TBSラジオからお送りしている「東京ポッド許可局」。
マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオが6月3日の放送で話し合っていたテーマがコチラ。
マキタ:「性格」って言葉があるじゃないですか。「性質(タチ)」とも言いましょうか。そういうものがあるという前提なんですけど、本当にその性格とか性質って直るんだろうか?と。
タツオ:なかなか難しいと思うけどね。
マキタ:例えば待ち合わせ場所に必ず遅刻してくる。これをタチで許してはダメだと思うんです。直す方がいい。それとは違って、そもそも人間というものは右肩上がりに性格が上昇して直していけるというような、なんとなく良くなっていくべきだみたいなの……基本的にその方がいいじゃないですか。

鹿島 :うん。日々成長していく、進歩していくっていうね。
マキタ:というのが前提としてはあると思うんですけど。本当にそうかね?とも思うんですよ。
タツオ:自己啓発とダイエットは売れ続けますよね。
鹿島 :できない人が多いからっていうことでしょう?
マキタ:そう。性格とかタチが直らないから売れてる。本当に性格とかタチって直るものなの?って問い直したい!
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こんな感じでマキタさんの提案からトークがスタート。習慣などは直すことができるけど、人それぞれの性格やタチはなかなか直せない。その直せるもの・直せないものの線引きから、個々の「コミュニケーション能力」の話に入っていきます。
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マキタ:コミュニケーション……結構迷いの時代じゃないですか。求められる要求値が高くなってきている。で、コミュニケーション能力が高い方が今の時代は良いみたいなことが標語になってるんですよ。だけど、もともとすごいコミュニケーション能力が高い人間が努力をし、あとからコミュニケーション能力が低かった人間が頑張っても、この差はなかなか埋まらないので。そこでまた挫折があると思うんですよ。

マキタ:思い描いたようなコミュニケーション高い系の人。
タツオ:俺、完全にいまマキタさんの言っていた後者の側の人間だけども。「怖い」っていうんじゃなくて「めんどくさい」っていうのがあって。割と僕、極小に収めている部分もあります。できる側になりたいか?っていうと、全然そんなこともないですけどね。それってやっぱり反社会的な目的なんですかね?
マキタ:僕なんかね、いつもPKさんと思うんですよ。タツオのタチに振り回されてね。で、「どう! セイッ! 下がれ! タツオが過ぎるぞ!」ってね。
タツオ:もう42ですね。

マキタ:42のおじさんには言えない。変えられない。そんなの。
タツオ:だって42をすぎて直るものってもうないでしょう?開き直りはよくないけど。
マキタ:「頑張らないと親に似る」っていう言葉を僕も言いましたけども。
タツオ:名言ですね。
マキタ:いろんな人といろんな外圧を受けながら人が成長していくっていう方向性の話として、それをひとつ言っていると思うんですけど。
タツオ:我慢がきかなくなっちゃうから。だから、自己啓発本とかで直しているわけではなくて、隠しているだけなんだっていう?
マキタ:そうそうそう!
タツオ:で、その隠す力がなくなってくると出てきちゃう。
マキタ:出てくるもんだと思うんですよね。
タツオ:いいんじゃないですか?だってマキタさんなんて僕、知り合った時から話が長い人だし。人の話を聞かない人じゃないですか。
マキタ:人の話は……ますますわからなくなっている。耳も遠くなってきて(笑)

鹿島 :でもさ、変な話、そういうことを話しているうちはまだ大丈夫なんじゃないですかね。僕は半信半疑論で話しましたけども。なにか「これでいいんだ」って全て信じたらそれは盲信になって、最終的にはオカルトになるだけだし。じゃあ全てを疑い始めたら結局虚無になってパサパサになる。だから僕はその真ん中で揺れ動きたいっていうのは大切にしたくて。
タツオ:努力も怠らないけどっていう。
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プチ鹿島さんが指摘した「半信半疑の心持ち」の重要性についてマキタさん、タツオさんも同意しつつも、その状態でいると不安になり、「自分は変われる」という方向にギアを入れるという楽な方向に人は流れがちだという指摘をしていきます。そして話題は伝説の番組『愛の貧乏脱出大作戦』へ…
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タツオ:昔、僕らが熱狂していた番組で『愛の貧乏脱出大作戦』っていうのがあったじゃないですか。みのもんたさんが意地悪な感じで。もう本当に倒産寸前のお店の人を、どこかの達人の師匠につかせて。それで達人の下で1週間ぐらい寝る間も惜しんで修行をして。
マキタ:性格直しですよね。
タツオ:お店のオープンまで付き合って。なんだったらオープン費も賄ってあげたりして。
鹿島 :それまでひどいんだよ。

