TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週日曜日夕方5時から放送中!

2020年9月6日(日)放送
貴乃花光司さん(part 1)
1972年東京生まれ。1988年に藤島部屋に入門し、1994年、22歳で第65代横綱に昇進。

平成の大横綱として数多くの記録を残し、2003年に現役を引退。その後は貴乃花部屋の親方として、日本相撲協会の理事として尽力されました。去年、一般社団法人貴乃花同情を設立し、青少年の育成や相撲の普及活動をしていらっしゃいます。
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山内:今週は出水アナに変わりまして、私 山之内あゆがご一緒させていただきます!

JK:よろしくお願いします。そしてゲストは第65代横綱、貴乃花光司さん。ご無沙汰してます! なんだかホッソリしてますね? 相変わらずかっこいいですね!

貴乃花:いやいやカッコよくはないですけど、痩せました(^^)

JK:ちょうどいいですよ! 身長が高いから・・・185cm? 大きいっていう印象。一時はすごかったですからね!

貴乃花:そうですね、現役のころはやっぱり大きかったですね。今でも初めてお会いする方に「やっぱり大きいんですね」って必ず言われます(^^;)なんですかね、骨格が大きいんですかね?

山内:今日もスタッフがみんなそう言ってましたよ! 立ち方もしっかりしてますし、スーツの下の胸筋が・・・!

JK:あんまりスーツっていうイメージなかったんだけど、意外と似合うじゃない? どっかの社長さんが来たかと思った(笑)

山内:ジュンコさんと貴乃花さんの接点はどこにあるんですか?

JK:私がスポーツNIPPONで4年間1ページの連載を任されたことがあって、それで一度対談してみませんかって言われたの。あれが始まり。お相撲は大好きだけど、それまで縁がなかったのね。それで私、浴衣作るわ!って。それで浴衣を着ていただいて。

実際には親方とお話ししました。

貴乃花:私はたぶん18~19歳だったと思いますね。

JK:それまではパパって呼んでたのがいきなり「親方」になるでしょう。その切り替えってどうするの?

貴乃花:最初の1か月は、寝るときに泣いてました。ホームシックですね。

JK:だって自宅が相撲部屋なのに、ホームシック?

貴乃花:はい。ちょうど天井の上が自分の育った家でしたので、近すぎるんだけど、別の世界に来てしまったっていう感じがしましたね。なかなか寝付けなくて、涙がしくしく出てきちゃうんです。もう二度と帰れないのかなあって。

JK:15歳? そりゃあまだまだ子供だもんね! そうそう、それで初めて会って、私接点を作りたくて浴衣を作って・・・たくさん作りましたよね! 覚えてるでしょ?

貴乃花:まだありますよ(笑)部屋の仕着せも作っていただいて。関取になると、個人の仕着せもコシノさんにデザインしていただいて。グリーンとブラックの。

JK:それでついに横綱になられたときに、スポーツNIPPONから頼まれて化粧まわしを・・・これ私すっごい緊張して! 化粧まわしってアートでしょう? 芸術作品にしなきゃいけないから。どれほど悩んだか! 「貴乃花光司」だから光のデザインにしようと思って。

貴乃花:三つ揃えというやつですね。化粧まわしが3つ並んであるんです。コシノさんは斬新なデザインをしてくださるので・・・化粧まわしって下のほうにデザインするのが普通なんですけど、締めるおなかのほうにもデザインをしてくださったのがコシノさんの特徴かなあと思いました。

JK:覚えてます、パリ場所? 残念だったわよね・・・シラク大統領がお相撲大好きで、パリ巡業でお相撲をすることになったの。私もちょうどパリコレの真っ最中でね。私の作品はシャルル・ド・ゴール空港に着くとまず倉庫に入れるんだけど、お相撲が来るので、化粧まわしがたくさん来るから別の倉庫に入れますって言われたの。で、その倉庫が放火されたんです。

山内:えっ! 放火?! 事件じゃないですか!

JK:最高の化粧まわしを持ってきたのに、全部燃えちゃったんですよね。あれはもう一生忘れられない。

貴乃花:そうですね、直前に。

一種のテロですよね。

JK:私は別の倉庫に回されたからショウができたけど、一緒だったら私もコレクションできなかった。

貴乃花:化粧まわしと一緒に、取り込みするときの締め込みも入っていますので、全員のが全部燃えてしまったんです。全焼。倉庫が丸ごと。

山内:ひどい話ですね・・・でも巡業は行われたんですか?

