

東京の西、拝島と武蔵五日市を結び、東京駅との直通列車も走るJR五日市線。
起点は八高線・青梅線・西武線が接続する拝島駅、終点は武蔵五日市駅。
この終点 武蔵五日市から先に、線路が伸びていて、旅客列車や貨物列車が行き来していた時代があった。
それが、五日市線 岩井支線。どんな風景だったの?って人は、「五日市線 岩井支線」で画像検索すれば、モノクロ写真でいろいろ出てくるからチェックしてみて。
岩井支線の線路は、武蔵五日市駅からさらに先へ伸びてたわけじゃなくて、武蔵五日市駅のちょい東側(手前)で北へと分岐して、秋川街道沿いを北上するイメージ。
だから武蔵岩井駅を出た電車は、五日市線本線に合流したあと、いったん方向を逆転し(スイッチバックし)、武蔵五日市駅へ進入。また方向を逆転させて、拝島方面へむかった。2度もスイッチバックするシーンがあった。
で、どこまで線路が伸びていたかというと、現在の太平洋セメント日の出工場(太平洋プレコン工業 日の出工場)付近まで。
歩いてみると、岩井支線の跡が……



当時の五日市鉄道(通称 ゴテツ)が敷いた岩井支線の跡は、いまもところどころにある。武蔵五日市駅を出て大通り(秋川街道)を左へと歩いていくと、現在の五日市線のコンクリート高架線をくぐって坂道になる。この坂道の右側に線路が敷かれていた跡地がある。
高架をくぐって10分(900m)ほど秋川街道の坂道を歩くと、右手に日の出町立大久野中学校がみえてくる。この学校のむかい側にある松華飯店付近に、唯一の途中駅、大久野駅があった。