ラッパーにしてラジオDJ、そして映画評論もするライムスター宇多丸が、ランダムに最新映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論するのが、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」の人気コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」(金曜18時30分から)。
ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン。このコーナーでは前の週にランダムに決まった課題映画を私、宇多丸が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分以上に渡って語り下ろすという映画評論コーナーです。それでは、今夜評論する映画は、こちら! 『未来のミライ』!
(山下達郎『ミライのテーマ』が流れる)
山下達郎さんのこの主題歌、『サマーウォーズ』以来、細田さんの作品に付きますけども、最初と最後に違う曲が付くのははじめてですよね。珍しいね。アニメ版『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』などの細田守監督が原作、脚本、監督を務めたアニメーション映画。
甘えん坊の4歳の男の子くんちゃんは生まれたばかりの妹・ミライと仲良くできず、両親を困らせてばかり。そんなくんちゃんの前にある日、少女が現れる。声の出演は上白石萌歌さん、黒木華さん、麻生久美子さん。そしてTBSラジオの人気リスナー・スーパースケベタイムこと星野源さん。あと、神田松之丞さんなんかもね、声を当てております。
ということで、この『未来のミライ』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は多め。まあ、そうですかね。注目度は高いでしょうからね。細田監督作品。ただ、賛否の比率が今回、褒め(賛)のメールが3割、否定的なメールが4割、そして普通が3割といった感じで、賛否両論というか、まあ世評的にも今回は否が多めなムード。ちょっと多めな感じですよね。
『未来のミライ』、多かった否定的な意見としては「予告を見てストレートな冒険ものを期待していたので肩透かしを食らった」「演出は素晴らしいが、物語が追いついていない」「くんちゃん好きくない」「説明ゼリフが多すぎてうんざり」とかですね。主な褒める意見としては「想像と違った。けど、見終わった後に自分を形づくる様々な奇跡に思いを馳せ、しみじみと感動しました」「くんちゃんに感情移入しすぎて最後は大泣きしてしまった」「全く予定調和ではない、ほとんどカルト映画のような展開に細田守のすごみを感じた」といったところがございました。
■「自分の周りの様々な人たちの偶然や奇跡の結果が自分につながっている」(byリスナー)
ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。
一方、ダメだったという方。ラジオネーム「ギムー」さん。「『未来のミライ』ですが個人的にはあまり楽しめませんでした。私は『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』で細田監督のファンになり、『サマーウォーズ』や『バケモノの子』は見るたびに号泣してしまうぐらい監督の持つ世界観やキャラクターたちが大好きです。しかし、今回はそのキャラクターや世界観を楽しむにはノイズがあまりにも多すぎました。たとえばくんちゃんの声が女の子にしか聞こえない点や、未来のミライちゃんが出てくることの必然性が『妹を受け入れる』という部分にしか意味を持たない点などです。
世界観についてもゆっこ(犬)が人間になってる説明がない点や、過去や未来に行ける理由が後付けなのに最後に突然明かされ、木もくんちゃん一族に関わりがあるとは思えない点などです。
■作家主義的な癖の強い細田作品、好き嫌いは当然分かれる
ということで『未来のミライ』、私も新宿ピカデリーとバルト9で、2回見てまいりました。細田守さんの説明、どうですかね? もういいかな? 夏と言えばもう細田作品、というイメージが一般にもかなり定着しているぐらい、明らかに現在の日本アニメーションを代表する監督、ヒットメーカー。であると同時に、毎作毎作、割と激烈な否定的反応も一定量巻き起こすことにもなっている、という細田守さんですね。なんですが、またたしかにですすね、細田さんの特に劇場用長編作品は、実は毎回、「えっ、なにその変な話?」っていうような、チャレンジングな題材、ストーリーテリングに挑んでいる。
