長らく使用された陸自の「L-90」高射機関砲には、2度の実戦待機経験があります。それらの史実を通し、戦闘機やヘリコプターの脅威を機関砲の側から眺めてみました。
最近の電子機器の小型高性能化は凄まじいものがありますよね。身近なところで言うと携帯電話。一定の年齢以上の方なら覚えておられるかと思いますが、いま(2018年)から25年前はインターネットへの接続もできず(iモードの開始は1999〈平成11〉年)、まだポケベルや公衆電話が全盛でした。
かつて陸自高射部隊に広く配備されていた「L-90」こと35mm 2連装高射機関砲。砲座には中央に射手、左右に装弾手の計3名がついている(2008年10月、柘植優介撮影)。
それは兵器の世界も同じで、たとえば対空火器に関しても四半世紀前はまだ機関砲が主流でした。陸上自衛隊でいえば、地対空ミサイルは大型の「ホーク」や81式短SAMだけで、最前線の近距離防空は35mm 2連装高射機関砲、通称「L-90」というのが全国で用いられていたました。
L-90はスイスの名門兵器メーカーであるエリコン社が第二次世界大戦後に開発した対空砲で、レーダーと連動して高い命中率を誇るのが特徴でした。陸自は1969(昭和44)年に採用するとライセンス生産で大量調達し、約40年に渡って運用し続け2010(平成22)年3月に最後の部隊から退役しました。

2008年10月26日、岩手駐屯地の記念行事にて展示された「L-90」(2008年10月、柘植優介撮影)。


ここまで長らく現役運用されていたため、陸自の装備としては珍しく「実戦待機」したこともあります。しかも1度のみならず2度も。
そのような貴重なL-90の「実戦経験」を振り返ってみましょう。
正体不明の航空機を撃墜せよ!1976(昭和51)年9月6日、午後1時38分、函館空港の上空にソ連(当時)のMiG-25戦闘機が突如飛来、強行着陸の末、乗ってきたベレンコ中尉はなんと亡命を要求したのです。

ベレンコ中尉が搭乗していたMiG-25の同型機(画像:アメリカ空軍)。
この最新鋭戦闘機(当時)の亡命に対し、防衛庁(当時)/自衛隊はソ連特殊部隊が奪還に来ると情報をつかんだため、空港の4km東にあった函館駐屯地に対し戦闘命令を発令、1週間後の駐屯地夏祭りで装備品展示用に使う予定で持ち込んでいた61式戦車とL-90を、函館駐屯地司令を兼任する第28普通科連隊長の指揮下に組み込み、実戦待機させたのです。
そこでL-90は駐屯地内で一番開けている場所であるグラウンドに布陣したのですが、射撃準備が完了した矢先、なんと陸自の対空レーダーが所属不明の3目標を発見したのです。またその直後には駐屯地グラウンドに布陣するL-90の捜索レーダー(スーパーフレーダーマウス)でも一直線に函館空港にむかう3目標を捉えました。
「ソ連軍機が来襲した!」函館にいる指揮官の誰もがそう思ったそうです。すぐさまL-90は射撃態勢がとられ、実弾が装填されました。連隊長は確実を期すためにレンジャー塔(駐屯地内で一番高い建造物)に陣取る監視班へ目視での機体識別を指示しました。
「発射用意!」の号令とともに、L-90と捜索レーダーも3目標を自動的に追尾開始、射手は命令と同時に射撃できるよう発射ボタンに手を置いてその時を待ちます。
その時でした。L-90の傍らで双眼鏡を覗いていた射撃小隊長が「目標は航空自衛隊機。
すかさずL-90から実弾を抜くよう号令がかかり、こうしてL-90の射撃は行われずに済みました。

