秋田慎治さん
1972年生まれ、奈良県出身のジャズピアニスト。1997年に渡米し、中村照夫、Stanley Turrentine、Hubert Laws等数々のジャズミュージシャンと共演。

2000年に帰国後は阿川泰子、矢沢永吉などのレコーディングに参加し、2006年にはファーストアルバム『moments in life』を日韓でリリースしました。

思い立ったら即ニューヨーク!ジャズピアニスト秋田慎治さんが渡...の画像はこちら >>

出水:幼少期は何に熱中しているお子さんだったんですか?

秋田:幼少期はクルマが好きだったですね。今でもそうですけど、プラモデル作ったりしたり修理したりしてる子どもでした。

JK:運動は?

秋田:それが、僕が小学校3年生の担任の先生が「来年から男子バレーボール部を作る」って。それで小学校4年生でバレーボール部に入って、小中高と10年間ずーっとバレーボールやってたんです。結構本気のチームで、中学の時には奈良県選抜メンバーにも選ばれたり。

出水:いつごろから音楽に興味をもったんですか?

秋田:姉が生まれた時に両親がエレクトーンを買ってたんですよね。僕も「せっかく楽器があるから、あなたもやりなさい」って言われてたんですけど、全然興味なくて。レッスンの水曜日しか楽器には触りません、っていう子どもだった。そんな中、どこかのタイミングでエレクトーンのプロの演奏を聞いたんですよね。それでカッコイイなと思ってのめり込み、高校時代には文化祭なんかでバンドやろうって言って、キーボード弾いてたんです。

思い立ったら即ニューヨーク!ジャズピアニスト秋田慎治さんが渡米で得たものとは?

秋田:それで高校2年の終わりにプロのドラマーの方と話す機会があって、「人生1回きりだからやりたいことやらないとね」って言われて。

それまでは、高校を出たら心理学とか勉強して、将来は精神的に不安定な人がでてくるだろうからカウンセラーになろうと思ってたんですけど・・・高校出てから音楽の専門学校に行って、そこで初めてピアノを触ったんですよね。

JK:初めてなのにすごいじゃない!

秋田:最初はピアニストにはなれないと思ってたんです。3歳ぐらいからクラシックピアノをやって、体育も修学旅行も休んで練習して、先生に手を叩かれながら頑張る人がなるもんだと(^^;) だけどうっかりピアノが好きになっちゃって、弾けない弾けないっていいながらやってる間に、人前で弾くようになりました。

出水:そして24歳の時にはアメリカに渡ってますよね?

JK:思い切って行きましたね!

秋田:22歳の時に神戸の地震があったんですよ。当時は大阪に住んでたんですけど、その2年後の1月にTVを見てたら「震災から2年が経ちましたね」ってアナウンサーが言っていて、あれから2年が経ったのか、僕は何をしてたのかって思って。忙しかったんですよ、専門学校で教えて、高級ホテルのラウンジで演奏して、朝から朝まで毎日仕事して・・・若いのにろくに練習もせず。

これはイカン!と思って。歌舞伎役者になりたい人が歌舞伎座に行ったことがなかったらおかしいだろう、だったらジャズやってるんだったらジャズの土地に行くべきだ、と。

JK:ああ、なるほど! 良い表現ね。

秋田:その時やってたバンドのツアーが6月まであったので、それを終えた次の日に関空からニューヨークに行きました。

出水:わぁ~Σ(・□・;)

JK:若さですよね、そこでもたもたしてたら成功しない。チャンスって、ありそうでないですもの。

自分の思い切りがないと乗れない。理屈じゃないけど、理屈じゃなくタイミングに乗れる人って違いますよね。

出水:ニューヨーク時代の3年間で得たものは?

秋田:たとえば、今から遡った3年間はあっという間だったんですよ。同じようにニューヨークにいた3年間もあっという間だったはずなのに、すっごいいろんなことを覚えてて・・・ドラムとかリズム楽器の乗り方が違うんですよ、黒人の方だとふつうに1-2-3-4ってリズムを刻むのも違う。それも体感しないと分からない部分なんですよね。それを若いうちに体感できたのは財産です。

JK:じゃあまたニューヨークに行って演奏したいですか?

秋田:そうですね、今の自分が行ったらどうなんだろう? とは思います。

JK:また挑戦してみてください! まだまだイケますよ!

思い立ったら即ニューヨーク!ジャズピアニスト秋田慎治さんが渡米で得たものとは?

出水:3月11日は東日本大震災から13年となります。秋田さんも2011年にチャリティライブを開催したそうですが?

秋田:そうですね、何かできないかなと思ったんですけど、結局僕は音楽しかできないので、幼稚園にピアノを寄贈したりもしたんですけど・・・仙台にボサノバシンガーの方がいて、その人にコンタクトを取って相談したら、快く引き受けてくれて、会場も探してくれて。それが最初で、その後東京の八重洲ホールでオペラの方々とチャリティコンサートもしました。

JK:私もサントリーホールで、何かしなくちゃ!って必死になって三枝さんと一緒に始めて、今もずーっと続いてるんですよ。1人でも2人でも、100人でも1000人でも、来る人がみんな1万円以上お金を出して参加するんです。

こんなのってないですよ! あの時の必死で発想したから。

秋田:今年も錚々たるメンバーですね。ぜひ来年は・・・僕も(^^)

JK:ぜひぜひ! それはまた考えましょう。いろんな経験してるけど、これからやりたいことは?

秋田:僕も自分の中ではピアニストという自覚はあるものの、もうちょっと幅広くというか、大きな視点から音楽をとらえたいと思っていて。ピアノだけに収まらず、もっと言えば「音楽+何か」「音楽×何か」という形で、音楽以外のものと一緒に音楽を作りたい。具体的にはお話できないんですけど・・・音楽と朗読とかはよく聞きますけど。

出水:音楽を離れたところでは、休日どんなことを楽しんでいるんですか?

秋田:そうですね・・・さっき言ったように、クルマ好きでプラモデル好きなんですよ。だから昔はよくクルマ触ったりしてました。最近のクルマはボンネット開けてもカバーがかかってて、いじれないようになってるので、そういうことは離れちゃった。

JK:機械いじりが好きなのね! ピアノもそうだもんね。男の子ね!

秋田:最近よくいうDIYもすごく好き(笑) パッと見手作りじゃないクオリティにしたいんですよ。作るというより、例えば時計があるとして、気に入らないデザインを変えて、塗装して・・・って。それとフランスに「アコーディナ」っていう楽器があるんですよ。ミュージシャンにもほとんど知られてないと思うんですけど。ボタンアコーディオンはボタンが6列並んでるんですが、それは3列だけ箱にくっつけて、息を吹いて演奏する。1940年代に作られて、今はフランスに4人だけ職人さんが工房で手作りしてる。それにハマって、1台持ってるんですよ。それは隙あらば練習してます。すっごいいい音がするんですよ!

JK:面白いじゃない! ピアノ革命じゃないけど、挑戦ね。

秋田:息で演奏する楽器に憧れがあるんですかね(笑)やることが増えました。