米ワシントン州タコマで生まれ育ったジニー・バートンさんは両親が薬物依存症で、7人の子を産んだ母親は麻薬の密売人だった。また父親は凶器を使用した強盗を繰り返し、ジニーさんが4歳の時に刑務所に収監された。
そんなジニーさんがマリファナを知ったのはまだ6歳の時。精神疾患を抱えていた母から勧められたもので、12歳で覚せい剤(メタンフェタミン)、14歳にはクラックと呼ばれる高純度の麻薬に手を出した。
16歳になると、ジニーさんは母から麻薬を買っていた客にレイプされ、17歳で一度目の自殺を図った。
21歳になるとヘロインを注射器を使って打つようになり、ジャックという名の男と一緒に不法滞在するメキシコ人の麻薬ディーラーを銃で脅しては薬物を手に入れた。彼らが警察に行けないことを知ってのことだった。
そして23歳になる頃には酷い薬物依存で苦しみ、薬を手に入れるためならどんなことでもやった。
ジニーさんは「そばを通り過ぎる人がいれば、カバンをひったくった。
「シャワーは長い間浴びず、糞のような臭いのまま街をうろつくの。私が捕まって重罪判決を受けたのは17回、州刑務所には3度収容された。
そんなジニーさんが最後に逮捕されたのは2012年の12月で、これが人生の転機になった。
こうして再生を誓ったジニーさんは、地元でボランティア活動を始め、カトリック教会でホームレスや薬物依存者をサポートする仕事を5年間勤めると、ワシントン州シアトルのコミュニティカレッジ(2年制大学)に入学した。
ジニーさんは「クラスの中では一番年上だったし、かなり大変だった」と笑うが、40歳を過ぎて初めて学ぶことへの喜びを見出し「自分もやればできる」と実感できるようになったという。そしてその後、成績優秀者に与えられる奨学金を利用して同州のワシントン大学に編入。政治学を専攻し、48歳で学位を取得した。
なおジニーさんは卒業後、自身のFacebookに薬物依存で逮捕された2005年のマグショットと卒業式の時の写真を並べて投稿している。
2枚の写真はまるで別人だが、ジニーさんは「人生のどん底にいた私に手を差し伸べてくれた人たちにはとても感謝しているわ。そして私は48歳で大学を卒業したことを心から誇りに思っている。信じられないくらいにね」と述べると、このように続けた。
「何度も途中でやめようと思ったし、楽な道を選ぶこともできた。でも私はあえて困難な道を選び、『努力すればなんだってできる』ということを学んだの。」
「今になって昔の写真を見ると『あの頃の自分は間違っていた』と思う。
「ただ私はこの7年間で、20人以上の薬物依存者の葬式に参列してきた。依存は死と隣り合わせなの。だからこれからも学ぶことを続け、将来は刑務所の改革を行いたい。依存者には罰するだけではダメ。私は薬物依存で苦しむ人たちに、希望を与えていきたいの!」
ジニーさんは最近、薬物依存症の治療を終えた夫クリスさんと一緒にシアトルから同じ州内のロチェスターに引っ越しており、今後はワシントン大学の大学院でガバナンスを学び、修士号の取得を目指すという。
画像は『KMTR 2021年6月11日付「From 12-year-old meth addict to honors college scholar: The redemption of Ginny Burton」(Photo: Ginny Burton)(KOMO)(King County Jail)』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 A.C.)