2017年4月8日の運行で、世界でも珍しい寝台電車583系が現役を引退しました。なぜ生まれ、そして消えていったかのか、半世紀にわたる活躍を振り返るとともに、今後の寝台電車の可能性を探ります。
2017年4月8日(土)の運行で、国鉄型特急電車583系の最後の編成が現役を引退しました。
1968(昭和43)年に登場したこの583系電車と、その前年に登場した581系電車は、鉄道ファンにもっとも愛された特急形電車のひとつです。
団体列車として運行した583系電車(2014年12月、杉山淳一撮影)。
その最大の特徴は「昼夜両用」でした。昼間は4人掛けボックスタイプの座席車として運行し、夜間は三段ベッドの寝台車に変身します。その仕組みは、アニメや特撮映画の合体変形メカに通じる面白さでした。『科学忍者隊ガッチャマン』や『マジンガーZ』が放送開始した1972(昭和47)年に、581系・583系電車は総勢434両となります。この数は、当時の特急用電車形式としては最大勢力でした。
先に登場した581系は、直流電化区間と西日本の交流電化区間(60 Hz)に対応していました。そして翌年、この581系のモーター付き車両を、東日本の交流電化区間(50 Hz)にも対応させるかたちで583系が登場しました。先頭車などモーターのない車両は、581系と583系で共通でした。製造数としては583系のほうが圧倒的多数です。
世界初の寝台電車は1902(明治35)年にアメリカで実用化されたそうです。しかし、583系のように、寝台と座席を変換させる車両はとても珍しく、海外には例がないようです。かなり特殊な仕様とはいえ、前述のように、一時は特急電車の最大勢力となっています。なぜ、大仕掛けの583系が大量に作られたのでしょうか。583系が登場した背景と活躍を追うと、むしろ日本の鉄道を取り巻く環境が特殊だったといえそうです。
583系誕生の背景583系誕生のキーワードは「長距離電車大国ニッポン」「高度経済成長」「赤字国鉄」です。海外では電車は短い編成で短距離に、客車は長い編成で長距離に使われました。しかし、戦後の日本では通勤ラッシュ対策のため電車の導入が進み、混雑区間に乗り入れる長距離電車も電車化が進みました。1958(昭和33)年に東京~大阪間で電車特急「こだま」が走り始めると、客車特急より所要時間が短縮されて人気列車となりました。駆動方式も新しく、当時の一般的な電車のようにうなるような音もありません。
これほど静かなら、寝台電車を作っても眠れるでしょう。
ところが、ここでもうひとつの問題が浮上します。新たに寝台電車を増やしても、日中の保管場所が足りません。国鉄は1964(昭和39)年から赤字経営になっていました。列車を増やす必要がある反面、設備投資を最小限にする必要がありました。そこで車両の増加と複線化を優先し、車両基地の増強は後回しとしました。列車は増やしたい。しかし保管場所はありません。
それなら車庫で長時間待機させるより、走りっぱなしにしよう。和室に布団を敷いて寝室にするように、昼間は座席、夜間は寝台で運行しよう。この奇抜なアイデアを実現化した電車が583系です。昼間は4人掛けボックスシート、夜間は3段ベッドです。向かい合った座席の座面を引きだして下段ベッドとし、天井に格納した中段ベッド、上段ベッドを組み立てます。

