高速バスの開業ラッシュから30余年。バス事業者が地域のニーズに耳を傾け、ダイヤを成長させたことで、地方の人にとって欠かせない足になりました。
高速バスは「時刻表」の上でも、この30余年で大きく変わったとつくづく思わずにはいられませんでした。
2020年7月に発売された『時刻表完全復刻版 1988年3月号』(JTBパブリッシング。以下「復刻版」)を読んだ実感です。これは『交通公社の時刻表』(現・JTB時刻表)の同月号を、表紙から本文まで、原則としてそのまま再現したものです。1988(昭和63)年3月といえば、JR発足の1年後。さらに、青函トンネルや瀬戸大橋が開通したタイミングでもあり、日本の鉄道にとって歴史的なダイヤ改正であったことが、復刻の対象に選ばれた理由でしょう。
しかし、筆者(成定竜一:高速バスマーケティング研究所代表)の目が釘付けになったのは、当然、巻末に近い「長距離バス」のコーナーです。一目見ただけで、鉄道と同様、高速バスにとっても大きな変化の時期だったことが伝わってきます。
そこには、おおむね4つのタイプの路線が混在して掲載されていました。
第一に、県内や隣県の主要都市、観光地を一般道経由で結ぶ、路線バスの長距離路線です。自家用車普及率が今より低く、かつ、大都市圏を除くと国鉄は地域輸送に力を入れていなかったことから、急行運転を行う路線バスが多く走っていました。
第三が、「東名ハイウェイバス」など、国鉄バスが中心になって運行してきた高速バス路線。そして四つ目のタイプが、複数のバス事業者が共同運行を行う高速バス路線です。この時期は新路線がぞくぞくと開業する「高速バスブーム」真っただ中でした。
国鉄が開発した東名高速バス専用車の第1号。つくば市内で保存されている(中島洋平撮影)。
当時の運輸省が共同運行制を認めるまでには、法解釈はもちろん、バス事業者どうしの権益争い、さらには「長距離旅客が高速バスに移ってしまうと、ローカル線の維持が困難になる」として高速バス新設を認可しないよう運輸省に迫った国鉄の動きなど、様々な障害があったと聞いています。
それらを乗り越え、おおむね「起点と終点それぞれで路線バスを運行している事業者どうしが共同運行するのであれば、運輸省は高速バス路線の新設を認める」方針が生まれました。「復刻版」に見られる1988年は、路線バスの長距離路線が徐々に姿を消す一方、共同運行という、当時とすれば新スタイルの高速バスが続々と登場していた時期なのです。
当時の最終は19時頃 いまや24~25時路線の構成と並んで興味深いのが、各路線の運行ダイヤです。「復刻版」と比べると、今日では運行便数が大幅に増加している路線が目立ちます(以下、「現在」といった場合、新型コロナウイルス感染症の影響を受ける前のダイヤを指す)。
現在では17往復まで増加した池袋~新潟は当時わずか6往復。
また便数だけではなく、運行時間帯も拡大しています。「復刻版」では、上り方面も下り方面も、朝の始発が7~8時台、夜の最終便は19時前後というケースが目立ちます。
現在では、地方から大都市に向かう始発時刻は大幅に早くなり、大都市からの最終便は遅くなっています。福島県や長野県では、東京方面への始発が早朝4時台、東京から最終便が到着するのが24~25時台というのが一般的になっています。