そこにはもちろん細田さんなりの、いまの社会とか、あるいはアニメーション作品のあり方というものに対する、その時その時の問題意識が込められていたりもするわけですけどね。たとえば今回だったら、ちゃんと「子供」を描こう、「動物」を描こうという、細田さんなりの問題意識があるわけですけども。だからこそ、賛否が分かれがちなのもある意味当然なんですよね。細田さん作品はね。
と、同時にですね、この規模で製作・公開される作品の作り手としては、ちょっと異例なほどに、やっぱり細田さん自身が実人生での経験を通して感じたこと、考えていることが、リアルタイムで直接、作品のあり方に反映されるというですね。
なので、たとえば今回の『未来のミライ』などは特にそうなんですけど、それこそ実は大変近しいテーマを扱っているとも言える、日本では今年3月に公開されました、アメリカ製の3DCGアニメーション映画『ボス・ベイビー』っていうのがありましたね。あれはあれで非常によく出来た、最高な作品でしたけど、あれと比べると本当に対照的。当然のごとく、誰もがコミットしやすいエンターテインメントとして諸々のチューニング、調整が何重にもされまくった『ボス・ベイビー』に対して……たから『ボス・ベイビー』を見たら多分、満足度はみんな平均的には高いはずなんですよね。
だから『未来のミライ』を見て「つまんない」っていう人はぜひ、『ボス・ベイビー』を見ていただければ、っていうのはあると思うんだけど。『未来のミライ』がいかに作家主義的な、「攻めた」作品であるかっていうのは……つまりイコール、好き嫌いが分かれてもある種仕方ないタイプの作品であるか、っていうのがよく分かると思います。
■人間の感情ムキ出しの「くんちゃん」が好きか嫌いかでまず評価が分かれる
まず『未来のミライ』、何がもっとも攻めているか?っていうと、これはあちこちのインタビューで細田監督自身が語られていることでもありますが、4歳の男の子が主人公。で、彼の視点で基本話が進んでいく、という点ではないかと思いますね。まあ監督曰く、同じ4歳でも、女の子、女児はもうかなり大人になっているので、男の子がちょうどいいという。
そして4歳の男の子が主人公の作品ってのは、アニメ、もしくは映画の歴史を通しても、たぶんないと思う、かなり珍しいはず、という風におっしゃっている。ちなみに『崖の上のポニョ』の宗介くんっていうキャラクター。
ということで、まあ主人公くんちゃんは、ほぼ全編に渡って、人間のむき出しの感情や欲望を、基本ノーブレーキで発散しまくる、というキャラクターなわけですね。ここまで面倒くせえ状態が続く主人公っていうのもたしかになかなかいないと思うんだけど(笑)。で、ここを「面白い! かわいい!」と思えるか、あるいは、これはたとえば番組コンサルタントとして参加していただいてます妹尾匡夫さん、せのちんさんとかは、残念ながら「このクソガキ!」っていう風にやっぱり、拒否反応を感じてしまったという。これでやっぱり、まずはちょっと評価が分かれる、というのは当然あると思いますけど。
僕はというと、僕はもちろん自分の子供も、あと兄弟もいませんけど。実はかなり身近に、ほとんどくんちゃんそのまんまなエピソードを持つというか、ほとんどくんちゃんそのまんまな子、というか人。
■くんちゃんの一挙手一投足に宿るアニメーション的快楽
まあグズるところもそうですし、なんて言うんですかね? 安請け合い的な「うん! うん!」っていうあの機械的な繰り返しとか。これをやる時は確実にダメみたいな(笑)。あの感じとかも含めて、全編の様々なディテールで、僕は声を出して笑っちゃったんですけど。これ、声を当ててらっしゃる上白石萌歌さん。この声が、子供に聞こえない、というような意見ね、まあちょいちょいあるようですけど。それを言ったらね、(『クレヨンしんちゃん』の)しんのすけの声が(本物同然の)子供に聞こえるのか? とかいろんな問題ありますけど。
僕は、この役柄に、本当の子供の声そのまんまを当てたらじゃあどうなるのか?っていうのを想像すると……子供の声そのままを使うよりも、さっき言ったように今回のくんちゃん役の役割は、「人間~オトナの原型としての4歳男児」というニュアンス。つまり、グズるにしても、単に動物的というか反射的にやっているのではなくて、大人とも完全に通じる動機、我々とも完全に通じる感情や意志があってのグズりなんだ、というニュアンスが含まれている、この上白石萌歌さんの声の方が、少なくともこの『未来のミライ』という作品にとっては、チューニングとして合ってるという風に思いました。僕はすごく合ってると思いましたけどね。
