TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週土曜夕方5時から放送中!

2021年6月27日(日)放送
神田伯山さん(part 2)
東京都豊島区出身。二ツ目時代から独演会では定員数百人の会場を満員にするなど新進気鋭の講談師として脚光を浴び、2020年2月に講談の大名跡である神田伯山を6代目として襲名。

いまもっとも注目を集める「講談界の革命児」です。
弟子から師匠へつなぐ皴のリレー??~講談師・神田伯山の画像はこちら >>

出水:伯山さんは4歳までブラジルにいらっしゃったそうですね?

神田:2歳ぐらいまですかね? いや、4歳までいたかもしれないです(^^)うちの親父が貿易会社で働いてて、家族4人でブラジルにいたんです。後から知ったんですけど、ポルトガル語で豚のことを「ポルコ」って言うんですよ。僕はそのときまん丸で、豚に対していいイメージがあったんですね。「僕はポルコだー!」ってポルトガル語でしゃべってたみたいです(^^) 兄貴は「僕はブラジルに行きたくない、日本に早く帰りたい、だからポルトガル語も覚えない」って言ってて。逆に僕はどんどんポルトガル語を吸収して「日本よりもポルトガルに住みたい!」って(^^)

JK:ポルトガル語で講談やってたりしてね(笑)

神田:でも逆に、海外にいたからこそ後に伝統芸能に恋しくなったというのもあるかもしれないですね。でも今のは後付けですね(^^;)

出水:日本に帰って来て、伝統芸能に引き込まれたきっかけはいつ頃ですか?

神田:やっぱりラジオなんですよ。NHKの『ラジオ深夜便』でたまたま落語家さんの三遊亭圓生師の「お神酒徳利」をやっていて、40~50分フルで聞いた。今までも『笑点』の演芸コーナーとかで見てたと思うんですが、あの時初めてラジオで、耳だけで、自分の想像力をフルに生かして聞いたんです。耳だけでこんなに人間の声色や空気感が出せる芸ってすごいなって。真に迫っていましたね。

JK:ラジオはおうちでいつも聞いてたの?

神田:中学生ごろから聞いてました。

TBSラジオも小沢正一さんとか五木寛之さんとか。時々寝落ちして、生島ヒロシさんが何回も夢に出てくるんですよ(笑) そういう風にいろんなラジオを聴いてて、ラジオで芸に当たった時に「うわっおもしろい! なんだこれ!」っていうのがきっかけでした。「こんなに長くても飽きずに聴けるんだ、もっと聴いてみよう!」って。学校のクラスメートに1人だけ落語好きがいたんですよ。クラスの3軍4軍みたいな(笑)落語って当時はバカにされてましたからね。「落語好き? だからお前はつまんないんだよ」みたいな時代だったんです。中村君っていう子が「落語おもしろいよ」って教えてくれて、それで僕の親友も誘って、新しい3軍ができた(笑)

JK:それで寄席に行ったんですか?

神田:浅草演芸ホールに行きました。お金がなかったので、招待券で。楽しかったですね! 「なんだ、行ってみたらこんなに楽しいんだ!」って。落語を知っていくうちに談志師匠を知って、談志師匠は講談も詳しかったので、じゃあ講談も行ってみよう、って。それがきっかけで講談師になっていくという流れです。

JK:お友達のおかげですね!

神田:本当にそうなんです。

たまたまラジオを聴いてた、たまたまクラスメートに落語が好きな奴がいた。偶然が重なってこうしてコシノさんとお話しさせていただいてるのかなって。僕がTBSでお仕事させていただいているのも、僕の公演の枕を聴いたディレクターが「この子ラジオできそうだな」って引っ張ってくれたんですよ。面白いですよね、もともとラジオがきっかけだったのに、講談に行って、またラジオの世界でやらせてもらっている。

JK:講談って何人も出てるみたいな声を出すじゃないですか。それってすごいよね! 経済的っていうか(^^)

出水:ジュンコさん、言い方!

神田:でもそうですよね、このコロナの時代に複数でやるっていうのはイロイロありますから(笑)

出水:ネタはその日のお客様の空気を見て決める、という話が先週ありましたが、枕もそのお客様に合わせて?