向かい合わせボックスシートの天井部分に中段・上段寝台を格納している。

下段ベッドをセットした状態。客車A寝台より若干幅が広かった。

ゆったりとしたボックスシート。新婚旅行客や1人客などから不評だった。
昼間の座席は方向転換できず、ボックスシートになるため、当初は急行用として考えられました。しかし、夜行特急として500 km以上の距離を約8時間で運行した場合、同じ区間で昼間に急行として運行すると10時間を超えてしまいます。
当時の特急の座席はリクライニングしなかったため、難点は方向転換できないことだけでした。座席の方向転換はできませんが、寝台で使うため、向かい合わせた座席の足下はグリーン車より広く、クッションは厚くなっています。客車の寝台は区画ごとに壁があります。この壁をなくして広く見渡せる車内にしました。天井が高いこともあって、この座席は広々とした豪華な印象を与えました。
583系の隆盛と終焉1967(昭和42)年10月のダイヤ改正で581系がデビューしました。南福岡電車区に配置され、博多発の夜行特急「月光」として新大阪へ向かい、折り返して昼間の特急「みどり」として大分に到着。翌朝の「みどり」で新大阪へ向かうと、その夜に「月光」として新大阪を発車。翌朝、博多へ戻り、その日の夜に再び新大阪へ、というパターンでした。昼間の気動車特急「みどり」と、夜行の客車急行「海星」を電車化してスピードアップ。
翌年、1968(昭和43)年10月から583系が東北本線に登場します。青森運転所に所属し、上野~青森間で昼行特急「はつかり」、折り返し夜行寝台特急「ゆうづる」として走りました。583系電車の「はつかり」は、キハ80系気動車時代に比べて所要時間を約2時間も短縮し、上野~青森間を8時間30分で走りました。これは、青函連絡船経由の上野~札幌間の時間短縮にもつながり好評でした。
関西と九州を結ぶ特急も583系化が進み、季節臨時列車を含めて夜行4往復、昼行3往復になりました。このときの国鉄の新製車両は575両。そのうち175両が583系でした。これ以降、毎年のように既存列車の583系への置き換えが進みました。座席と寝台の転換は車両基地で行われていましたが、西鹿児島(現・鹿児島中央)発京都行きの夜行寝台特急「きりしま」は終着が昼前になるため、走行中に座席転換が行われました。また、名古屋~博多間の夜行寝台特急「金星」の車両を名古屋~富山間の昼行特急「しらさぎ」に使うなど、583系の特長を活かした運用も行われます。
変化する時代、あまる在来線特急車両 583系は…しかし、583系の増備は1972(昭和47)年が最後となりました。
晩年の583系は、大阪~新潟間の夜行急行「きたぐに」として残り、「シュプール号」などの臨時列車用として残されました。そのほかの大量の余剰車は普通列車用に改造され、九州、北陸、仙台地区で通勤や通学に利用されました。「きたぐに」は2013年に運行を終了。普通列車に改造された車両はその前年にすべて引退。JR東日本が臨時列車用に残した1編成6両も、2017年4月8日(土)の運行を最後に引退しました。1967(昭和42)年の登場から50年。583系の歴史は、長距離列車の実情を映す鏡だったといえそうです。
走り続けている「583系の遺伝子」 285系現在、583系のように座席と寝台を可変する寝台電車はありません。しかし、寝台電車は現在も走っています。1998(平成10)年に登場した285系電車です。東京~出雲市間を結ぶ寝台特急「サンライズ出雲」と、東京~高松間を結ぶ寝台特急「サンライズ瀬戸」に使われています。昼行列車としての運行はしません。しかし、機関車と客車の寝台列車に比べて所要時間が短く、折り返しで機関車の付け替えが不要という、電車寝台の利点は583系の思想が生きています。

285系電車で運行されている寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」(2009年2月、恵 知仁撮影)。
屋根の高い外観や、先頭車の貫通扉も583系の遺伝子といえそうです。583系の先頭車貫通扉は、ほとんど使われませんでした。晩年の臨時列車「シュプール号」で485系電車と連結したときくらいでしょうか。運転台に隙間風が入ると乗務員に不評だったため、多くの先頭車が扉を埋める改造を行ったそうです。
285系は寝台列車の復権をかけて導入されました。航空機や新幹線の最終便のあとに出発し、航空機や新幹線の始発便よりさきに目的地に到着します。夜の時間を移動に使い、目的地まで乗り換えなしで行けます。その需要は583系の開発当時ほど大きくありません。しかし、寝台電車を必要としている人はいます。中国では高速鉄道にも寝台タイプがあります。日本でも寝台新幹線があったら、一定の需要はあるかもしれません。
また、晩年の583系の臨時列車のなかには、通路を挟んで片側を寝台、片側を座席とし、1人で寝台と座席をひとつずつ使えるという企画もありました。居間と寝室を備えたクルーズトレインを先取りするようなコンセプトで、583系ならではのユニークな使い方でした。年末年始の臨時列車の需要はありますから、こんな電車を開発して、オフシーズンにお手軽な観光列車があったらいいですね。
こうした発想も583系電車があればこそです。必要に迫られて生まれた奇抜な発想の583系電車は、鉄道車両の可能性を示した記念碑といえるでしょう。