「サラリーマン専科」や「タンマ君」など、サラリーマンの哀歓を描いた漫画や軽妙な食のエッセーなどで知られた、漫画家の東海林さだお(しょうじ・さだお、本名・庄司禎雄=しょうじ・さだお)さんが5日午前、心不全のため都内の病院で死去していたことが15日、分かった。88歳だった。

 東海林さんの代表作の一つが、「週刊現代」で半世紀以上連載され、三宅裕司主演で映画化もされた「サラリーマン専科」。だが、東海林さんにサラリーマンの経験はない。漫画を描くのが大好きで中学生の時から漫画家を目指し、早大では漫画研究会を創設。中退後に趣味を仕事にしてしまったからだ。

 では、「―専科」はどうやって描いたのか。2019年のインタビューでは「すべて空想です。『サラリーマンは皆、大変なんだろうな~』とか思いながら描いています」とする一方、「人間の心理は普遍性があるので想像がつく。ただ『サラリーマンをやったことがないから描ける』と言われることもありました。客観できるから描けるというのはあるかもしれません」とも答えていた。同時に、都内近郊の自宅と23区内の仕事場を往復する際には、世の中のサラリーマンの姿をひたすら観察していたという。

 想像力と観察力は、子供の頃から旺盛だった。「5、6歳の頃、縁側に腹ばいになって地面のアリを見ていると、近くにアリジゴクの巣があった。

『いつ、そこにアリが落ちるのかな…』と半日くらい見ているが、なかなか落ちないんですよ、これが」。これは、東海林さんが「ヒマつぶしの作法」という本を出した時に聞いた「暇つぶしの思い出」だ。幼いことから備わっていた、何もやることがない時間を”有意義”なものに変えてしまう素質が、作品への原動力だった。

 東海林さんはその時、暇つぶしの極意について「角度を変えてみること、面白がるということ。そのためには心の余裕、幅が必要。日々の生活をパターン化させないことですね」と話していた。漫画を描くことを仕事だと思わずに、自らが発見した世の中のクスリとさせられる出来事を、特別の立場ではない、市井の人々に仮託して伝える―。東海林さんの「壮大な暇つぶし」が、数々の長期連載作品を生み出した。(高柳 哲人)

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