神田:ふつう5~8月は怪談話をやるんですけど、枕の段階から「お客様笑いたいな」ってわかるんですよ。お客様は今日笑いに来てる、つらい世の中を忘れて笑いたい、そこに季節だからといって怪談話を持ってくると、お客様望んでないんですよね。暗い時世の時に暗い話はできない。こういう時は、明るく希望を持てるような話をずーっとやってます。

JK:社会状況がわかってないとだめよね。

神田:うちの祖母は当時貧しくて、アカデミー賞を取った映画『怒りの葡萄』を見に行ったんですって。祖母が帰った時に「私はこんな映画見たくない。

私は貧しくて、映画でそれを忘れたいのに、いくら名作だろうが貧しさを描いた映画は望んでない。明るくて楽しい映画を見たくてお金を払ったのに」って言ったんです。「心に余裕がある人にとっては名作なんでしょう。私は辛くて救いを求めて映画を見に行ったのに、あんなのを見せられるのはいやだ」って言ったのが残ってるんですよ。

JK:コロナの時代って誰もまだ経験してないでしょ? 昔のネタを探っていくというか、共通の感性というか、ご自身のオリジナルの講談はできないんですか?

神田:いわゆる新作を自分で作る、みたいな? それも一時期やってたんですけど、やっぱり時代が変わっても人間はそんなに変わらない。コロナの時世に貧富の差が拡大して・・・みたいなときに、そういう話も古典にあるんですよ。現代でも古典でもかわらないじゃないか、と古典に現代のテーマをたくす表現はあります。

JK:結局、400年以上の歴史ですもんね。

神田:でも寄席が今厳しい状況で、お客様が300人中40人しか来なかったりする時期なんですけど、コロナになって一番何が致命的かというと、筋トレと一緒で寄席が名人芸を保っていたんですね。でも寄席がちょっと休業したりすると、「あの名人が下手になってる」ってお客様が言うんです。やっぱり人前でやり続けることで名人芸が保たれてたんです。でも寄席が休業したことで演者が下手になってる、というのが一番の大打撃です。

JK:ノリが分からなくなっちゃうのね。

神田:ネタもかけてないと不安になりますし。だから我々は本当に「無形文化」なんだなあと思って。寄席がなくなるっていうと、お金だけじゃなくて芸も細っていく、ということを思いました。そういうときこそ一生懸命稽古して、お客様に喜んでいただく。そういう意味でも、歌舞伎でもなんでも今が一番気合入ってますね。やる気にみち満ちてますよ! 今こそ、こういう時代だからこそ、逆境に対してどうポジティブにアプローチするかが問われていますね。いま30~40人のお客様のまえでどれだけ頑張れるか。でも寄席の芸って、あんまりやる気を出すとカッコ悪い。いかにやる気がなさそうに見えてやる気を出すか、ってところがあるんですよ。でも内々ではやる気満々ですから(笑)ぜひ行っていただけたらなと思います。

弟子から師匠へつなぐ皴のリレー??~講談師・神田伯山

JK:一番のマサカは何でしょう?

神田:講談界に入ると、最初に前座修行をするんですね。

師匠方の着付けとか、着物を畳んだり、お茶を出したり、履物をそろえたり。4年ぐらいやるんですけど、僕はあれがまったくできなかったですね。下働きというのが全く向いてないことに初めて気が付いたんです。青雲の志をもって講談界をこうしたい!という思いがあったのに、下働きでつまづいた(笑)なんにもできなかった! 社会性がないんですよ。

JK:お茶も入れられなかったんですね? 着物だって袴だって、たたむの大変よ。

神田:お茶を入れても、これ何番煎じのお茶なんだって(笑)畳むのは苦労しましたね。師匠によって畳み方が違うんです。

出水:ええっ?!

