東九州道の建設にあたり、土地の引き渡しを拒否しているみかん農家の男性。しかし、単に反対しているわけではなく、ユニークな面も見られます。

はたして男性は何を主張しているのでしょうか。また、その主張にはどんな意味があるのでしょうか。

みかん農家の岡本氏がユニークな点

 福岡県内の東九州道建設予定地で2015年9月、行政代執行による強制収用が行われ、あくまで土地の引き渡しを拒否しているみかん農家・岡本栄一氏が、再び話題になっています。

 低い尾根に長く広がっている岡本氏のみかん農園。その真ん中を東九州道が通過する計画のため、農地は分断され、予定地部分は尾根が掘り崩されて切り通しになります。

 高速道路建設に反対して買収を拒否する地主は少なくありませんが、近年、行政代執行にまで至る例はほとんどなく、前回2015年7月、そのみかん農園で実施された行政代執行の際は、県の職員に抱きかかえられるようにして排除された岡本氏に対して、ネット上で広く同情の声が集まりました。

 がしかし、すでに土地の収用手続きは終了しており、現在、岡本氏に土地所有権はありません。

 ただ岡本氏がユニークなのは、単に土地の買収を拒否しただけでなく、代替ルートを提案したことにあります。それは「山すそルート」といわれるもので、氏は「そちらに変更すれば、建設費は半額に抑えられる」と主張しています。

 実は私(清水草一)も、『首都高はなぜ渋滞するのか!?』(2000年刊)という著作のなかで、「外環道東京区間は環状8号線の地下に変更すべし」といった代替ルートを提案。設計まで考えた経験があるので、岡本氏の熱意に同志的な感情を抱かないわけではありません。

 東九州道を始めとして、ほとんどの高速道路のルート決定は、建設省(当時)が主導し密室で行ったものです。

唯一の例外は現在建設中の首都高横浜環状北西線ですが、そのほかはすべて住民のあずかり知らぬところでルートが決定されました。

「ここを通ることになりました」と言われたら、土地所有者は最終的には立ち退くしかありません。それに納得できない人が一部出るのは当然のことでしょう。

東九州道と、インドがいまひとつ発展できない理由

 しかし、私権の主張がすべて認められると、公共事業はなにもできないというのも事実です。

 たとえば、インドがいまひとつ発展の波に乗れないのは、「私権が強すぎるからだ」と大前研一氏は述べています。インドにはいまだに高速道路がほとんどありません。建設計画はあるものの、多くが住民の猛烈な反対でとん挫しています。インドは植民地支配からいきなり民主制になったことで国民の公共意識が育っておらず、「みんなのために譲る」という考えがないため、とのことです。しかし、インフラがなければ経済発展できません。

 東九州道の未だ開通していないこの区間は、地方路線のなかでは重要度が高く、それなりの交通量が見込めます。付近にはトヨタ日産・ダイハツの自動車工場もすでに立地しており、並行する国道10号線は渋滞に悩まされていました。

 ただ現在はバイパスや東九州道の部分開通で緩和されていますし、未開通区間にも並行してバイパスがあるため、特に混雑が激しいという状況でもありません。

 しかし、だからといって高速道路をつなげなくていい、という話にはなりません。実際に岡本氏も、高速道路の必要性は部分的に認め、だからこそ代替ルートを提案しているのです。

岡本氏の代替ルート、その合理性は?

 その代替ルートですが、合理性はあるのでしょうか。

 私、清水草一個人的には、「傾聴に値する面はあるものの、あえて変更するほどの合理性はない(なかった)」と考えます。

 なによりもまず、現在の予定ルートは、最短距離に近い直線を描いています。これが不可解な遠回りでいたずらに建設費を増大させているなら別ですが、不自然なルート取りでないことは確かです。

 岡本氏の「山すそルート」は、やや遠回りで、カーブも若干きつくなります。また、「建設費が半額になる」という根拠のかなりの部分が、「暫定2車線ではなく完成2車線とする(将来的な4車線への拡幅を想定せず、2車線確定で建設する)」「建設資材を安いものに変更する」という点に依っていて、ルート変更そのものによる建設費の低減は、到底半額まではいきません。なお、すでに完成している部分を放棄してまでルート変更するのは、いまとなっては論外です。

 暫定2車線高速の不合理性については、私も過去に主張していますが、東九州道のこの区間は地方路線としては将来性が高く、いずれ4車線化される可能性は低くないと考えています。

※暫定2車線高速の不合理性について
http://trafficnews.jp/post/42512/

 そのため、やはり岡本氏の「山すそルート」の出発点は、自分の土地を売りたくないというところにあると思わざるを得ず、公共性や合理性が高いとはいえません。

 父から受け継いだみかん農園が高速道路で分断される無念は察するに余りありますが、これを「国家権力の横暴であり、中止すべきだ」と言うことはできないのではないでしょうか。

我々国民が享受しているあらゆる公共サービスは、すべてある程度、国家権力の横暴(=私権の制限)によって実現していることを、思い起こす必要があります。

「日本国憲法」の第29条第3項には、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。」と記されています。

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