タツオ:最高だよ。乱一世のナレーションでね。
マキタ:で、集団で合宿みたいなのを企画でやったりしてね。そのうちさ、政治とか始めるんだよ。ラーメン合宿の時、1人すげえはみ出し者みたいなやつがいて。そいつが自分を正当化するために他の人を巻き込んで。人の悪口とか言い出してさ、やっているんだよな。それでそれをウォッチしているわけだよ。あったなー!
タツオ:あったね。「お客さんの前に出すものをこのようにほったらかしにしている。いかがなものだろうか?」みたいな。すげえ意地悪なナレーションが入るんだよ。で、修行する方も修行する方で3日目ぐらいで「いままでこんなに頑張ったことはない!」みたいな感じで言っていて。いかにいままでの人生で頑張ってこなかったのかっていうのを証明しちゃう人が結構出てきて(笑)
マキタ:あと、追跡取材もあったよな。最後、ちゃんと見せて心を直したみたいな感じになるんだよ。

タツオ:そうなんだよ! お店を新装開店して美味いものしか出さないみたいになるんだけど、意地悪な感じでさ、半年後にちゃんとやっているのか追跡しに行くんだよ。そしたら、元に戻っているんだよね。
マキタ:そう。また同じようにダクトが汚れていたりするんだよ。
タツオ:ダクトが汚れているんだよ(笑)。で、やっぱりああいう人たちって直らないよね?だから結局、一時的に筋肉をつけてがんばるけど、結局筋トレをやめちゃうと元に戻っちゃうみたいなことだよね。だからあれ、心の贅肉だよね? ダイエットできていない。だから誰かに監督されていれば、あるいは周囲の目がキツければ毎日筋トレができるけど。

タツオ:それがなくなるとできなくなってまた雑な料理になる。あれがだから、人間の本質だと思うんだよね。だからいま、鹿島さんが言ったようにがんばり続けるんだけど「果たしてこれでいいのだろうか?」「まさかこれで変われるわけないだろう」ぐらいの半信半疑の状態で生きていくっていうのは結構難しいんだね。
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2つの極の中で揺れ動く自分を上手くマネジメントできていればいいけど、なかなか日々の忙しい生活の中ではそれは難しい。人に何かを教える時にもその個々の人の性質を理解した上で対応していければいいのだけれども……という話から、怒りっぽい人のアンガーマネジメントや立川談志師匠の「人間の業の肯定」という言葉の話へと話題が移っていきます。
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タツオ:じゃあさ、怒りっぽい人ってどうすればいいの?
マキタ:怒りっぽい人は自分でそれ、アンガーマネジメントとかって最近、言うじゃない? つまり、自分のタチを理解しておくことと、あとは俺笑いのセンスとかは談志師匠の言葉じゃないけども「人間の業の肯定」っていう言葉で俺はずいぶんと救われるわけですよ。つまり、自分の中にダメな部分があっても、まあ笑いの目で見たりするっていう心持ちが獲得できたり、そういう精神性があるんだっていうことをぼんやりとしていたものをちゃんと言語化してくれたじゃないですか。立川談志師匠は。

マキタ:それは赤穂浪士の四十七士のたとえで、本当に200何十人もいた家臣たちがほとんど逃げていって残ったのが40何人だから。その残った人を美談で描くのが講談だけども、そうじゃない逃げていった人たちという性悪説。それを受け止めてやるというか認めやるのが人間の業の肯定であり、落語なんだということを言っていて。明快だったんですよ。
鹿島 :救いがあるよね。
マキタ:そう。救いがあるんですよ。
鹿島 :でも、救いを感じるっていうことは少なくともまだ頑張ろうって思う自分がいるからじゃないですか。そういうのが楽しめるのもね。「俺はもうこれでいいや」って思ったら、たぶんその四十七士の話も楽しめないし。そういう頑張っている、だけどうまいこといかないで悶々としている人へ「ああ、この話を聞くとホッとするわ」っていう。

タツオ:だから演芸の世界ってよくできているね。落語とか講談、浪曲とかがあって、すげえ頑張る一面と頑張れない一面、その両方が見れるわけだもんね。