TBSラジオ『アフター6ジャンクション』月~金曜日の夜18時から放送中!
7月7日(金)放送後記
「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。
宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは日本では6月16日から劇場公開されているこの作品、『カード・カウンター』。
サントラもめちゃくちゃいいですね。音楽も怖い、っていうかね。『タクシードライバー』の脚本家、ポール・シュレイダーが監督・脚本を務めたサスペンス。ある罪のため、長年投獄されていた元軍人の「ウィリアム・テル」は……まあ自称ね、偽名ウィリアム・テルは、出所後、ギャンブラーとして生計を立てていた。ある日、自分の人生を一変させた男と出会い、過去の罪と向き合うことになる。
主演はオスカー・アイザック。その他の出演は、ティファニー・ハディッシュ、タイ・シェリダン、ウィレム・デフォーなど、でございます。製作総指揮にはポール・シュレイダーさんの盟友マーティン・スコセッシ……まあ製作総指揮だけれども、何かをやったというよりかは、資金集めのために「スコセッシさん、久々に名前、貸してくれませんか?」みたいな感じで、「いいよ~」みたいな(笑)、それぐらいの関りらしいですけどね。
ということで、この『カード・カウンター』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。
賛否の比率は、褒める意見がおよそ8割。主な意見は、「激シブ。とてもかっこいい映画だった」「贖罪というテーマや人物造形など、ポール・シュレイダー作品らしさがいっぱいで満足」「主演のオスカー・アイザックがよかった」などがございました。一方、否定的な意見は、「テーマはいいが、あまりに退屈だった」「ギャンブルや復讐、恋愛など全ての要素が中途半端」などもございました。
「やった、俺の好きなヤツが始まる!」
代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「空港」さん。「100%ポールシュレイダー印の、激シブな傑作でした! 冒頭の無愛想でクールなタイトルバックから、やった、俺の好きなヤツが始まる! とワクワクし、実際、ポーシュレファンを全員満足させる出来だと感じました。とにかく作品に漂う、ドライでブルージーなムードが最高でした。カードのギャンブルを生業にしながら、そこには生きがいや喜びはなく、なるべく淡々と日常をこなそうとするウィリアムはロバートマッコールさんのようであり……」。ああ、『イコライザー』のね。たしかに、たしかに。
「不穏かつ高揚感を醸す画面は映画「ドライヴ」のようであり……」。たしかに、たしかに。これ、私も後ほど言及しようと思っています。「そりゃ最高の映画になるわと勝手に納得しました。ただ、この作品のテーマでありコアにある、戦争によって傷つき、落とし前をつけようとする男の姿は、やはりトラビス・ビックルであり、前作『魂のゆくえ』のトラー牧師とも重なる、シュレイダー印であり、重みのある、特別なキャラクターになっていたと思います。
そして最後の最後。周りから見れば明らかにどん詰まりに見えるけれど、僅かな希望が彼の手に残ったような感覚。これこそがシュレイダー映画であり、他では味わえない余韻を与えてくれるものでした。近年の中では、ポールシュレイダーのベストワークだと思いましたし、『魂のゆくえ』、今作、そして続く三部作の最終作『MASTER GARDENER』には期待しかありません」。こちら、もうアメリカでは既に公開になってますが。「多くの映画ファンの想いですが、監督にはこのまま何本でも、『ポールシュレイダー作』を作り続けて欲しいです」という方。ありがとうございます。
