TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週土曜夕方5時から放送中!
2021年5月23日(日)放送
フローランス・メルメ=小川さん(part 1)
フランス国立東洋語研究所で日本語とロシア語を学び、卒業後に来日。明治大学専任教員、早稲田大学、東京大学の非常勤講師など30年間教壇に立ち、2018年に退職。

フランス政府から教育功労賞シュヴァリエを授与されました。
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出水:嬉しいお知らせがあるんですよ! コシノ・ジュンコさんがフランスの最高勲章レジオン・ド・ヌール勲章シュヴァリエを受賞! おめでとうございます!

小川:おめでとうございます! それだけフランスに貢献したってことですよね。

JK:フランスに出す書類を全部訳してくださったんですよね。私フランス大好きだから! とくにパリですよ。モードの街だから。憧れってすごく大切。そこから人生の目的が始まりますよね。それでいち早く1964年に、誰も行ったことない、誰も知らないパリに行ったんです。そのあとに賢三が行ったでしょ。その辺からパリが始まってる。

小川:そう、パリではジュンコという大先輩がいたので、賢三にとってはすごく助かったんですよね。

JK:本当に片道切符だったのよ! いつ帰れるのかわからない。

それでついに帰れなかった(笑)それだけパリには深い文化がある。行っちゃったら、返ってくる人はいないですよね。

小川:まあ逆もそうですよ、私みたいな(^^)いつも思うんですけど、フランスと日本はお互いに憧れてるし、なぜ住み着くかっていうと、それぞれの文化を同じレベルで味わうことができるんですよ。文化レベルが高いので、自分が求めているのをそこで見つけて、居残るんですよ。

JK:フランスがいいのは、アーティスト! 基本的にアーティストが憧れなの。

小川:フランスはすごく自由だと思いますね。たいてい日本人はパリに行くと自由を感じる。ああしちゃいけない、こうしちゃいけないっていうのがあまりないんですよね。私は日本に来てから、先生としてああしちゃいけない、こうしちゃいけないって気にする。

JK:本当よね。憧れのフランスから賞をいただけて光栄だわ。

出水:他に日本人で受賞したのは横山大観さん、黒澤明さん、安藤忠雄さん、五代目坂東玉三郎さん、豊田昭雄さん、ファッション界では高田賢三さんや森英恵さんも受賞しています。

JK:フランス人はどんな方? シルヴィー・ヴァルタンも入ってたわね?

小川:フランス人はいっぱい。女優だったらカトリーヌ・ドヌーヴも入ってるし、オドレイ・トゥトゥももらいました。画家ではシャガールとかスーラージュとか。政治家とかもそうですから。ナポレオンが1802年に作った賞で、最初は軍人に挙げてたんですが、一般の人にも挙げようと言うことになったんです。

出水:そのあとは歴代大統領が受賞者を決めている?

小川:そうそう。そしてフランス人だけでなく、外国人にも、フランスに貢献した人にはあげています。

JK:日本からは、ピエール・カルダンが日本の勲章をもらってるのよね。お互いにそういうのいいな、と思いました。

小川:本当にお互いの文化を理解できるているな、と思いますね。

レジオン・ド・ヌール受勲を陰で支えた功労者~フローランス・メルメ=小川

JK:フローランスさんは日本文化が大好きになったの? それとも日本語に興味があったの?

小川:最初私は純粋なフランス人で、日本のことはまったくわからなかった。日本に目覚めたのはオリンピックのおかげです。

1964年、まだ学生だったんですが、それまで日本のイメージはまだなかった。やっぱり富士山、ゲイシャ、それだけです(笑) でもオリンピックがあって、大阪万博があって、それからフランスで反響が大きかったのは三島由紀夫の切腹。日本ではあまりいいイメージではないですが、三島は外国ですごく評価されていたし・・・。

JK:彼の美意識ですね。

小川:そうそう。日本のイメージをすごく持っていましたね。もうそれで頭は日本でいっぱいになって、日本語を勉強しようと決めました。

JK:本当に好きになったら日本のことよーく知ってるから、うかつに日本のことしゃべれないのよ(笑)

小川:私も日本語の勉強を始めて、すごく難しかったんです。漢字とか。だから学生はどんどん辞めていきましたが、私は最後まで残って。フランスで作った日本のイメージはおかしかったんですよ、日本の家は紙と藁でできてるって(笑)イメージがわいてこないので、とにかく日本に行かないと、と思って日本に来ました!

出水:フローランスさんは1978年にジュンコさんがパリコレデビューしたときにも尽力されたんですよね?

小川:一緒に行きましたね~!