神田:亡くなってしまった歌丸師匠は、着物が高いんですよ! 絹でできてるので、一度でも間違えると皴がついてしまって着物が台無しなんですよ。その着物にいっぱい皴を付けましたね(^^;)翌日歌丸師匠が「誰が畳んだの?!」って。でもそれも修行。歌丸師匠も若い時に皴をつけてきたので、お互い皴つけのリレーみたいな(笑)だから私も今後、皴をつけられるんでしょう。そうやって伝統芸をつないでいく。

JK:そういう修行をやらなきゃいけないのね。

神田:それだけあなたを信頼してますよ、ってことですよね。信頼してもらっているから、それに応えなくてはならない。信頼のリレーでもある。でも、100万円ぐらいの着物でしたから怖いですよね。弁償しろとは言われませんでしたけれど、それからは1回も畳ませてもらえませんでした(^^)

JK:でも着物って何着もないとだめでしょ? 同じものずっと着てられないわよね。

神田:僕は汗っかきなので、正絹の着物ですとすぐ洗いに出したりして、メンテナンスがすごく大変。ちょっと直すにしても2~3万かかったり。

JK:だって合繊を着るわけにはいかないもの!

神田:また前座ってよく着物を見てるんですよ! 「こいつ稼いでるくせにセコい着物着てるな」とか思いながら畳むんです(笑) 因果応報というか、あんまりいいのを持って行ってもあいつらに皴つけられるので(笑)ちょうどいい着物を持っていく。

弟子から師匠へつなぐ皴のリレー??~講談師・神田伯山

神田:でも、自分は何にも知らない中でよく前座修行をやらせていただいてたな、と思いますね。あの時は辛いんですよ。師匠にも「たった4年だ、講談師として生きていくのに4年も辛抱できなくて何を考えてるんだ」って言われたときがありました。その時僕は、「お前は前座修行終わったからそういうこというけど、現役の辛さをわからないだろう!」と思ってました。だから4年目の時は完全にオカしくなってまして、師匠方の前で「なんでこんなつまらない奴の着物畳まなきゃいけないんだ」みたいなことを言ってましたね(笑)僕は心の声だと思ってたんですけど。

出水:出ちゃってたんですね(^^;)

神田:だから周りが助けてくれました(^^)

JK:伯山さんは豊島区生まれでしょ? 豊島区ってトキワ壮があったり、あそこは日本のアーティストの発祥地ですよ! 今は有名な方々が、最初東京に出てきたときに池袋に住んでた。何人もいますよ! 私も学生のころ、椎名町の先生のところに通いに行ってました。芸人だけじゃなく、芸術家全体が住みやすい。パリなんかだとモンパルナスみたいなところですよね。今の区長さんも、豊島区全体を劇場にしようって。またもう1回豊島区を見直したら面白いですよ。

神田:そうかもしれないですね、芸術劇場もありますし。でも池袋出身の人ってあまり「池袋出身」って言いたがらないんですよ。

JK:でも今こそ言ったほうがいい! 私が今一番興味持ってるの豊島区なんですよ。池袋っていうとまた別の印象なんだけど(^^;)

神田:僕も興味もっているのがトキワ荘なんですよね。いま復元されてるんですよ。面白いなあと思ったのは、トキワ荘の目の前に今でもラーメン屋さんがあるんですよ。素朴な味、いわゆる落ち着くラーメンの味なんですけど、今でもお客さんで混みあってるんです。

JK:昔の人たちも通ってたラーメンなのね。

神田:そう、だから思い入れというか伝統というか、「これも手塚先生が食べてたんだ」と思うだけで、素朴なラーメンがとっても芳醇に感じる。ミュージアムはもちろん昔のを再現しているんですが、たった六畳からありとあらゆる天才がいろんな想像をしていた、と思うだけで胸が熱くなる。だから『ひらばの人』という漫画が出た時に、かつて過小評価されていたメディアの漫画で、今弱くなっている講談を引っ張ってもらっている、というのは感慨深いものがあります。

JK:子供たちもここから講談に入る、というのもいいと思います。

神田:スチャダラパーのボウズさんに「どうやったら講談ってメジャーになれますか?」って聞いたんです。そしたら「簡単だよ、『週刊少年ジャンプ』に連載されることだよ」って言われました。それぐらい漫画の影響力がある。漫画って老若男女読みますし、これも制限されたメディア。いわゆる音がないので、文字や絵から想像する。講談と似てるところもあるなあって。主人公の声を想像するだけで、僕がラジオを聞いたときのあの感じに似てるなあと思ったりもしました。

◆6月27日放送分より 番組名:「コシノジュンコ MASACA」
◆https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210627170000

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