一方、ダメだったという方もご紹介しましょう。「濃いお茶」さん。「賛否としては、否です。映像と音楽と主演オスカー・アイザックの演技なんかは良かったです。ただ肝心のストーリーとキャラクターの設定が全くダメでした。あまりの退屈さに前半は少し睡魔に襲われ寝てしまいました。
カジノで稼ぐのはただの方法として採用されているにすぎず、この場合、別に稼げるなら他の方法でも構わなくなってしまっていて、物語におけるカード・カウンターの必然性が感じられませんでした。最初だけブラックジャックで、後は主にテキサスホールデム・ポーカーをプレイされていたという認識なのですが、ポーカーのシーンもチップのやり取り場面が映し出されるくらいで、ゲーム性はもはや関係なく、USA野郎は本当に強いのかイカサマなのかどうかすら分かりませんでした。恐らく彼は批判的なモチーフとして置かれた戦争と醜いアメリカのメタファーということなのでしょうが……」。いや、ただ彼は、ウクライナ出身なんですよね。だから、アメリカに憧れすぎちゃってあんなになっちゃってる人たち、みたいなことなのかなと思いますけど……無邪気ですよね。ある意味ね。
「テーマとしては悪くないと思うので、もう少し映画として上手く作ることができていれば高い評価になっていた作品だとは思います」というなご意見もございました。
はい。ということで『カード・カウンター』、皆さんメールありがとうございます。私もヒューマントラストシネマ渋谷で2回、見てまいりました。入りは正直、パラパラといったところでございましたが。
スコセッシ監督の名作群で脚本を書いた「超クセ強おじさん」ことポール・シュレイダー監督
僕の結論ですね、僕なりの結論を言えば……めちゃくちゃ面白かったです! 終始、息を呑みっぱなしでした。脚本・監督のポール・シュレイダーさん。一番わかりやすい説明はやはり、マーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』『レイジング・ブル』『最後の誘惑』『救命士』などの脚本を書いた人、ということになるでしょうが。監督としてもね、たとえば『ハードコアの夜』とかね、『アメリカン・ジゴロ』とか、あと『白い刻印』なんていうね、これ結構アカデミー賞とか取ったりしましたけど、などなど、忘れがたい作品たちをコンスタントに多数、残しており。
で、近年、特にこの『カード・カウンター』の前作にあたる、さっきのメールにもありました2017年の『魂のゆくえ』という作品が、この映画時評コーナーではたしかね、結局ガチャが当たらなかったんですね。リスナーメールとかも来たかな? 当たらなくて。なんだけど、批評的にも興行的にも、久しぶりに大成功をおさめまして。この『カード・カウンター』と、既にアメリカでは公開済みの、これもさっきのメールにあった次作、ジョエル・エドガートン主演の『MASTER GARDENER』2022年、というね。
ポール・シュレイダーが持つ明確な作家性。それは「他罰と自罰」
あえて極端な言い方をしてしまえばですね、もちろん例外はあるんだけど、基本、同じようなテーマ、同じようなストーリーを繰り返し、時代時代でしかし形を変えて語り続けてきた、という、ものすごく明確な作家性を持った方ですね。これはもうわかりやすい。ポール・シュレイダーは。まあ、主にやはり戦争ですけども、トラウマや罪悪感など、心に深い傷を負っていて、それゆえ世界と自分自身にも怒りや鬱屈を抱え続けている男、というのが主人公で。で、彼は、ひたすら日記をつけたりして、独白(モノローグ)がずっと流れている、というようなことですよね。で、それをずっと孤独に吐き出している、というような状態。