JK:アタッシュ・ド・プレス(広報担当)を探すんですよね。誰がいいかって。

ショウをやる限り、プレスも大切でしょう。でもアタッシュ・ド・プレスの役割を知らなかったのね。例えば日にちを決めるにしてもバイヤーを呼ぶにしても、キャリアを持ってる人じゃないとできない。日本じゃそういうことないですよね。

小川:そうですね、日本にはそういう職業がないんですよね。

JK:ショウをやる順番を決める権限も持ってる。朝いちばんのショウもあるのよ、7時半とか。

小川:ジュンコに聞きたいんですけど、初めてフランスでショウをやった時、不安はなかったの? 初めてのフランスでしょう?

JK:最初からパリって思ってたんですけど、私にはまだ早いと思って。1971年にショウの前にまず何かやってみよう、と思って、ポート・ド・ベルサイユの展示会に出したんですよ。でも私はここじゃない、違う、ってわかったんです。それで賢三がショウやって、賢三みたいなショウをやりたいわって。対抗するわけじゃないんだけど。

それで出直した。まずは自分の住んでる東京で自信つけてから行こう、と思って、帝国ホテルでものすごいショウをやったんです。それでパリでやろう、って。だから少し時間かかったんです。

小川:なるほど。今でも覚えてるけど、モデルさんのオーディションで、みんな「使ってください!」って顔して来て、もジュンコは優しい顔してウンウン、って。断るの大変だったわね。

JK:だって冬の寒い中、みんなコートも何も全部脱いで、ハイヒールに履き替えてオーディションするわけでしょ? そこまで大変なのに、そう簡単にダメっていうのがかわいそうになっちゃうのよ! 情を感じて、「ごめんなさい」って。ある時お昼を食べようと外にでたら、モデルがオーディションに来て、「じゃあここでやりましょう」って道の真ん中でやったり(笑)お互いオフィスに帰るのが面倒だから(^^;)

レジオン・ド・ヌール受勲を陰で支えた功労者~フローランス・メルメ=小川

小川:ジュンコさんは言葉もわからないし、いろんなスタッフもたくさんいるし・・・本当大変だったでしょ?

JK:一番大変だったのは音楽だった。音楽で全部決まるでしょう。だから行く前に1週間ぐらいずーっと考えてた。ファッションを活かすのは音楽なんですよ。

一生懸命洋服作ってるだけじゃない。私はどっちかっていうとイベント好きだから、そういうのをやりたいわけ。

小川:結構派手だったんですよね(^^)あの時代はちょうど、パリも派手になっていった。

JK:私の場合は『天井桟敷の人々』とか寺山修司さんとか唐十郎さんとか知ってたし、面白い感覚のものをやりたいわけ。でも地味なバイヤーには「こんなの見てらんない」って言われる。面白い!って言う人と半分半分だったわね。

小川:日本から来た小柄な女性が、大舞台に立つっていうのは本当にすごかった。思い出すのは、パリのパラスでパーティをして・・・毎日パーティパーティ!

JK:毎晩々々ディスコ(笑)パーティとかそういうフィーリング的には合ってたから、そのノリでいってたわね。向こうにはないものを考えて。だから私は日本をテーマにするには、三宅一生さんや賢三とは違うもの、オリジナルをってことをものすごく考えちゃった。

小川:ジュンコの「日本的」っていうものが評価された。フランスを全く意識しないで、日本の精神がすごく入ってたんですよね。フランスに日本のファッションを持って行った1人なんです。

JK:フランス的なものを持ってても、何のために行ってるの?でしょう。だから今も、基本的にはモードですが、着物展をやったり、日本の文化を責任もって紹介したいな、というのが心にずっとある。日本の文化はまだまだ紹介しきれてない! そういう役目をしたいなというのもずっとあって。

小川:本当にそう思います。日本のファッションを持って行って、理解してもらうっていうのが大切ですね。ただ「きれい」っていうんじゃなく。その精神、どこがいいのかを理解してもらうのが大事ですね。

JK:でもフランス人は本当に着物好きですね! 日本イコール着物なのよね。やっぱり私たち日本人ももっと着物好きになってもらいたい。展覧会も1回じゃなく、何回も来るのよ! 2時間並んでも絶対入るくらい。それほど日本に憧れてるんだなあって思いますね。

小川:本当に正反対だから。フランスにないものが日本にはあるんですよ。逆もそう。日本にないものがフランスにはある。それが大事だと思いますね。

=OA楽曲=
M1. フルフル / コシミハル

◆5月23日放送分より 番組名:「コシノジュンコ MASACA」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210523170000

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