あとは何よりもやっぱり、くんちゃんの一挙手一投足に宿る、まさにアニメーション的快楽、っていうことですね。ここが本当に今回のキモで。逆に言うとここが味わえないと、そんなに面白くないっていうのも、それはしょうがないかもしれない。たとえば、階段を片足ずつ一段一段降りていくあのアクション。あれ、だって他の(アニメ)映画で見たことあります?(※宇多丸補足:後のほうでも出てきますが、本作最大の参照元のひとつであろう『となりのトトロ』に類似の描写がありましたね! ちなみにあちらは4歳女児)。とかね、あと汚れた手をお尻で拭い、そのまま鼻をほじる仕草とか。あとは、見知らぬ大人に話しかけられてドギマギする時の、あの足さばき。こうやって「うーんとね、うーんとね……」ってやる時の足さばきとか、全てが……もちろん、現実のその4歳児の動きっていうのを、監督のお子さんを連れてきてやったらしいですけど。それをトレースはしてるんだけど……現実をアニメーションに置き換える。アニメーションで現実を読み解き直すことで生じる、現実以上のリアルさとか生々しさ。まさにアニメならではのマジック、快感を生み出している、ということなんですよね。
■絵巻的な手法を感じさせるカメラのパン
で、もちろんそこに加えてですね、細田守作品ならではの、大胆かつ精細なテクニック。今回も実はいつも以上に炸裂していたんです。全編に渡ってもう、テクニック炸裂していて。たとえば、個人的には毎回細田守作品を見てて、「ああっ、これこれ! もうこれが細田守作品の醍醐味だ!」っていちばん感じる部分。いちばんのキモだと思うのは、カメラを左右にスーッと振る、パンの使い方。これがやっぱり細田作品のキモなわけですよ。要するに「一枚絵で見せていく」と言い換えてもいいですけどもね。たとえば、『おおかみこどもの雨と雪』の、教室前の廊下を、パンを繰り返していくことで年月の移り変わり、そしてキャラクターの変化を示していくあの場面とか。あとは『バケモノの子』の、図書館前で、なんかちょっと悪い子たちに絡まれるところの、あの肝心のところは見せずにパンしていく、あのような効果だと思ってください。あのような演出。
で、今回はもちろん、得意のいつもの左右(のパン)、左右はもちろんいつも使っているんですけど、今回は上下もやりますね。家の中の(描写で)ね、上と下でもやりますし。あと、ひいおじいさんのエピソードのところ、最後の方で出てくる、斜めのパンというか、さっき言った同一画面の(なかで斜めに)カメラを振ることで(情景描写を)やる。しかも細田作品の場合は、場面によってはパンしたその先に、また同じ人物がいる……つまり、それで時間経過を示す、という演出を多々やるわけです。これは完全に、絵巻的な手法ですね。日本画における絵巻的な手法。まさに細田アニメの真骨頂といえる演出なわけですよ。他の作品でこれ、見たことあります?っていう感じですよね。俺、見たことないです。
なので「ああっ、細田さん! 出た、十八番来た!」っていう感じなんですけど、今回はそれがさらに、縦横無尽に駆使されている。で、まさに彼の、高畑勲イズムの正統後継者というような感じもするそのイズム、細田作品のそうした手法的特徴。たとえば、やはり毎度非常に効果的に使われている「同ポジ」使い。同じ画角の、同じポジションの絵を繰り返す……しかしその繰り返しの中に生じる変化、というのを見せていく。非常にまあ、映画的と言える手法ですね。
その使い方なども含めて、それを美術史と絡めて語るという本が……なんとこの番組でもおなじみ東京国立博物館の研究員、松嶋雅人さんによる『細田守 ミライをひらく創作のひみつ』という、美術出版社から出ている本があって、この本が詳しく分析をしているので。さすが松嶋さん。これ、ぜひ松嶋さんの、鋭い目利きの目を通した細田作品の読み解きが……これたぶん、細田作品をナメている人はぜひ、これを読んでほしい。良著です、これは。『デジモンアドベンチャー』本以来の、細田守研究書の、最良の書です。ぜひこれを読んでいただきたいと思います。
■本棚、洋服、息、バナナ。細部に行き届いたディテールの妙
あと、これも毎回細田作品は細かくこだわっていますけど、たとえば本棚。「ブック演出」ですね。本棚に置かれた、本の演出を含めた、美術の素晴らしさとか。あるいは、伊賀大介さんによるスタイリング。服装、着ているものによる演出、キャラクター描写であるとか。あるいはもちろん、フード描写ですね。これ、『ダ・ヴィンチ』に載っている福田里香さんの読み解きが本当にすごくて。最初のくんちゃんが登場した時の、窓に……ただ窓から覗く、という場面でもよかろうものを、息を吹きかけてそれを拭き取る、という。その「息」という水蒸気、水を使った演出が今回はキモなんだ、という読み解き。さらにはラスト近くの、「バナナ」を使って成長を描くその演出の見事さ、という読み解きが本当に素晴らしいので。これ、福田里香さんの『ダ・ヴィンチ』の原稿、これも読んでいただきたいんですが。