で、とあるきっかけでそれが爆発……そして、これが重要ですけど、他罰と自罰、要するに他人に対するそれと、自分に対するそれがないまぜになったような、超法規的手段──主に暴力ですけど──で、みそぎや贖罪を果たそうとする……という、ノワールですね。これ、今回のセリフで、「他人を許すことは、自分を許すこととほぼ同義だ」って言ってるでしょう? あれはだから、「他人を罰することは、自分を罰することと同義だ」っていうのと、裏表の話なんですよね。みたいな話なんですね。
まあこれ、本当に今、僕の説明したことって、『タクシードライバー』から今回の『カード・カウンター』まで、基本、本当にこれが原型となった物語を繰り返し語っている、と言えますよね。で、そのベースにはですね、ご本人、厳格なキリスト教カルヴァン主義の両親のもとで育てられた経験とか、もちろんそれに対する反発とか葛藤とかがあると言われていますし。なのでですね、本作『カード・カウンター』とポール・シュレイダー、これまでもものすごいいっぱい撮ってるんですけど、旧作との共通項とか……あと、脚本だけ提供したやつとかも入れるともっとさらにね、『ローリング・サンダー』とか、いろいろありますけど。とにかくですね、共通項とか言ってると、もうキリがないんですよ、マジで。
たとえばその、劇場パンフの町山智浩さんの解説とか、あとインターネット・ムービーデータベースもね、すごくいろんなことを指摘してたりするんだけど、それ以外でもですね、たとえば2008年の『囚われのサーカス』という作品とか……クライマックスはね、「トラウマの元凶となったウィレム・デフォーに、ついに正面から対峙・対決することになった主人公が、最終的には、女性の愛によって“人の世”側に引き戻される」みたいな構図。まあ、今回の『カード・カウンター』も、そういう話ですよね、みたいな。連なるものだったりして。まあ、こういうことをやっていると、キリがないんですね。
作品のクオリティが近年上がっているのは撮影監督アレクサンダー・ディナンの存在が大きいのでは
ただ、さっき言ったようにポール・シュレイダー、ここにきて改めて勢いを増している、作品クオリティが一段上がっている、ってのもこれ、事実でございまして。これね、僕が思うに、たぶん、2016年の『ドッグ・イート・ドッグ』という犯罪劇から組み始めた撮影監督、アレクサンダー・ディナンさんと、手が合うんです。アレクサンダー・ディナンさんの手腕によって、元々ぶっ飛んだ演出や画作りを頻繁にしてきたポール・シュレイダーなんですけど、彼のビジョンが、より高いクオリティー、あるいはスタイリッシュさで、具現化できるようになった。これが大きいんだと思うんですよね。
たとえば、さっき言った2008年の『囚われのサーカス』のクライマックス。ジェフ・ゴールドブラム演じる主人公の主観的な視点で、地獄巡り的に廊下を進んでいく、というショットがあるんです。で、これは詳しくは後ほどまた言いますけども、この「地獄巡り的に廊下を進んでいく主観的ショット」っていうのを、今回の『カード・カウンター』は、圧倒的にアップデートされた、フレッシュな形で提示してますよね、みたいな。だから、同じことをやってるんだけど、今回は圧倒的に、技術的に高いんですよ。
で、またですね、その撮影監督アレクサンダー・ディナンさん、非常に静謐でありながら、ものすごく緊張感に満ちた画作りができる人で。なので、お話上、あるいは表面上の派手な展開……当然、これが多いほど、ジャンル映画的になっていくわけですよね。アクション映画とか、そういう風になっていくんだけど、そういう見た目上の派手な展開を、極限まで削ぎ落とせるようになった。つまり、手数を減らせるようになった。パッと見、何も起こってない状態が結構続くんです。なのでそれを「退屈」と取る人もいるかもしれないけど、なんだけれども、そこに、画面上に、猛烈なスリリングさ、不穏さ、ひいては面白さっていうのも、十分以上に保てるようになったっていう。