貴乃花:やりましたね。日本にも荷物を置いていますので、全員が全員あの時日本から取り寄せて、1日で届きました! 多分フランス政府、日本政府、業界、全員がすべてをかけて送ってくださったんだと思います。その作業はすごいなあと思いました。

平成の大横綱が語る幼少期・・・貴乃花光司さん

山内:お父様の師匠が大関貴乃花、そして叔父様が初代若乃花という一家に生まれましたが、当たり前のように身近に相撲があって、相撲を始めるというのは最初から心の中にあったんですか?

貴乃花:先代、私の師匠である父親は、力士にはさせたくないと思っていたんだと思います。

JK:あら、そうなんですか? じゃあ子供相撲とかはやってなかったの?

貴乃花:学校内の体育の授業でやるぐらいで、大会に出ろとか言われたことはなくて。言われたのは「大学まで出てくれ」と。

JK:まるきり別の道を歩んでほしかったのね。

貴乃花:実は私なりに人生を振り返って、なぜ力士になってしまったのか、という最近思い出したんです。小学2年生まで、東京文化小学校という勉強型の学校に通わせてもらっていたんです。それが2年間でなぜか転校になって、そこから区立に行きます。先生方も力士の息子だということはわかってますから、友達とわんぱく相撲に出たらいいんじゃないか、ということで出たのが最初のきっかけのように感じます。

JK:へぇ~。でもその頃には家でお相撲っていうのは見てますよね?

貴乃花:見てました。父の相撲を見る時は正座をして、祈って・・・修行みたいな形でしたね。家長が土俵に上がっていって、それで自分たちが生活を営んでいけるという感覚。小学2年生まで通っていた学校は校庭も中庭しかなくて、東京女子大学の付属校でしたから、完全に勉強をやる環境が整っていたんです。2年間すごく勉強するのが楽しくて、友達もできて、僕はここを卒業して、力士になる生活とは程遠いと思っていたんです。

山内:そのころの夢は何かあったんですか?

貴乃花:たぶん、学術的な専門的なこと、歴史とか研究とか・・・子供のころから没頭することが好きで、一人で字を書いたり絵を描いたりしていたので。

JK:はっ、だから絵本作家なのね!

山内:そう、絵本作家としての一面もお持ちなんですよね!

貴乃花:あっ・・・絵本作家とは言えない絵本作家なんですけど(^^;)クレヨンなりなんなり、時間があると自然に絵を描いて時間をつぶしてるような子だったと思います。

とにかく何かを始めると、没頭したいという性格なんだと思います。

JK:だからお相撲の世界に入ってからもずーっと没頭。性格的にもまっすぐですね。

貴乃花:ある意味、わがままなのかもしれないですね(笑)

山内:相撲界に入ってからは、22歳で第65代横綱に昇進。横綱時代に得たものとか、ご自身が変わったことはありますか?

貴乃花:力士の社会でいうと、田舎から出てきて、十両に上がるのが一区切りなんです。これが一般社会でいう月給をもらえる地位になるんです。ここに上がれるだけでも、田舎にある程度の顔で帰れるという常識がありまして。私は横綱になれるとは思っていませんでした。しかも、入門してから5年以内で十両に上がれなかったら廃業するということを父と約束していましたので。

山内:忘れられない取り組みはありますか?

貴乃花:やっぱり15歳で初めてあがった初土俵。違う部屋の同期の力士と丸坊主同士で当たるんです。私は同期の鳴海っていう青森県出身の彼と当たって。

花道の時から体の震えが止まらないぐらい緊張して・・・花道ってこんなに恐ろしいものなんだって。

山内:そこから土俵にあがってから、気持ちが変わるんですか?

貴乃花:変わらない。震えながら。相手も同じ気持ちなんだろう、と思いながら、やっとこさ土俵に上がる感じでした。

=OA楽曲=
M1. Let’s Do It / Dinah Washington

◆9月6日放送分より 番組名:「コシノジュンコ MASACA」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200906170000

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