるんだもん、ビックリですよ。
一茂は87年ドラフト1位でヤクルトに入団したが、野村克也監督との折り合いが悪く、92年4月に野球留学という形で渡米していた。
「右打者はすごく欲しいチーム事情だったし、ノムさんの扱い方にも疑問を持っていた。一茂のことも何とかしてやりたかったから、『分かった』とすぐに球団フロントに伝えましたよ」
トレードの交渉が水面下で始まった。その際に、須藤さんは前年15勝を挙げた左腕・野村弘樹と主軸の高木豊だけは出せない、それ以外の選手で交渉に当たってほしいとも伝えたのだが…。
「ノムさんの返事は野村の一択。野村以外はダメだと言うことだった。それでは交渉は進まない。ご破算に終わってしまったね」
92年5月に成績不振で休養し同年限りで大洋を退団した須藤さん。大洋・一茂誕生は幻となった。同年オフ、監督復帰が決まった長嶋さんからヘッドコーチの就任要請があり、再びユニホームを共にすることになる。そして一茂も金銭トレードで巨人入りが決まり、宮崎キャンプを迎えた。
「一茂にサードのノックをしたんですよ。ちょっとヒザの位置が高いんだけれど、目線は上下しないから安定しているし、スローイングもいい。『なかなか、いいじゃない』とミスターに言ったら『いや、ヒザが硬いな』って。『あなたのような柔らかさは、誰も持ってませんよ』と返したら『エヘヘ』とうれしそうで」
出場機会を増やすため続いて外野も試してみようということになった。
「フェンスを怖がってしまってね。それに球際にも強くなかった。『これは無理だな、外野はあきらめて、サードで行きましょう』って言ったんですよ。そしたら、ミスター、急に機嫌が悪くなって、何の返事もしない。監督とコーチとして何度も何度も話をしましたよ。意見が合わないことも、もちろんたくさんあった。でも、ああいう、すねたような態度は初めてだったんじゃないかなあ…」
これもまた、長嶋さんがグラウンドでは見せることのない“親の顔”だったのだろう。
◆須藤 豊(すどう・ゆたか)1937年4月21日、高知生まれ。