それゆえに、言ってみれば「ものすごく静かな『タクシードライバー』」と言っていい『魂のゆくえ』とか今回の『カード・カウンター』みたいな、こういう作劇が可能になった、っていう。その前までの作品はね、もうちょっとジャンル映画っぽいんですよね。もうちょっと見た目、アクション映画っぽい感じだったりするんだけど。要するに、アート映画としての評価も得やすい作りになったというのはこれ、アレクサンダー・ディナンさんと組んだことが大きいんじゃないかと思います。
で、物語的な枠組みはジャンル映画的だけど、スリラーとかそういう感じなんだけど、作品そのもののトーンやタッチはアート映画的、というこのバランスは、先ほどのメールにあった通りです、僕も連想しました、ニコラス・ウィンディング・レフィンの『ドライヴ』、2011年、これに近いものがあるかもしれません。そしてオスカー・アイザック、『ドライヴ』に出てましたね! これね。という感じですよね。まあとにかく今回の『カード・カウンター』もですね、これはやっぱりアレクサンダー・ディナンさんの手腕で、僕はなんというか、凡庸なショットが一個もない!級だと思います。全部のショットがやべえ!っていう感じだと思いますね。
すでにスクリーンのアスペクト比からして「仕掛けてきてる」
まあ、そんな感じで今回の『カード・カウンター』、どんな作品なのか、ちょっと具体的に見ていきますけど。まずですね、これ、今回の画面比、アスペクト比ですね。スクリーンサイズ、1.66対1という、ヨーロピアンビスタですね。これ、渋いですね。このコーナーで最近扱ったものだと、『カモン カモン』、あとは日本映画『ある男』がヨーロピアンビスタですけどね。で、このヨーロピアンビスタが、後ほど言うあるパートだけ、2.00対1っていう、ちょっと横長の画面になるというのがまた、効果的だったりするわけですけども。
ちなみに前作の『魂のゆくえ』は、1.37対1の、スタンダードサイズなんですね。つまりこういう感じでやっぱり、さっき言ったアレクサンダー・ディナンさんと一緒に、ポール・シュレイダー、いろいろもう画面サイズからして、ちょっと仕掛けてきている感じ。アスペクト比からして仕掛けてきてる感じ、しますよね。
で、とにかく、これもさっきのメールにあった通りで、オープニング、タイトルが出るところ。カジノのカードテーブルの緑があって、その上に、まあ60年代っぽいっていうのかな? 60年代っぽい、ちょっと下に黒い縁取りというか影がついたようなフォントのクレジットが載る。この、素っ気ないまでにクールなオープニングからして、無性にかっこいいっていうか、「うわっ、これは……俺、こういうので始まる映画、好きだわー!」(笑)って感じがするというね。
で、これぞポール・シュレイダー節な、主人公のモノローグ。主人公のウジウジしたモノローグっていうのはこれ、もうポール・シュレイダー節。で、モノローグで……これはもうラストとも対になってることですけども。オープニングはラストと完全に対になっているんですけども……当然これね、「心の牢獄」ということのメタファーでもある。これ、カルヴァン派っていうのが、心の牢獄……要するに肉体っていうのは精神の牢獄だ、っていうような、そういう教えをしてるらしいんですけども。心の牢獄ということのメタファーでもあろう、刑務所にいる。
で、「自分は刑務所に意外と合っていた。順応しきった」ったみたいなことを独白しているわけです。でね、ここはすごく典型なんですが、この作品、物だけを映していたり、あと人がいない部屋とかを捉えるショットみたいなのが、結構頻出していて。これがまた、すごく鋭く、深い味わいがあるんですよね。
地道極まりないカード・カウンティングに精を出すオスカー・アイザック。間違いなくベストアクトのひとつ
