発艦と着艦、どちらの方が難しい?

 旧日本海軍の空母をよく見ると、飛行甲板の後端の左右に小さな張り出しがあることに気づきます。一方、同時代のアメリカやイギリスの空母には、このような張り出しは見られません。

この「ナゾの耳」のようなものは、いったい何だったのでしょうか。

【日本唯一!】ドイツ生まれの客船を転用した改造空母です(写真で見る)

 そもそも、空母という艦種が生まれたのは今から100年ほど前のこと。黎明期である1918年9月、世界で初めて全通飛行甲板を備えた「アーガス」がイギリスで竣工すると、艦上機の運用が劇的に改善されました。

 特に発艦に関しては、風上に向かって空母が進むことにより、ちょうど凧揚げをするときに風に向かって走りながら風に乗せて凧を上げるのと同じ要領で、艦上機を飛び立たせることができました。艦上機が向かい風に乗ることで、飛行甲板という短い滑走距離でも容易に発艦できるようになったのです。

 しかし問題となったのは、艦上機が空母に帰ってくること、すなわち着艦でした。発艦時と同様、向かい風を受けて揚力を得ながら速度を落とし、車輪を飛行甲板に降ろせばよいのですが、問題は、艦上機が着艦する飛行甲板の狭さでした。

 当時の陸上飛行場は、広い平地をそのまま滑走路にしたような広場が一般的でした。こうした広い平地であれば、車輪を接地させる場所が前後左右に多少ズレたとしても、そのまま安全に停止することができます。

 ところが空母の場合は、左右の幅と前後の距離が厳密に制限された飛行甲板の真ん中に、艦上機を正確に着艦させる必要がありました。もし正確な位置に着艦できなければ、艦上機に備えられた着艦フックで飛行甲板上の着艦制動索(ワイヤー)を捉えて停止することができず、運が良ければ着艦復行(やり直し)、最悪の場合は飛行甲板から海に落ちるか、甲板上に並べられた他の艦上機にぶつかるといった大惨事になりかねません。

日本と米英で異なる考え方

 安全で正確な着艦をするためには、車輪を接地させる飛行甲板の左右中央と前後の位置をパイロットが把握することが極めて重要となります。

日本の空母だけになぜ? 飛行甲板の端っこから飛び出た「ナゾの...の画像はこちら >>

旧日本海軍の空母「龍鳳」(画像:アメリカ海軍)

 そこで日本海軍は、空母の飛行甲板の後端部分に、赤と白の塗料で縦縞(ストライプ)の塗り分けを施して後端であることを示し、さらにその後端部直前の飛行甲板の左右に、ここが飛行甲板の後端であると確認できるよう小さな張り出し、つまり「耳」を付けたのです。そしてこの「耳」も、状況に応じて赤白の縦縞で塗り分けられました。ちなみに、正式名称は「航空機着艦標識」と言います。

 さらに日本海軍では、艦上機の着艦に際して、パイロットが降下角度を適正に維持できるよう、光のサインで誘導する「着艦指導燈」を開発し導入しました。つまり、飛行甲板の後端を示す赤白の縦縞塗装や航空機着艦標識(耳)と、着艦指導燈の光を組み合わせて、パイロット自身が目視で進入角度と位置を調整するシステムを確立したのです。

 対してアメリカやイギリスの空母では、飛行甲板の後端部に目立つ塗装を施すことはありましたが、主に「着艦信号士官(LSO:Landing Signal Officer)」と呼ばれる誘導員が、両手に持ったパドル(標識板)を振って着艦の進入誘導を行っていたため、日本のようにパイロットが自らの判断のみで進入を調整する必要がありませんでした。

 このように日米英でアプローチの違いはありましたが、日本が採用した「着艦指導燈」の概念自体はその後、イギリス発祥のミラー・ランディング・システムなどを経て発展を遂げ、現代の空母の光学着艦装置として今日も使われています。

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