「愛というのは、最も強いものの一つだと思う。私には姉がいて、彼女は私が経験していることを正確に把握している。
2014年、セリーナ・ウイリアムズ(アメリカ)が、姉ビーナスの存在について米『スポーツ・イラストレイティッド』誌に語っている。セリーナにとってビーナスは道標であり、目標であり、かけがえのない魂の片割れである。
共に世界ランキング1位を経験し、2人合わせて30回(セリーナ23回、ビーナス7回)のグランドスラム優勝、ツアー優勝は122回(セリーナ73勝、ビーナス49勝)、オリンピックのシングルス金メダルは2つ(シングルスで各1)1億7,500万ドル超の賞金を稼ぎ出している。
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まさに“史上最強”と言うべきウイリアムズ姉妹を育てた父リチャード氏の映画『ドリームプラン』は、明日2月23日、日本で公開となる。この映画は、テニス経験が皆無だったリチャード氏が、娘2人にテニスを教え、スーパースターに仕立てあげていくというストーリー。それは、“アメリカン・ドリーム”を成し遂げる家族の物語である。
父が、テニスに興味を持ったのは、カリフォルニア州コンプトンの自宅で、たまたまテレビで全仏オープンを見たから。
といっても、そのプレーに興味を持ったのではなく、高額な優勝賞金に目を奪われたのだという。
1991年、拠点をフロリダ州ウエストパームビーチに移し、リック・マチコーチの指導を受ける。そしてビーナスが94年10月にプロ入り、そしてセリーナが翌95年10月にプロ入り。しかし、学業も大事にする父の意向もあって、すぐさまツアーに専念とはいかず、ビーナスは97年シーズンから、セリーナはその1年後から本格参戦となる。
ウイリアムズ姉妹がツアーを席巻しはじめる
1997年USオープン、ビーナスはグランドスラム4大会目にして、いきなり準優勝(決勝はマルチナ・ヒンギス/スイスに敗戦)。1998年シーズン、ビーナスは全豪、全仏、ウィンブルドンとベスト8、USオープンではベスト4。セリーナは、全仏でベスト16となっている。
先にグランドスラムを制したのは、セリーナだ。1999年USオープン、準決勝でリンゼイ・ダベンポート(アメリカ/当時2位)に勝利して決勝進出を果たすと、決勝では当時世界1位のヒンギスを6-3、7-6(4)で下して、17歳でトロフィーを掲げることになる。
しかし、“妹に先を越された”ことは、ビーナスにとっては複雑な思いだったという。スタンドで妹の優勝を喜ばない様子をカメラに抜かれたビーナスは、後に「メジャー大会で優勝できなかったことは、つらいことだった。姉として、もっとステップアップして、もっとタフになるべきだったという思いがあった。彼女の優勝から学ぼうと思った瞬間だった」と振り返っている。その思いは翌年、結実する。
ビーナスは2000年のウィンブルドンでグランドスラム初制覇を果たすと、続くUSオープンでも優勝を果たすのだ。
USオープンで優勝した際には、「私は、いつもセリーナに勝ってほしいという思いでいるの。だから、ちょっと不思議な気分でもある。私はお姉さんだから、セリーナの面倒を見なければダメ。私が何も持っていなくてもいいから、彼女がすべてを持っているようにしたいの」と妹を慮った言葉も出している。
2002年は全仏オープンからGS4大会連続で姉妹対決となりセリーナが4大会連続優勝
ここからウイリアムズ姉妹が、そのパワーテニスでテニス界を席巻する時代がやってくる。2001年ウィンブルドンでビーナスが連覇、同年USオープンでは、決勝で姉妹対決を演じてセリーナが優勝。
まさに順風満帆というべき結果だが、2001年には、インディアンウェルズ大会で悲劇が起きている。
同年の大会。セリーナは準決勝で姉ビーナスと戦う予定だったのだが、姉は足の故障のために試合直前に棄権が発表される。不戦勝で決勝進出を決めたセリーナはキム・クリスターズを倒して優勝。本来であれば称えられるべき優勝者に降り注いだのは、罵声や人種差別的発言だった。観客たちは、ビーナスの棄権を、セリーナの体力を温存させるための策だと勘ぐったわけだ。
「(あの時)観客の99%は白人で、私にブーイングを浴びせた。人種差別的発言もあった」とセリーナは当時を振り返っている。今となっては信じられないような話に聞こえるが、19年前の世界は、そんな傾向もあったのだ(2度と出場しないと大会をボイコットし続けた姉妹だったが、セリーナは2015年に、ビーナスは2016年に大会出場を果たしている)。
そんな影響もあったのか、2004年シーズンは6年ぶりに姉妹がグランドスラムで優勝を果たすことはなかったが、2005~2010年にかけては、2人で単複合わせてグランドスラム16冠とコンスタントに勝利していく。
その後もセリーナは、“史上最高のプレーヤー”の名にふさわしい活躍で毎年グランドスラムを制覇していく。2015年シーズンには、全豪、全仏、ウィンブルドンと3大会連続で優勝するなど、30代に入っても変わらない強さを発揮。一方、ビーナスに関しては、2011年に自己免疫疾患のシェーグレン症候群(涙や唾液を作っている臓器を中心に炎症を起こす)を発症。その後も、選手としてプレーし続けながらも、深い霧の中を歩むような時間が続く。
「私たちの夢がかなった」
2017年全豪で8年ぶりに
実現した姉妹でのGS決勝
そんな中で迎えた2017年の全豪オープン、8年ぶりに姉妹でのグランドスラム決勝が実現する。「2人で決勝に行くという私たちの夢がかなった」と語ったセリーナ。両者の戦いは、第1セットこそ乱調の展開となったが、第2セットは共に落ち着きを取り戻し、質の高いボールを打ち合う長いラリーが続く見応えある展開となる。そして第10ゲーム、セリーナの渾身のフォアハンドを、ビーナスがロブで対応したものの、これがサイドアウトとなり、セリーナが6-4、6-4で23度目のグランドスラム制覇。決勝を戦い終え、表彰式を待つビーナスとセリーナは、この上なく幸せそうな、穏やかな笑顔をたたえていた。
41歳のビーナスと40歳のセリーナ、女子ツアーでも最年長となる2人だが、そのストーリーはまだエンディングを迎えていない。女子ツアーに“パワーテニス”をもたらした両者、その伝説の終焉はいつになるだろうか。
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