で、彼は「刑務所が合う」なんて話をして。じゃあシャバに出て何してるか?っていうと、僕ね、ここがポイントだと思います。「カジノの意味があんまりない」って(感想を)おっしゃっている方がいたけれども……その中にいると昼も夜もわからない、つまり、現実の社会や人生からは乖離した、実はひたすらのっぺりした狭間の世界。要するにそこ自体がもうなんか、ちょっとモラトリアムな世界っていうか、そんな場所であるカジノ。で、その自分なりのルールとテクニックで、ひっそりと人生を浪費している……まあカード・カウンティングっていう、一応(ギャンブルに勝つための)テクニックですけど、全然、楽しそうじゃないんですよね。ただのもう、作業みたいな感じ。
しかもカード・カウンティング、実際にあれで儲けるのって、本当に地道な作業が必要なんで。全然爽快でも何でもない、ただのひっそり生きるための……人目につかず、昼も夜もない、あの世とこの世の狭間みたいな世界。それがカジノであり、彼にとってのカード・カウンティング、ってことなんすよね。それをやっている主人公。
これ、火曜パートナーの宇垣美里さんも『女子SPA!』の連載でですね、「こぼれるような色気」と評されておりました、オスカー・アイザックの陰影豊かな、まさにハードボイルドな佇まい……その眼差し、一挙手一投足、まずはいちいち、目が釘付けになってしまいますよね。決して多くを表に出す役柄ではないにも関わらず、この吸引力。僕は間違いなくオスカー・アイザック、ベストアクトのひとつだな、という風に思いますね。
主人公が新たなモーテルで必ず行っているらしい、ある「奇妙なルーティン」の不穏さ
しかし、そこはポール・シュレイダーさん、主人公の一見クールに制御されたルーティン、ライフサイクルというのには、でも既に、静かな狂気がにじみ出ている。まず序盤からですね、要所で……まだ何も起こってないんですよ? まるで死者のささやきのように、不吉な吐息みたいなものが、何回も差し込まれる。なにか彼がやるたびに、「ハー……」みたいなのが聞こえるわけです。こんな感じで、サウンドとか音楽演出、何もまだ起きてない段階で、とてつもない緊張感を作品全体にみなぎらせている。これ、ブラック・レベル・モーターサイクル・クラブのロバート・レヴォン・ビーンさんによる、一種呪術的な音楽、あるいは歌っていうのがこれ、全編で非常に大きな効果を上げている作品でもありますね。ちょっとサントラ、改めて聴きたくなるような感じ。
またですね、たとえばオスカー・アイザック演じる主人公が、新たなモーテルに入るたびにやっているらしい、ある奇妙なルーティン。先ほど、金曜パートナーの山本匠晃さんもおっしゃってました。具体的になにかはちょっと、一応言わないでおきますが。観てください、なかなかギョッとしますんで。しかもずっと作業してるのを、こっちの、部屋のドアが見える側から撮ってるのを、作業が終わったところで、逆側にカメラが行くと、部屋全体が見えて。「うわっ、ヤバい! こいつ、ヤバい!」っていうのが一発でわかる、みたいになっている。
なんでも、ポール・シュレイダー1982年監督作『キャット・ピープル』のプロダクションデザイナー、フェルナンド・スカルフィオッティさんという方が、本当にああいうことをやっていた。つまり、「自分の美意識に反するようなところには泊まりたくない」っていうことで、ああいうことを本当にやってたらしいんですけど。ただ、本作におけるそれはですね、先ほどもちょろっと山本さん相手に言いましたが、潔癖症とか、あとは自分の痕跡を残さない慎重さ、みたいなものと同時に、どこか……たとえばその、死体処理の際に血が付かないようにとか、そういう禍々しい行為の準備のようにも見える、という。それが非常に不気味だし、実際クライマックスで、「やっぱりそういうことだったじゃねえか!」っていう感じに見える、ということですよね。
アブグレイブ捕虜収容所の内部を見せていくショット。これまで見たことがないほど超フレッシュ!
