EU統合で各種の障壁が取り払われてきましたが、鉄道システムでも同様です。信号システムを効率的な統一規格にしていく動きが加速しています。
風情ある益子焼の容器に入った温かい峠の釜めし。具材のなかに「あんず」は必要か、いらないのか。うら若き女子高生だった昔、信越本線の横川駅で機関車を連結する待ち時間に友人たちとキャーキャー買いに走り、そんな議論に談笑したことは何十年も経った今でも鮮やかな思い出です。
66.7‰という日本最大級の急勾配の「碓氷峠」を越えるために、補助の機関車を連結・切り離していたのが横川駅でした。1997年の新幹線の開業とともに、横川~軽井沢間は廃止され、この風景も見られなくなってしまいました。
脳裏にひっそりとしまわれていた青春時代の記憶を呼び起こしてくれることで大好きだったのが、つい最近までドイツ東部ドレスデン中央駅で行われていた機関車交換の待ち時間でした。
ドレスデン中央駅で連結されたチェコ鉄道の機関車(2012年、赤川薫撮影)。
ただし、横川駅とは事情が異なり、こちらはドイツからチェコへと旅を続ける国際列車「ユーロシティ」が国境を越えるための機関車「取り換え」です。
国によって「列車制御システム」がバラバラだったため、機関車を「ドイツ鉄道」のものから「チェコ鉄道」のものに交換していたのです。
鉄道の「国境問題」は、欧州内で長年にわたって頭痛のタネでした。東西冷戦が終わり、国境検問が簡略化された1990年代初頭から、国別で異なる運行方式を一元化してシームレスな一つの鉄道網を目指すべく、共通規格「ETCS (European Train Control System)」を各国が少しずつ導入してきました。つまり鉄道においても「欧州統合」を目指したのです。
導入の進捗状況は国によって異なり、特にドイツでは遅れていました。1990年の東西ドイツ統一後、両ドイツの鉄道網を統合することで手いっぱいだったことや、旧システムの耐用年数がまだあったことなどが響いています。

ドレスデン中央駅で機関車の交換を車内で新聞を読みながら待つ乗客。今はこの風景も無くなってしまった(2014年、赤川薫撮影)。
ですが、最近の環境意識の高まりにより、欧州では自動車や飛行機よりも二酸化炭素の排出量が少ない鉄道への期待が過熱しており、一丸となってこの「鉄道の国境問題」を打破しようとしています。
ドイツ~チェコ間でも、2018年6月をもって単一機関車での「国境越え」が実現。ドレスデン中央駅で行われていた機関車交換も、ようやく過去のものとなりました。
といっても、事情は少々複雑です。チェコ鉄道の広報に取材したところ「ユーロシティが走る区間にまだETCS未整備のところがあるため、苦肉の策でETCSだけでなく、両国の旧来の制御システムも搭載することで直通を可能にした」そうです。
とはいえ、長年かけて単一通貨ユーロを導入したように、今後はETCSの普及が急ピッチで進み、鉄路の国境の壁はますます低くなりそうです。
EUの「信号システム統一」への投資熱がガチすぎる!欧州連合(EU)のインフラ投資基金、コネクティング・ヨーロッパ・ファシリティ(CEF)は2027年までに、258億ユーロ(約4.7兆円)の巨額予算を「輸送分野の拡充」へ振り分ける予定です(オランダの鉄道専門オンライン紙レイルテックによる)。

ドイツの高速列車ICE(画像:写真AC)。
なかでも特に力を入れているのがETCSの導入助成なのです。鉄道の欧州統合という目的が達成できるうえ、さらに他の効果も期待できるからです。
ETCSは線路に埋め込む地上子と車体に搭載する装置が連携し、列車が適正な速度で走っているか監視する仕組みが備わっています。旧来システムとは違い、線路わきの古い固定信号に紐づいていないため、誤作動の恐れも少なく安全性も効率も向上します。ドイツ鉄道はこの新システムで制御された状態を「デジタル線路ドイツ」と呼び、導入の遅れを取り戻すべくETCSを全面導入して「線路わきの信号機」をすべてなくそうとしています。
導入完了の時期について、ドイツ鉄道の広報担当者は取材に対し言葉を濁しましたが、ドイツメディアは「2030年」と報じています。2040年代半ばには欧州全域に広がっている可能性がありそうです。
ETCSを含む列車制御システムの世界市場規模は、2021年度で 128億ドル(約1.9兆円)にもおよびます。今後、デジタル化の進展にあわせて2022―2031年に平均で年5.5% 成長し、217億ドル(約3.2兆円)に達すると見込まれています。
巨大市場になりつつあるETCSに、実は日本企業もからんでいます。ETCSの研究・開発を強みとしている仏電子機器大手「タレス」の信号事業について、日立製作所が16億6000万ユーロ(約2150億円)で買収すると2021年に発表しているのです。
「最先端技術」は田舎の「最長老の機関車」にも!?このタレスの技術開発現場のひとつが意外なことに、1909年の開通当時のままの面影を残す、ドイツの古い路線「カッコウ鉄道(Kuckucksbahnel)」にあります。
手動切り替えポイントが残る風情ある線路のところどころに鮮やかな黄色のETCSの地上子、ユーロバリスが埋め込まれている風景は、一瞬、違和感があるように感じます。ですが、よく考えると非電化ゆえに線路わきに電気信号機がない同路線は、ドイツ鉄道が目指す将来の路線像そのものなので、理想的なテスト環境なのです。取材当日にトーマスさんが運転していた1927年オーストリア製の蒸気機関車「BBO 378型378.78号機」も、今後ETCS対応にするというのですから驚きです。
ETCS車上搭載の初期費用は、車両の状態で大きく異なりますが、平均40万ユーロ(約6400万円)と高額です。EUからの補助金はありますが、「初期費用を全額賄えるとは思えないし、故障した時は補助金が再び使えるか分からない」とトーマスさんは語ります。
隣国に行くことはまずありえない古い蒸気機関車に、高額なETCSを搭載する意味はあるのか。意地悪く聞いてみたところ「苦情は全く出ていない」(トーマスさん)。「みんな結局のところはEU本部を信じているから大丈夫!EUがなんとかしてくれるよ!」と前向きです。欧州内で悲願だった鉄道における欧州統合が実現する日も近そうです。