とにかくそういった感じで、アニメーションとしての基本的レベルの異常な高さっていうのは、もはや前提としていろいろみなさん、見ていただきたい、語っていただきたいというのはありますね。ただですね、とにかくそういう感じで、いつも以上にそうしたディテールやアニメーション描写の豊かさを味わい尽くしてナンボ、の一作ではあるわけです。言い換えると、「アニメーション味わいリテラシー能力」がちょっと高めに必要とされる作品ではあって。そういうところをすっ飛ばして「話がどうこう」って言い出すと、やっぱり「つまんない」っていう感想は出てきやすい作品ではあるな、と思います。実際に大きなことは何も起きない。特に、現実に起きている大きなことはほとんどない作品ではありますね。
全てくんちゃんの、ある意味内側で起こってることなんで。これはくんちゃんの、なんて言うのかな、4歳児のセルフセラピーの話でもあるので。外側的には、実際には何も起こっていない話なんですね。4歳男児、さっきも言ったように自他の区別がつかない、「自分イコール世界」なわけですよ。赤ちゃんに近い。だから、たとえば最初の方で、「おもちゃ、片付けてね」「うん! うん!」って言うんだけど、何もわかってない。そうやって自分の欲望のおもむくままに過ごして、いままでは何の問題もなかったくんちゃんが、「他者」、まずはいちばん身近な他者である「家族」というね、それぞれの視点とか立場に、はじめて触れていく。「理解」とは言わない、はじめて触れていく。そして、最終的にはその他者との関わり合い、他者との距離感の取り方っていうのを通じて、「じゃあ、それを見ている自分とは何なのか?」という風なものを自ら問い直さざるを得なくなる、という、まあそういう話。
■素朴な「憧れ」から「経験と成長の軌跡」へ。細田作品は「線」で見ると分かりやすい
そしてそれらが、現実と空想、幻想がシームレスに、ないまぜになった、まさに4歳男児から見た世界……「雪が降る」というワンダーも、なんか得体の知れない赤ちゃんが来るというワンダーも、そして頭の中の想像のワンダーも、全部ないまぜになった、4歳時から見た世界のワンダーとして……要は、かならずしも理にストンと落ちるとは限らないかたちで出てくる。これ、童話ではよくある感じですね。たとえばロアルド・ダールの童話とかを読めばまあ、大体こういう感じ、よくあります。そういう感じで、全5話のショートストーリー、オムニバスとして語られていく。ということで、たしかに先ほど(のリスナーメールに)もあったように、直線的なストーリーテリングではないんですけど。あえて言えば、アニメで近いのはやっぱり、これ今回、監督もかなり意識されてたと思いますが、『となりのトトロ』ですよね。やっぱりね。5幕構成っていうこと自体が、そもそも『となりのトトロ』を相当意識している、ということなので。
ということで、基本この5幕構成の中で、特に前半は基本、しょうもないギャグとか笑いの連発で……僕はやっぱり、細田さんのしょうもないギャグが大好きなので(笑)。あの、本当に単純に、面白い顔を見せるとか、息を止める(しかない状況で笑わせる)とか、意外とシモネタも多い、とかね。非常に好きなんですけど。笑ってしまいましたけど……特にこれ、5話オムニバスのうちの、2話目のお雛様を片付けるやつは、非常にサスペンス性もあるし、誰もが楽しみやすいと思うんだけど、1話目が、ある種いちばんぶっ飛んだというか、ほとんどビザールと言っていいような味わいを持つエピソードなんですよね。まあ犬のしっぽを取って、お尻にガチャーン!って差して、「ウィーーーン!(エクスタシーッ!)」ってなって(笑)。えっ、なにこの話?ってなるところだから、いきなり面食らってしまって、気分的に脱落してしまった人もここ、多かったんじゃないかな?っていうね。いちばん最初に変な話を持ってきているから。そういう気もするんですけども。
ともあれ主人公のくんちゃんは、まあその「家族の他者性」とでも言ったものにはじめて触れることで、転じて「自己」の確立、成長へ向かっていく。それと同時にこの『未来のミライ』という作品が面白いのは、その他の家族、特にもちろんやっぱり、両親ですね。父親、母親それぞれもまた、なんとかして自らと家族の関係を再構築しようとしている。つまり、改めて「そして家族になる」っていうことをしようとして、悪戦苦闘しているという、この部分ですね。これ、たとえば細田守監督作品で言うと、いまや夏の定番作品ということになっているみたいですけど、『サマーウォーズ』が、細田さんなりの大家族への憧れとか驚きとか……。