でもとにかく、そんな闇/病みを抱えた、孤独な……暗闇であり、ちょっとイルな部分を抱えた孤独な男、という極めてポール・シュレイダー的な人物が、じゃあどんな悪夢にうなされているのか。寝ていて、なかなか寝付けない様子なんですが、眼球が忙しく動いている、そのオスカー・アイザックの眼球のところに(カメラが)グーッと寄ってくと、ギャーン!という轟音が鳴りだして。ヘビメタの轟音が鳴りだして、それは、彼自身が捕虜への非人道的拷問に手を染めていた、あの悪名高き、アブグレイブ捕虜収容所の内部の様子。それを悪夢に見ているわけです。
つまり彼は、その非人道性が明るみに出た際、世間の糾弾の直接の対象になった、あの写真の兵士たち……あの、捕虜たちにものすごい残虐だったり、めちゃくちゃひどいことをして。それでピースサインかなんかをしているっていう、人を人とも思わなくなってしまった人たち代表のような、彼らの中の一人だった、ってことなんですね。で、彼はそれを、深く深く悔いているわけです。(非人道的行為を)やってしまった自分というものを。
で、とにかくこのアブグレイブ捕虜収容所の内部、地獄絵図を見せていくショットが、先ほど山本さんも力説していたように……ここなんですよ! あれがすごかった。本当にこのショットがすさまじいです。パンフのアレクサンダー・ディナンさんのコメントによればこれ、「VR動画をVR対応できていないYouTubeやVimeoの画面で見た時の映像をイメージした。映像は奇妙な方法で圧縮され、平坦化される」と言っているわけです。
続けて「戸口は曲がり、人物はフレーム端に向けて歪んでしまう。私はこれに似たものをジョン・フランケンハイマー監督の『セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身』(1966年)で見た。ジェームズ・ウォン・ハウが撮影した作品だ」とおっしゃっていて。これが面白いですよね。このジョン・フランケンハイマーの『セコンド』という作品……これ、たぶん『セコンド』冒頭の、駅の構内をずっと尾行していく視点。それはそれは奇妙で。もう今の目で見てもめちゃくちゃ斬新な主観的ショットっていうのがあるんですけど、これのことを指してるんだと思うんですけど。
で、本作、これを実際に今の技術でどうやったかというと、結局超広角レンズで撮ったデジタルの画を、2.00対1の横長の比率のフレームに再マッピングして、その感覚を具現化した。まあ言ってみれば、地図で言うメルカトル図法みたいなもんだと思ってください。とにかく画面がですね、左右に「めくれて」いく……左右側にめくれて、奥に行く。で、どんどんどんどん地獄絵図の奥の奥に、なんていうか、めくれた先に入り込んでいく、ちょっと見たことがない感じの画なんですよね。そんなめちゃくちゃフレッシュな映像表現が、ここでは展開されている。
そしてそれによって、これは言ってみれば、ほとんどアメリカという国の原罪……というか、いや、軍事組織というものそのものが本質として持っている、絶対的な非人道性のようなものが、強烈に我々の胸に刻まれるわけです。あまりにひどい画だし、それがもう目の前で繰り広げられるから、「やめてー!」っていう感じになるっていう。アブグレイブがひどいのは知っていたけど、本当に「地獄」だった……っていうことですよね。
その意味で、本当は責任者なのにそこに一切の責任も負わず、のうのうと成功者、権力者の座にふんぞり返り続けている……これはポール・シュレイダー作品最多出演じゃないかな?っていうウィレム・デフォー演じるジョン・ゴード自称少佐は、言うまでもなく、現実にも世界中にたくさんいる様々な輩たちの、象徴でもあるわけですね。
ちなみに主人公が名乗る偽名ウィリアム・テルってのは、そういう悪しき権力者を討つものの象徴でもあり……あと、我が子の頭の上にリンゴを乗せて射抜くという、後述する疑似父子関係っていうのがあるわけだけど、その父子関係を連想させるヒーローでもあり。そして「テル」というのは、ポーカー用語で「プレイヤーの癖」というのを示す用語でもあるそうなんですね。そういう風に、いくつも(意味が)かかっている偽名なんですね、ウィリアム・テルっていうのは。
疑似親子関係や大人で純なラブストーリー……積み上がってきた希望の先に主人公を待つ「ある事態」