被牽引状態のL-90(2009年9月、柘植優介撮影)。

L-90の捜索レーダー、スーパーフレーダーマウス(2009年9月、柘植優介撮影)。

スーパーフレーダーマウス1基、連装機関砲2基、電源車3台で1セット(2009年9月、柘植優介撮影)。
そもそもなぜ、空自のC-1の飛行情報が陸自に届いていなかったのでしょうか。それは札幌の北部方面総監部(函館の上級司令部)に常駐する空自の連絡幹部も知らない飛行情報だったからです。一方で空自側には函館駐屯地内に対空機関砲が設置され、駐屯地全体が臨戦態勢にあるなど知らされていませんでした。お互いに隠密に動いていたことが仇となったのです。
それでもレーダー情報だけに頼らず、最後に目視確認までしたのが功を奏しました。こうして昭和の大事件でのL-90の出動は何事もなく終わりました。
時は変わり平成の世、再びL-90の力を借りる時が現れました。それが1995(平成7)年3月22日から始まったオウム真理教の強制捜査です。この新興宗教はその2日前に「地下鉄サリン事件」(死者13人、負傷者約6300人)という無差別化学テロを引き起こしていたため、強制捜査はそれ以前から実施することが決まっていたものの、捜査員はガスマスクや化学剤検知器(鳥かごに入ったカナリアは有名)を携行し、機動隊が周囲を警戒するなど物々しい雰囲気のなか行われました。

アフガニスタン空軍のミル17ヘリコプター(画像:アメリカ空軍)。
その捜査になぜL-90が必要になったかというと、それはオウム真理教が旧ソ連製のミル17(Mi-17)ヘリコプターを所有していたからです。警察の強制捜査に対抗してこのミル17を急きょ発進させ、上空からAK-47自動小銃を撃ったり、場合によってはサリンをはじめとした化学剤を散布したりする可能性があったからでした。そのため捜査対象となった山梨県上九一色村(現、富士河口湖町)のサティアン地区近傍の北富士駐屯地には、静岡県御殿場市の駒門駐屯地から第1高射特科大隊所属のL-90が前進展開し、万一の際にはすぐさま撃墜できるよう即応体制で待機していました。なおサティアン地区と北富士駐屯地は直線距離で約15km離れていました。
こちらも実際にオウム真理教がヘリを飛ばすことはなかったため、幸いにして射撃することなく終わりましたが、さすがにこの頃はミサイルも小型高性能化した時代、なぜあえて旧式化しつつあった対空機関砲を用いたのでしょう。
旧式化した機関砲にあって誘導ミサイルにないものとは?それはズバリ即応性です。ミサイルは誘導式のため発射すれば高確率で命中しますが、逆に発射前に目標を捉える必要があります。これはレーダー誘導なら目標にレーダー照射し、そこから跳ね返ってきた電波なりをミサイル弾頭で補足し、その反射を追っかけることで目標に向かっていきます。
それに対し、機関砲ならレーダーに捉えられなくても目視で手動操作にて射撃することができます。そうなると「飛び立った」あるいは「飛んでいる」という情報があれば仮に機影が確認できなくとも予想して射撃することができるのです。このタイムラグは航空機の場合大きく、化学剤であればわずか1秒でも遅れれば空中散布されてしまうため、だからこそ熟練した隊員がマニュアルで操作できるL-90が選ばれたのでした。

35mm砲弾の空包はないため、記念行事の模擬戦では12.7mm重機関銃を搭載し、そちらで代わりに空包射撃していた(2009年9月、柘植優介撮影)。
それでは最後にトリビアを。このふたつの事件で実働したL-90、実は世界35ヶ国で採用されたベストセラーで、なんと日中韓そして台湾も採用した実は隠れた極東アジアの標準機関砲です。西側だけでなく中国(しかもコピー生産ではなくライセンス生産)でも採用・量産していたほか、同国および韓国では現在も現役で使用されています。
※参考文献
大小田八尋『ミグ25事件の真相 闇に葬られた防衛出動』(学研文庫)
福山 隆『地下鉄サリン事件戦記』(光人社)