◆世界陸上 第1日(13日、国立競技場)
最初の種目の男女35キロ競歩が行われ、男子では勝木隼人(34)=自衛隊体育学校=が2時間29分16秒で日本勢メダル1号に輝いた。元長距離ランナーだった勝木は2009年に箱根駅伝出場を目指して東海大に入学したが、2年時に競歩に転向した。
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技術的な指導は、競歩担当コーチがしていましたが、当時、同じ中長距離競歩ブロックでしたので、勝木はとても印象に残っている選手です。
「やる気・元気・勝木」などと言われてますが、実は、そんなキャラではありません。不死鳥のような男です。どんな困難があっても絶対に諦めない不死鳥です。
福岡の武蔵台高校から一般受験で入学しました。高校時代の5000メートル自己ベスト記録は16分台でしたが、同世代トップクラスで5000メートル13分台だった村沢明伸(長野・佐久長聖)、早川翼(福井・美方)と一緒に箱根駅伝を走りたい、という強い意志を持って東海大を選んだ、と聞きました。持ち前の根性と努力で頑張っていたということです。朝練習の集合前に、自主練習で20キロを走っていたという伝説もあります。
しかし、結局、練習をやり過ぎて、故障の連続。2年生になり、マネジャーをやりながら競歩を掛け持ちで始めたということです。競歩で関東インカレに出たら意外と成績が良く、「今後、関東インカレの得点源になる」と周囲に認められて、それならばと、他の選手がマネージャーに名乗りを上げて、競歩に専念することになりました。
勝木が3年時に私は東海大の駅伝監督に就任しました。大学の4年間は寮外生でアパート生活でしたが、より競技に時間を使えるように4年時は私の判断で、長距離選手の寮で朝晩の食事を食べてもらうようにしました。
いつも(東海大)湘南キャンパス内で、黙々と歩いていました。「今日もまたか」と思うほど毎日、毎日歩いていました。それも明るい表情で楽しげに。「人には適性がある」とつくづく感じました。彼の真似は誰も出来ないでしょう。
卒業後は競技を続けたかったのですが、実業団などの受け入れ先がなく、地元の福岡でコンビニ店員として働きながら、1人で競技続行し、その年の国体に優勝して、自衛隊体育学校に入ることができました。彼の価値観は競技で自分をとことん成長させること。学歴や就職といった一般人の価値観は彼にはありません。
今年の3月、勝木が東京世界陸上代表に内定した後、祝福と激励のメッセージを送りました。
「センターポールに日の丸を!」という私のメッセージに対して「はい! 絶対に掲げられるように力をつけます!」という返信がありました。
日本開催の世界陸上で、銅メダルは見事です。東海大の後輩たちに強い刺激を与えてくれました。10月には箱根駅伝予選会を控える駅伝チームにとっても励みになります。ありがとう。
おめでとう。心から祝福します。
でも、勝木は、この結果に心からは満足していないはず。次の27年の世界陸上、28年の五輪では「センターポールに日の丸」を実現するために、ひたすらに歩き続けるでしょう。勝木は、そういう男です。(東海大陸上競技部駅伝監督)