あるいは、『おおかみこども』が、子供を産み育てるということへの、細田さんなりの、その時その時の一種素朴な感動、憧れというものから作られていたのに対して……まあだからこそ、たとえば『サマーウォーズ』『おおかみこども』はある種、分かりやすい心地よさとかポピュラリティーがある一方で、やっぱりその、素朴な感動、憧れで作っちゃっているから、「おいおい、子育てってそんなもんじゃないよ!」「家族とか田舎ってそういうもんじゃないよ!」っていうような、一部にはやっぱり強い拒否反応も生みやすい作品であったという、その両面があるわけですけどね。
それに対して今回の『未来のミライ』は、途中に血縁ではない家族のあり方、絆のあり方っていうのを描いた『バケモノの子』というのを挟んで、実際にその細田さん自身が二児の父となったいまならではの……家族のあり方というものを、要するに日本全体がというか、地球全体ですかね、家族のあり方というものを模索するところからもう1回始め直すしかない、いまの社会というのにふさわしい問題意識へと、まあ細田さんが自身が学習と成長を続けてきたその軌跡、とも言えるわけですよ。なので、その意味でやはり、最初にも言ったように、非常に作家主義的な作品群なので、「点」で見るよりはやっぱり「線」で見ると、より立ち位置というものがわかりやすい一作であるのは間違いないと思いますね。
■寓話だからこそ、あの「家」のデザインは必要
ともあれ、たとえばそういう風に考えると、あの、非常に変わった作りの家が舞台となりますけども。まあ、おとうさんが建築家だから、っていう一応の理屈付けはあるけども。あれがね、「なんであんな家なんだ?」っていう風に思う人もいるみたいですけど、「新しい家族のあり方」を模索する時代の話、寓話なんだから、逆によくある「リアルな」間取りのマンションとかが舞台だったら、しっくりこないわけです。寓話性が際立たないわけです。ということで、この舞台立てっていうものにも理屈はあるし。ただ、個人的には、クライマックスで、それこそ「理に落ちる」説明……ファミリーツリーのインデックスが云々、みたいな「理に落ちる」SF的な説明とか、ほとんどやはり、テーマそのものに近いようなことを直接登場人物がセリフとしてしゃべり出してしまう、というあたりがちょっと、スマートではないという風に感じられる上に、逆にこの映画全体を、飲み込みづらくしているようにも感じました。
つまり、全体としては童話的な、理に必ずしも落ちない話としてずっとここまで来たのに、最後にいきなり、無理に理に落とそうとしたために、そこに齟齬が生じて。「えっ、じゃあいままでのはどう感じればいいわけ?」と感じてしまう、という風な作りになっちゃってるかなとも思いました。それでも前作『バケモノの子』と比べれば、説明ゼリフ、説明的描写は大幅に減りました。っていうか、今回は僕、むしろほとんどないと思っています。最後の方以外は。なぜなら、(メインの視点が)4歳だから! 説明できないから、みたいな感じになってたと思いますね。
■賛否はともかく、「もっとも先に進んだ」一作
本作が、細田作品の中でいちばんの人気作でないのは仕方ないと思いますし、監督自身もそこは覚悟の上、の一作じゃないでしょうか。ただ、細田監督のフィルモグラフィー史上、やはり「もっとも先に進んだ」一作なのは間違いないと思いますし、僕個人はやはり、くんちゃん大好きになってしまったので。頭ごなしにけなされると若干イラッとするぐらいには(笑)大好きな作品になりました。僕は『バケモノの子』の、特に後半、クライマックスの大混乱と比べると、かなり今回は、作品として狙いどころを正確に……賛否が分かれることも含めて、狙いどころをちゃんと正確に射抜いてる作品だ、という風に思いました。
世評はともかく……あと、だから先ほど言ったように、細田さん自身のモードの変化もあるので、いままでの細田作品がちょっと受け付けなかったとか、あんまり好きじゃなかった人ほど、逆に今回は受け入れやすい余地があったりしないかな?というのも、これはあくまでも想像ですが、思ったりします。すいませんね。声優のみなさんのお話もしたかった。星野源くん、やっぱり上手いですね。非常にハマっているなとか、神田松之丞さん、怖い声を出すなとか、いろんなこと言いたかったんですけどね。とにかく、世評はともかく、ぜひご自分の目でリアルタイムで、この現代を代表するアニメーション作家の作品をウォッチしてください。
(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。