でですね、そんな感じで、ジョン・ゴードへの復讐心を燃やす、タイ・シェリダン演じるカークという青年と出会い。で、やっぱりその主人公テルはですね、彼をこの冥府魔道に進ませない、自分のような修羅の道に進ませない……彼の人生を救うことで自分の魂をも救おうとするかのような、まさしく劇中で言及があるような、『ハスラー』、わけても『ハスラー2』的な、師弟、疑似父子関係の成立、みたいなものがある。ここの部分はちょっと、カジノ、ギャンブルHOW TOの要素も相まって、ちょっとわくわくさせられたりもするし。あとあの、プールでの会話が切ないですよね。プールで、向いには男の子と女の子が座って……普通の青春を送っている二人がいて、こっちには普通の人生を送れない二人がいて。で、「なに? いつセックスしたの?」みたいな話とかをしているっていう(笑)。これとかが切なかったですね。あの構図とかもね。
あとですね、有名コメディアンを、イメージと全く違うシリアスな役に充てる、というのはこれ、ポール・シュレイダーの監督デビュー作、1978年の『ブルーカラー/怒りのはみだし労働者ども』っていう、これはリチャード・プライヤーを使っている作品でもやっていたキャスティングスタイル。それを再び成功させたとも言える、ティファニー・ハディッシュさん演じるラ・リンダという……彼女との、お互い大人同士であるがゆえの、踏み込みすぎないように一線を保ちながらの、しかし実はとても純なラブストーリー、みたいなのも、これは静かにグッと来る。
しかし、そうやって人間的な希望が少しずつ積み上がってきた先にこそ、やっぱりポール・シュレイダー、主人公が爆発せざるを得ない、ある事態が待ってるわけです……この事態を知ることになる、その伏線の回収の仕方もね、セリフじゃない。スマートですよね。画を一発見ただけで、監督も主人公も観客も、「あちゃー!」ってなる、ということだし。
後味は思いのほかあたたかい。パッと見は地味だが、実は全編一番ヤバい傑作!
あと、本作『カード・カウンター』におけるその爆発というのはですね、『タクシードライバー』より大幅に洗練された、しかし観客の脳内に広がる光景はよりおぞましい、さらに進化・洗練された表現になってるわけですね。まさに「他罰と自罰がないまぜになった」、もう異様な暴力、みそぎ……その極北ですよね、これはね。あれほど禍々しいものを想像させる扉の向こう、というのはですね、僕は『マジカル・ガール』以来かな、と思ったりしましたけどね。本当にね。
で、ラストのラスト。これもね、町山智浩さんやインターネット・ムービーデータベースとかはじめ、いろんな多くの識者の皆さんが指摘される通り、もちろんポール・シュレイダー作品『アメリカン・ジゴロ』『ライト・スリーパー』と同じく、評論家時代のポール・シュレイダーの研究対象でもあった、ロベール・ブレッソンの『スリ』オマージュみたび……ということではあるんですけども。ただ、今回のそれはですね、そのアクリル板を挟んで重なり合う手同士のアップを……こうやって手が重なり合って。最初は普通に重なり合って、手が動いてるんですけど、途中からそれが、超スローモーションになるんですね。で、クレジットが出る……これ、非常に奇妙に印象に残る、やっぱりフレッシュなショットに、改めてしているんですよね。
その直前、主人公テルが去って無人となった独房のショットは、つまり、彼が「心の牢獄」からはついに外に出た、ということを意味するのかどうか……なんにせよ、後味はちょっと、思いのほかあたたかい、という感じじゃないでしょうかね。
ということでですね、フィルモグラフィーの中でも、よりキレキレにもなってるし、でも同時に、さっき言ったようにより成熟もしてるし……アーティストとしてこんな歳の取り方、理想だよね。マジでね。
はい。僕はこれは、やや観念的だった『魂のゆくえ』より、僕自身はこちらの方が、より好みですし。傑作、と言ってしまいたい感じがしますね。とにかくポール・シュレイダー、今こそ目が離せなくなっている!という状況。ぜひ……非常に派手な作品たちがブチ上がってる中で、それはパッ見は地味かもしれませんが、実はやってることが全編一番ヤバいのは、この作品です。ぜひぜひ劇場で、ウォッチしてください!