長野の松本バスターミナルは朝4時台からオープン。ただし4時20分の新宿行き始発便は2021年現在、新型コロナの影響で運休している。2019年(成定竜一撮影)。
当時は、路線新設に際し、共同運行会社どうしで公平なダイヤになるよう配慮したのでしょう。一方で、実際に運行してみると、利用の多くが「地方の人の都市への足」だということがわかりました。地方部でさらに自家用車が普及し、クルマと高速バスとを乗り換えるパーク&ライドが定着すると、バスターミナルへのアクセスに制約を受けることも少なくなくなりました。
また事業者側は乗務員運用などの工夫を重ね、「朝9時には東京や大阪の本社の会議に出席したい」「コンサートやスポーツ観戦が終わってから地元に帰りたい」といったニーズに対応したのです。
ダイヤほぼ変わっていない路線も なぜ?ただ、中には、「復刻版」当時とダイヤがほとんど変わっていない路線もあります。たとえば名古屋~金沢です。高速道路延伸による所要時間短縮などを除くと、ダイヤはほぼ原形を保っています。当時は、7時30分発から18時30分発までおおむね均等の運行間隔で、かつ上り便も下り便もほぼ同じ時刻に始発停留所を発車する「ミラー(鏡)」のようなダイヤでした。
その後、うち1往復の時間帯をずらすことで、金沢6時30分発と名古屋19時30分発の便を設定し、石川県側の人の名古屋における滞在時間の拡大というニーズに対応しようとしていますが、抜本的なダイヤ改正は行われていません。同じような距離の他路線であれば、需要が大きい地方側発の早朝便と都市側発の夕方~深夜の便に重点を置くダイヤに変わっている例が多いだけに、中途半端な印象です。

金沢駅。1990年代の高架化や、その後の新幹線開業などで大きく変貌した(画像:TPG Images/123RF)。
この路線や、直後に開業した名古屋~福井線が、当時の「生きた化石」のようなダイヤであるのは、共同運行する事業者数が多く、調整が困難なためと考えられます。名古屋~金沢も名古屋~福井も、近く北陸新幹線が金沢から敦賀まで延伸されると、鉄道では乗り換えの必要が生まれるほか、後者については高速道路の延伸(中部縦貫道)による所要時間短縮も見込まれることから、ニーズに合致したダイヤの実現が期待されます。
ところで筆者は、大学2年生だった1992(平成4)年、高速バスターミナルでアルバイトを始めました。
それと同時に、わずか4年の間に、どれほどの新路線が開業したかという点にも驚かされます。共同運行制容認という事実上の規制緩和に加え、バブル経済により、地方部と大都市の間の人の移動が活発であったことが背景にあります。
すべて一般道の鈍行バスだって便利だったこの頃はバス事業者自身も経営体力に余裕があり、新規事業に積極的だったとも言えます。新路線ラッシュが一段落し、バブルが崩壊して以降も、多くのバス事業者らが、特に地方部において、地元のニーズに地道に対応してきたこともわかります。さらに2002(平成14)年の「高速ツアーバス」容認などを経て、東京~大阪などの大都市間路線については、高速バスどうしが、多様な座席タイプや運賃で激しく競合する、さらに新しい高速バス事業のあり方が定着しました。
そんなことを考えていたら、さらに古い「時刻表」に出会いました。高崎経済大学の大島 登志彦名誉教授による『群馬県における路線バスの変遷と地域社会』(上毛新聞社)に、1963(昭和38)年ごろの、東京と群馬県内を結ぶ急行バスの時刻表が紹介されていました。
東武バス(当時は東武鉄道のバス部門)が、東京駅八重洲口(現在、東北急行バスらが発着している停留所)を拠点に、高崎、前橋、伊香保、猿ヶ京、谷川岳方面および太田、足利、桐生方面へ運行していた路線です。高速道路は未開通で、東京駅~桐生は3時間以上かかっていました。
しかし、そのダイヤを見ると、桐生からの上り便の始発は朝6時00分。東京駅からの下り便の最終は22時10分発で桐生への到着は1時25分(今日的な表記では25時25分)。それ以外のダイヤ構成も、群馬県側の人の利便性を優先しつつ、伊香保などの温泉や登山の観光客にも配慮されていて、完成度の高いものです。
そう考えると、1960年代から80年代への四半世紀で、バス業界のニーズへの感度は、いったん「退化」していたのかもしれません。

バスタ新宿開業以前の新宿高速バスターミナル。現在は家電量販店の一部になっている(画像:Cassiopeia sweet)。
そして2021年現在、新型コロナウイルス感染症による需要減少で、多くの高速バス路線が減便、運休に追い込まれています。いつかこの問題が「収束」した際、需要のあり方は「コロナ前」と同様なのか、それとも変化しているのか――市場の声に耳を澄ませ、ニーズに合った運行ダイヤを目指すことが重要だと、古い時刻表たちから改めて教えられた気がしました。
【動画】真夜中3時38分始発の東京駅行き高速バスに乗った!(ただし現在運休中)